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【復興リーダー会議】伊勢崎賢治氏 復興をリードする上位概念を

WEBRONZA編集長 矢田義一

 慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所(G-SEC,Global Security Research Institute)が、東日本大震災からの復興支援を意図するプロジェクト「復興リーダー会議」が着実な歩みを続けている。被災地での支援活動で試行錯誤を重ねながら実績を積んだリーダー的存在の人たちや、今後の復興を担う人々らが集まり、現地の復旧から復興に向けた情報交換や、対話と議論、研究などに取り組んでいる。

 スタートしたのは、2012年4月。13年3月ごろまでの1年間程度の期間で、月に1度、慶応義塾大学三田キャンパスにあるG-SEC Labに、様々なジャンルから講師を招いて話を聞き、参加しているリーダーらが質疑応答や討議を重ねている。

拡大「人間はどんな状況からも復興できる」と語る伊勢崎賢治氏=写真はいずれも2012年6月16日、慶応大学G-SEC、矢田撮影

 ここでは、6月16日にあったセッションのうち、伊勢崎賢治氏の基調講演の一部をご紹介したい。伊勢崎氏は、国際NGOや国連職員として、アフリカや東チモールなど世界各地で紛争処理にかかわってきた。とりわけ、日本政府特別顧問として、アフガニスタンにおいて武装解除を成し遂げたことは有名だ。

 東日本大震災や原発事故に向き合い、復興への歩みを続けるにあたり、国際紛争の最前線に立ってきた伊勢崎氏が強調することは何か。以下はその抄録――。

伊勢崎氏の崎の字は、正しくはつくりの上の部分が「立」ですが、ブラウザで表示できない場合があるので、「崎」の文字をあてています。

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■放射能差別を許すな

 僕は、福島と特別な関係はありませんでしたが、福島第一原発の事故が起きてから3週間目に南相馬市に入りました。ピースビルダーズという広島のNGOの代表理事をしている関係で行きました。

 広島が福島を救えないか――。とっさにそう考えたのです。その根底には、日本人は福島を絶対に差別するようになるという思いがありました。仮に、放射能差別というものがあるとしたら、それを一番理解し、息の長い支援をできるのは、広島しかないのではないか。そういう観点で考えた結果です。

拡大アフガニスタンでの武装解除について具体的に説明する

 当時はまだ、南相馬の市長がユーチューブで有名になりかけたころです。物資も届き始めたが十分じゃない。みんな、福島を通り越して行ってしまう。それを仕分けるボランティアも誰もいない。みんな放射能が怖いから。仙台などはボランティア銀座みたいになっていましたが、ボランティアお断わりを言うような市町村も出始めていた。一方で、福島にはボランティアはまったく入っていませんでした。

 僕の専門である国際紛争の処理という現場では、その現場が危険であればあるほど、初動調査をまず行います。援助を必要としている人がいる限り、細心の準備と注意を払って、現場に近づくことをします。

 そして、いかなる点に気をつければ、どのような人道援助が可能なのかを考えます。このような発想で、広島大学の協力を得て線量計を調達して、車をチャーターし、現地に向かいました。もしもの時に速やかに退避できるように、南相馬の市会議員に同乗してもらいました。

 ルートは福島市を出発し、北へ向かい、飯館村のうしろ側の国道を通ります。さらに、相馬市を通って南下し、南相馬に入りました。あの当時、場所によっては福島市内の方が放射線量が高く、2マイクロシーベルト・パー・アワーのところも数多くありました。どんどん南相馬市に近づき、これからもっと高くなるのかなと思っていたら、逆にぐっと下がった。市内に入ると本当にどんどん下がってきて、市会議員の案内で、裏道から原発から20キロ圏内に入り、さらに9キロ圏内くらいまで行ったのですが、0.4マイクロシーベルトくらいしかないのです。

 その頃は、放射能の影響は風任せだろうというような認識しかなかったんですが、実際に体験してみると、半径50キロを警戒区域にして画一的に避難しろという政府の言い方は全然あてにならないということがすぐ分かりました。逆に言うと、危険だといわれる場所でも、線量計を使って気をつけてやっていけば、人道援助は可能であるということが分かったのです。

 その結果を踏まえ、広島から南相馬市にボランティアを入れるようにしました。その後は普通にボランティアがやってくれるようになったのですが、この広島のピースビルダーが先陣を切ることになりました。

■線量計という武器を

 国際紛争の現場では、戦闘の難を逃れて、難民が発生します。難民を助けるのは国際社会の仕事ですが、すべての人間が難民化するわけではありません。違います。難民は自ら脱出できる余裕のある人です。そうじゃない人たちがたくさんいるのです。

拡大参加者は熱心に耳を傾け、活発な討議を繰り広げた

 たとえ、その可能性がわずかであっても、自分たちをとりまく情勢が改善することに一縷の望みをかける人たちがいます。残るか残らないかでぎりぎりの選択があるはずで、どんな危険な状況でも生活を捨てないという選択をする人たちがいる。家族は逃がして、俺だけはということもある。

 難民支援は難民キャンプをつくって支援すればいいわけですが、僕はどちらかというと、人がとどまった社会をどうするか、どう復興するか、ということに関与してきました。

 まず、戦争やめさせる。それから、壊れた社会をどう再建するかということをやってきましたので、その経験をそのまま、今回被災したところにあてはめるわけではないですけれども、ある意味、福島ではそういう構図がなりたつのではないかと思いました。

 国際紛争の現場では、国家が提供できない安全を住民らが自らがつくりだすしかない。銃をとるわけです。自警団を組織します。その崩壊していた国家が提供できない安全を自ら確保するということは、自然と起きてきます。住民ら自らが銃をとるといった、こういうオプションは、国際社会はさすがにできません。国連もがそれを支援することはありません。しかし、現実です。

 福島の場合には武器に相当するものは何でしょう。線量計です。当時、線量計はオークションでも高値がついて、入手が困難、不可能な状況でした。それを大量に入手して、使い方などを訓練し、各家庭に1台くらいもたせられないかと思い頑張りました。

 政府がやらないなら、残ろうと決意した市民を同じ市民が支援しなくてはならない。放射能とつきあって生きるというのは非常に悲しいことです。 悲しい、しかし、新しいライフスタイルの確立を支援できないかと真剣に考えました。

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