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総選挙後に日本は「戦前」に戻るのか?――二大政党制の崩壊と右翼的体制変革の危険性

小林正弥 千葉大学大学院社会科学研究院教授(政治学)

■慄然とする解散総選挙

 解散総選挙の報に、筆者は慄然とせざるをえなかった。これは、最悪の時期におこなわれる総選挙であると思えたからである。現時点での様々なメディアの観測では、民主党が大敗して50-110議席になる一方で、自民党が回復して180議席以上になり、「日本維新の会」は躍進して40-100議席になる可能性が高く、「日本維新の会」は民主党を上回って第2党になる可能性すらあるという。

 つまり、民主党が惨敗して民主党政権は終わり、自民党中心の政権が成立することは確実である。自民党の安倍晋三総裁は右派的な改憲論者だから、これは右派的な政権になる。

 筆者は野田政権が総辞職して民主党が新首相を選出した上で、しばらくの後に総選挙をおこなえば、状勢には変化の余地があると思っていた。しかし、野田佳彦首相は自らのプライドを捨てることができず、民主党にとっては自滅的な選択をしてしまったと思える。11月14日の党首討論では野田首相に軍配があがったといっても、民主党の惨敗という結果なるのに変わりはないだろう。

 もっとも、政権交代が起こるのは、二大政党制ないし政党政治の常であり、いわば「憲政の常道」でもある。二大政党制を前提に考えるならば、民主党政権はいずれ自民党政権に交代し、さらに自民党政権は民主党政権に戻る……というように展開してゆく。それなら、総選挙後に自民党中心の政権になったからといって、特に驚くことも悲観することもない。またそのうち、自民党政権にも問題が生じて民主党政権が成立するだろう……。

 しかし、筆者が慄然としたのは、このような通常の政権交代にはならない可能性を感じたからである。筆者は、このような通常の政党政治に終止符を打つような地殻変動が、この選挙で生じる危険性を感じたのである。

■二大政党制化の終焉

 少し民主党政権成立までの歩みを振り返ってみよう。自民党政権下で小沢氏らが中心になって「政治改革」が主張され、1993年に小沢一郎氏らは自民党を脱党して新生党を作り、総選挙後に自民党政権が崩壊して細川連立政権が成立した。この政権は小選挙区中心の選挙制度への改革をおこない、それが起点となって二大政党制化が生じた。この「政治改革」の目的は、英米型の二大政党制をモデルとして、選挙区制を変えることによって二大政党化を生じさせ、政権交代を起こすということであった。

 筆者は、この「政治改革」論に反対だった。民主党分裂の際に筆者が「歓迎すべき民主党分裂――政治改革の失敗と小沢一郎」(WEBRONZA 2012年06月27日付)で論じたように、比較政治の観点から小選挙区制は望ましくないし、さらに日本においては戦前の二大政党制(政友会と民政党)のように、二大政党の政策が類似してしまい、その結果、二大政党が双方とも人びとの信頼を失墜して、政党政治自体が危機に陥る危険性がある、と考えたからである。

 民主党が前原誠司代表だった時には、当時の自民党・小泉政権と政策が接近したので筆者はこの危険性を感じて、二大政党に対抗する平和主義的な「第3極」の形成を主張した。

 しかし、小沢代表や鳩山由紀夫代表になると、民主党は格差問題を取り上げるなどして、いわば中道左派的な政策を主張するようになり、自民党との政策の差が明確になったので、二大政党制がその機能を発揮したと考えて、鳩山民主党による政権交代に期待した。谷垣禎一総裁時代の自民党は基本的には中道右派の政策を主張したと考えられるから、二大政党が「中道左派対中道右派」という対立をしていたわけである。

 ところが、菅政権時代には民主党は現実主義を重視し右の方向に移動して中道的な政策になり、さらに野田政権になると財務省主導と批判されたように、さらに右に移動して中道右派的な政策になったと考えられる。この結果、谷垣自民党と野田民主党はともに中道右派となり政策的な差があまりなくなってしまった。これが、消費税をめぐる3党合意へと帰結するわけである。

 こうして、二大政党は、筆者がかねて懸念していたように、戦前と同じように政策的に類似した2党となってしまった。この結果、民主党に期待していた多くの人びとが失望し、民主党の支持率は大きく低下した。菅政権時代には民主党は脱原発路線を提起したが、野田政権になってこれも後退したので、この点でも自民党との相違が不鮮明になってしまった。

 二大政党に対する幻滅が広がった結果、人びとの期待は第3極に向かった。まずは小沢氏らが民主党を脱党して「国民の生活が第一」を形成したが、小沢氏のダーティー・イメージもあって支持はあまり広がらなかった。民主党は、その後も脱党者が相次ぎ、解散後には閣僚経験者(小沢鋭仁元環境相)まで含めて11人が脱党する有様で、政権交代以後の離党者が100人を超え、政党として末期的な混乱状態に陥っている。

 他方で、自民党は改憲論者である安倍氏が総裁になり、自民党の政権公約では解釈改憲によって「集団的自衛権の行使」を可能にし、憲法改正によって自衛隊を「国防軍」とすることを明記している。さらに、官邸に「国家安全保障会議」を設立し、武力攻撃に備えた「緊急事態条項」を新設して、拉致問題解決に全力をあげることなども掲げている。安倍氏は、もとより自民党内でも最右派に属する立場であり、自民党は谷垣総裁時代の中道右派的な位置から明確に右派的な位置へと移動したと考えられる。

 二大政党への失望が生じた半面として、「日本維新の会」が作られて期待を集め、解散後には石原慎太郎氏らの「太陽の党」と合併して石原氏を党首とすることになった。筆者がWEBRONZAで「戦後初の『極右党首』登場――『日本維新の会』と石原新党の合併が意味するもの」「『日本維新の会』も極右的政党になるのか?――『極右党首』が招く戦争への危険性」で論じたように、これは戦後初の「極右党首」の出現であり、「日本維新の会」そのものも極右的な旋回をする危険性を念頭に置く必要が生じてきた。

 「日本維新の会」は従来の体制に異を唱え、大胆な変革を目指す政党である。つまり、日本政治は、民主党の大幅な衰退により二大政党制化が終焉し、その代わりに極右党首の率いる体制変革政党が勢力を増大させようとしているのである。

 このように見ると、日本政治は、「二大政党の政策の類似→人びとの失望→二大政党制の終焉と極右勢力の登場」という点で、戦前の二大政党制と類似した展開を辿っているのではないだろうか? それでも、戦前の二大政党の政党内閣は1925年から1932年まで続き、この間には「憲政会→政友会→民政党(憲政会が名称変更)→政友会」というように、二大政党の間で政権交代が生じた。

 この過程において、当初、進歩的だった「憲政会―民政党」は保守化して政友会との政策の差が減少した半面、政友会はさらに保守的になった。これは、現在の民主党の中道右派化や、自民党の右派政党化に類似している。そして、戦前の政党政治はまさに極右の起こした5・15事件で犬養毅首相が暗殺されて終わったのである。

 まだ、2009年に民主党政権への政権交代が生じてから、3年しか経ってはいないし、ただ民主党の中で政権が交代しただけである。しかし、もしかすると、戦前には7年間かけて生じた変化と二大政党制の崩壊の過程が、今は3代の民主党政権の間に一気に進行してしまったのではないだろうか? ・・・続きを読む
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筆者

小林正弥

小林正弥(こばやし・まさや) 千葉大学大学院社会科学研究院教授(政治学)

1963年生まれ。東京大学法学部卒業。2006年より千葉大学大学院人文社会科学研究科教授。千葉大学公共研究センター共同代表(公共哲学センター長、地球環境福祉研究センター長)。専門は、政治哲学、公共哲学、比較政治。マイケル・サンデル教授と交流が深く、「ハーバード白熱教室」では解説も務める。著書に『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう(文春新書)、『サンデル教授の対話術』(サンデル氏と共著、NHK出版)、『サンデルの政治哲学 〈正義〉とは何か』(平凡社新書)、『友愛革命は可能か――公共哲学から考える』(平凡社新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『神社と政治』(角川新書)など多数。共訳書に『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業』(ハヤカワ文庫)など。

 

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