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【北大HOPSマガジン】 震災の現場から(下)――死者を考えるということ

講師/外岡秀俊(ジャーナリスト)

司会(中島岳志・北大准教授) それでは、私からいくつか質問をしたいと思います。

 まず、福島のダムが決壊したというお話のなかで、「報道されない」という問題がありました。東日本大震災の直後、長野で地震が起きましたが、この地震についてはほとんど報道されず、支援物資がそちらには届きませんでした。つまり、どこを報道するのか、どこを報道しないのかによって、実はボランティアがそこに集中したり、支援物資が届いたり届かなかったりという差が現場に生じるということがあります。この、報道する、しない、そして現実がそれによって左右されるという関係を、外岡さんはどのようにご覧になっていましたか?

外岡 この問題が大きく注目を集めたのは、95年の阪神大震災のときでした。あのときに、皆さんはテレビ各局が同じ小学校の避難所から中継していることに気づかれたのではないでしょうか。実は衛星回線を使って映像を送っていますので、それが届く場所と届かない場所がありました。物陰になると中継ができないので、ある一定の場所に中継車を置くしかなかったのです。

 それから、中継車で働く人たちも人間ですから、弁当を届けなくちゃいけない。ところが、あちこちに移動していると、弁当や水をなかなか届けることができないという事情もあって、ある小学校に集中しちゃったんです。そこから放送するものですから、今これが足りない、あれが足りないというと、みんなそこに駆けつけるということが起きてしまった。

 今回の震災は問題があまりに大きすぎて、あるいは多様すぎて、報道が追いついていないところがあったと思います。さきほど中島さんがおっしゃった長野だけではなくて、たとえば首都圏近辺の千葉で、あれだけ大きな液状化現象が起きて被害が出て、茨城でも被害がありました。しかし、それらはほとんど報じられていなかったと思います。

 そういう場所の問題のほかに、原発の事故が身近でしかもずっと続いていくことから、多くの報道が津波から原発にシフトしてしまったという傾向もあると思います。津波のほうは「皆さん、頑張っています」という報道になって、それから「原発が危ない」という危険情報の報道になり、実際に何が起きているのかを伝えることが非常に難しくなってしまった、あるいは、それを伝える機能を十分に果たしていなかったのではないかという印象を持ちました。

司会 もう一つは、報道する/しないの問題と同時に、報道のされ方ということがあると思います。たとえば、今回の地震の5年ほど前に北海道が経験したのは、夕張市についての報道でした。夕張の財政破綻は北海道の方はよくご存じだったと思いますが、この問題が全国レベルで急に取り上げられるようになり、各社のメディアがどっと夕張に押し寄せた。シャッターの降りた店などをクローズアップして映し出して、「夕張のかわいそうな人たち」という報道がいっせいにされた結果、夕張に大量の支援物資が届くという現象が起きました。下着が大量に届いたり食料が大量に届いたりしましたが、皆さんご存じのように、夕張はふつうにコンビニも開いていたし、商店も開いていた。

 当たり前ですが、車で行けば札幌まで1時間くらいですから、簡単に買い物ができる。そういうところに支援物資が大量に届いてしまって、夕張の人たちは二重に苦しんだわけです。「自分たちは難民化したのか?」と。そういう声をたくさん夕張で聞きました。

 このように、報道のされ方によって、現地の人たちが二重に苦しむ状況というのが往々にしてあると思いますが、今回の地震報道について、率直に感じられたことがありましたら教えていただけますか。

外岡 実際、報道している範囲はごく限られた場所ですから、本当に困っている人たちがいるということに気づくまで、ものすごく長い時間がかかってしまいました。これは報道陣が動けなかったということもあるし、ガソリンが自由に使えなかったということもあります。大手メディアが車で取材したのは、要するに緊急指定の車両でないとガソリンがもらえなかったからです。しかも、その「指定」は地震が起きる前に受けていないといけませんでした。そういう状況でしたから、どうしても空からの映像が多くなって、現地で人々がどういう状況に置かれているのかが、なかなか伝わりにくかったと思います。

 それからもう一つ、原発の事故で放射性物質が広がって、福島から避難してきた人がいじめられるというとんでもないことが起きた。私が聞いたなかでは、福島の病院であっても、最初、原発20キロ圏内から逃げてきた人が来るときにはスクリーニングを受けて、問題がないという印がある紙を持っていないと診てくれなかったというのです。そういう非医学的なことがまかりとおるような状況で、「放射能をつけちゃうぞ」というような鉢呂吉雄経産大臣(当時)の発言が取り沙汰されたように、偏見を助長する、あるいは福島の人が今後、差別されかねないような雰囲気をつくってしまったことが、今回の大きな問題だと思います。

司会 二つ目の問題ですが、先ほど、政府がSPEEDIのデータを出さなかったというお話がありました。おそらくこの問題には、メディアと政府との関係についても重要な問題が内包されています。つまり、どこまでを報道するのか、しないのか。いわゆる報道規制という問題があるだろうと思います。

 政府がこのデータをすぐ出さなかった背景には、大衆がパニックを起こすんじゃないかという、「エリート・パニック」があったと言われています。このように、この情報を出せば何か大きなパニックが起きるかもしれないという、ある種の忖度がおそらく政府の側にもあったし、メディアの側でもそのような忖度が作用する場合があると思います。この報道規制とエリート・パニックの問題に関連して、震災後しばらくは「大丈夫です」「安心です」という言葉が非常にたくさんメディアに出ましたが、そういった問題も含めて、メディアのあり方というのを今、どのように考えていらっしゃいますか。

外岡 たいへん難しい問題だと思いますね。SPEEDIに関して言うと、その後の国会証言で、官邸には伝わったけれど、首脳に伝わっていなかったという説明がありました。全部出しなさいと細野豪志さん(原発担当大臣)が言ったその1週間後に、「実はまだあります」ということで持ってきた、というんですね。「パニックを起こすかもしれない」というのは細野さん自身の意見ではないのですが、おそらく役人がそう考えて出さなかったんだろうと、国会で証言しています。

 それが事実だとすれば、官邸は知っていたけれども、政治家は知らなかったということになります。ただ、私は百歩譲っても、避難のときにそれを活かすことはできたと思います。公表しない、としてもです。あれを見れば、北西方向に汚染されているということははっきりわかっていたのに、その方向に逃げた人たちがたくさんいたわけですから、彼らの被爆は避けることができたはずですし、福島や郡山の人たちに、当面はできるだけ不要な外出を避けましょうなどと、何か言えたはずです。それを2カ月近く経っても隠し続けていたということ、また、それを許したということは、とても大きな過ちだったと思います。

司会 3月の震災前はずっと朝日新聞の記者でいらした外岡さんが、その後フリーになられた際に感じられた温度差というか、報道の現場に立つときの違いというのを、もう少しうかがいたいと思います。

 立ち入り規制というのが出たときに、大手のメディアの人たちが30キロ圏内からどっと引いてしまった一方、フリージャーナリストたちが規制をすり抜けて現場に入り込み、報道しました。同じような現象は戦争のときにも起こります。大手の人たちはイラク戦争のときにも現場に行かない。そうすると、フリーランスの人たちが入っていってテレビや雑誌と契約を結んでいく。リスクの問題から生まれる報道の穴を埋めるのが、結局はフリーの人たちになる。こういう大手メディアとフリーランスの関係、あるいは、記者クラブの問題にもなっていくかもしれませんが、そのあたりをどのように考えていらっしゃいますか。

外岡 最近の紛争地ではやはり、おっしゃるとおり、フリーの方が取材するという場合が多いですね。たとえばイラク戦争では、バグダッドにずっと残っていたNHKは別として、新聞社は各社とも同じ時期に撤退しています。「そんなのは談合じゃないかい」と言う人もいますが、基本的には、記者を送った場合、その記者が事件に巻き込まれたり、人質になったり、殺されたりしたときに責任がとれるのかという理由で、会社の幹部が判断をして、つい腰が引けちゃう、というのが実際のところだと思います。

 私もそういう立場に立たされて、結局、サマワという、自衛隊が派遣されたところにベテラン記者に行ってもらったことがあります。本人が志願して、アラブ語もできるし、経験豊富で、一人で行くと言ったものですから、それであれば許可をしようと、みんなで話し合って行ってもらったんです。

 そういうふうに幹部が万一の場合を考えて、あるいは責任を回避したいという自己保身からかもしれませんが、ブレーキがかかる。行くほうも、放射線の場合は若手や女性記者の場合は当然の理由から行くのをためらうと思うんです。だけど、そういう場合だって、ベテランで、もう歳をとった記者もたくさんいるわけですから、その人たちが志願して行けば、それは止めないということはできたと私は思います。そういうふうに自分たちを規制しちゃうと、結局、大手メディアは真実を伝えていないという不信感を招いてしまうんじゃないかと思います。

司会 外岡さんはずっとWEBRONZAでルポを書いてこられましたが(のちに『震災と原発 国家の過ち――文学で読み解く3.11』<朝日新書>として刊行)、そこでは現地取材のルポと同時に、過去の文学作品を取り上げながら、それを通じて現場の問題を読んでいました。たいへん面白く拝読させていただいたんですが、いま、文学が持っている力、3.11以後の文学の理想というものをどういうふうに見ていらっしゃるのか、

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