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自民党は民主党の失敗からも多くを学ぶべきだ

鈴木崇弘 城西国際大学客員教授(政治学)

 「明治20年代の徳富蘇峰は10年前の福沢諭吉の思想から何も学ばず、大正3年の吉野作造は明治20年代の徳富の二大政党論を全く知らずに徳富を批判し、昭和33年の信夫清三郎氏は吉野作造の『民本主義』を徹頭徹尾曲解し批判した。……それぞれの時点で日本の民主化につとめた人々が、自己に先行する民主主義者の努力に全く関心を払わなかったのである。彼らは『民主化』にはつとめたが、『民主主義の伝統化』には全くつとめなかったのである」(注1)

 これは、日本における政治思想を形成してきた言論人に対する、近代日本政治史の専門家の言葉である。

 だが、同様のことは言論人に限らず、日本の戦後、否、近年の政治においても見られるような気がしてならない。

 民主党は、2009年に政権を獲得した際は、それ以前に自民党が行ってきた政策や政治手法を全面的に変更しようとした。自民党の政策や政治手法は日本社会の風土や歴史と一体となり形成されてきたにもかかわらず、である。民主党は、自民党からも多くを学ぶべきであった。そして、もしそれを変えるにしても、適切にタイミングを図り、それを実施できる新たな仕組みづくりも行うべきであったのだ。

 自民党の成功と失敗を活かし、政権獲得後の自党の成否の経験を活かしていれば、政権運営をもう少し適切かつ的確にできたと思う。しかし、民主党はそれをできず、政権運営や党の運営で混迷し、迷走し、政権を失った。

 その結果として、2012年末、自民党は政権を再度獲得した。だが、自民党が今やろうとしていることは、大きな方向性やスピード感ではいい面もあるが、先の民主党と同様に民主党政権の否定をしているように感じる。つまり、民主党政権の失敗と成功から学び、日本の民主主義の伝統化につとめていないように感じる。

 自民党政権は、民主党が否定した経済財政諮問会議を復活させ、並行して日本経済再生本部を設置する。しかもその両方の事務局を内閣官房に置くという。これにより、経済財政諮問会議がもともと有していた民間人を活用した官邸主導体制を換骨奪胎し、単に官僚主導にしてしまったように感じる。

 安倍総理が1月28日の所信表明演説でも指摘しているように、「我が国にとって最大かつ喫緊の課題は、経済の再生」だと思う。その意味では、その会議と本部が両輪となって機能していただきたいと思う。

 だが、現在の日本の経済問題は、狭義の経済問題ではなく、広義のものであり、金融、安全保障・外交、エネルギー、環境、産業構造、中央・地方政府関係その他ありとあらゆる問題と複雑に関係し、絡まっている。その意味では、より広い見地から、民間人と官僚が一体となって考え、総理や官邸を支えていく仕組みが必要だと感じる。

 その観点からすると、構想倒れになった感が否めないものの、民主党の国家戦略室(局)の発想は、自民党政権でも活かされてもいいと考える。その発想を活かし、民主党政権での失敗からも学び、かつ小泉政権下の経済財政諮問会議の経験も活用するべきだ。そして総理自らがセレクトした民間人や官僚がチームとして、全体観と専門性をもち、総理を支えるブレーンとしての仕組みを官邸に設けるべきではないか。

 この流れでいえば、民主党政権は、脱官僚・政治主導で、その発想にあまりに気を取られ過ぎて、行政機構とフリクションを起こし、政権運営を空回りさせ、失敗した。他方、自民党は、行政依存ではあるが、政治主導的な必要性もそれなりに感じており、2009年以前でも政策形成のあり方を変えようとしていた。それが民間人を活かした小泉政権の政権運営にもつながった。

 安倍政権は、民主党政権の失敗から学んだのか、あるいは単に従来の手法に回帰したのかわからないが、少なくとも来たる参院選までは安全運転をすると心に決め、現在は行政中心の政策形成・政権運営をとっているようだ。

 だが参院選を乗り切った後、総理自身の政策を実現していくには、

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