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飯田哲也氏は山口県の救世主か、保守王国の風車に立ち向かうドンキホーテか

脇阪紀行

■新しい未来を選び取るための挑戦              

 飯田哲也氏の山口県知事選出馬にあたっての記者会見をネットで見て、東日本大震災と福島第一原発の事故がなければ、誰もが知る彼の今日の活躍はなかった、言葉を変えれば、「3・11」の日本は、迷走から抜け出すために、間違いなく飯田氏の経験と意見を必要としている、と改めて思った。

拡大飯田哲也氏

 原発のあり方を中心に、将来のエネルギー政策をめぐる論議がこれから本格化する。飯田氏には、その論議を深める役割を果たす重責があっただけに、山口県知事選への出馬のニュースには大いに驚いたし、――山口県の人々には恐縮だが――山口の知事などより、政策論議のど真ん中で活躍し、機会があるなら、東京や大阪など大都会を拠点に国政の舞台で活躍してほしい、という気持ちが正直言って今もある。

 飯田氏といえば、「脱原発の男」というイメージがあるが、その活動が世間の注目を集めたのは、「3・11」後のことで、それ以前は、太陽光や風力など自然エネルギー普及のための活動歴が圧倒的に長かった。記者会見で飯田氏が、十数年前に自然エネルギーの固定価格買い取り制度を導入する法制度作りのために、自民党から共産党までの各党を回り、支持を広げていった経験を語ったのは、その一例だ。

 「現実を変えるためには、イデオロギーフリーであることが大事」と会見で語り、どの政党にも推薦、支持を依頼せず、「県民党」を名乗ったのは、単なる選挙戦術を超えた信念なのだろう。

 小規模分散型の自然エネルギーによって地元に仕事や雇用を作り出し、地域を活性化し、豊かな成熟社会づくりに取り組みたい。そうした主張を飯田氏が訴える根拠は、彼が1990年代に過ごしたスウェーデンでの実体験に基づいたものだろう。神戸製鋼などで原子力技術者として働く間に、閉鎖的な日本の「原子力ムラ」の存在に失望し、退社して、1996年、家族とともにスウェーデンに移り住み、4年間、北欧諸国を歩き、研究者や市民運動家と論議しながら、環境やエネルギー政策がどのように作られ、どのように政策に結実していくかを学んだ。

 例えば、1985年に国会が原発の建設を拒否する決議をしているデンマークは、第2次大戦前から原子物理学研究の世界的なメッカだったが、1970年代から市民レベルでの反原発運動が広がり、徹底した情報公開と国民的な討論の末に原発拒否の国会議決に至った。大量生産、大量消費社会からの脱却を求める取り組みも、民意に支えられて定着した。スウェーデンでも化石燃料ゼロを宣言した街や風力発電、環境エコラベルといった草の根の取り組みを自分の目で見ている。

 その見聞は、初期の著作である『北欧のエネルギーデモクラシー』(新評論)に詳しいが、そこの扉書きにデンマーク人エネルギー環境学者ヨアン・ノルゴー氏の次の言葉が紹介されている。 ・・・続きを読む
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筆者

脇阪紀行

脇阪紀行(わきさか・のりゆき) 大阪大学未来共生プログラム特任教授(メディア論、EU、未来共生学)

1954年生まれ。79年に朝日新聞社に入社、松山支局などを経て大阪本社経済部に。90年からバンコクのアジア総局に駐在。米国ワシントンでの研修を経て97年からアジア担当論説委員。2001年からブリュッセル支局長。06年から論説委員(東南アジア、欧州など担当)。2013年8月末に退社、9月から、大阪大学未来共生イノベーター博士課程プログラム特任教授。著書に『大欧州の時代――ブリュッセルからの報告」(岩波新書)、『欧州のエネルギーシフト』(岩波新書)。

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