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ネット選挙は、マスメディアの選挙文化に変化を及ぼすかもしれない

逢坂巌(立教大学社会学部助教)

 ネットは道具であって、それ以上のものではない。

 日本の刺身包丁を、獣肉しか食べない文化の人々に与えたからといって、いきなり魚食は始まらないように、道具の使い方は社会の文化によるものであって、その逆ではない。

 ネット選挙の解禁によって、アメリカのように寄付を集めやすくなるといった議論も散見されるが、アメリカのネット選挙は、草の根で寄付を集め、膨大な数のボランティアが戸別訪問をおこなって票をかき集めていくアメリカの選挙文化に基づいているのであって、その逆ではない。

自民党の参院選立候補予定者向けのネット選挙研修会=2013年3月17日

 その点で、今回のネット選挙解禁を考える際も、日本の政治文化・選挙文化のなかでのネットの選挙活用であるということはまずは押さえておかなければならないだろう。

 とはいうものの、ネット選挙解禁で、選挙直前という国民の選択にとって最も大切な時期に、いままで使えなかった双方向でリアルタイムのコミュニケーションツールが使えるようになることは日本のデモクラシーにとっては歓迎すべき事だ。これによって、候補者や政党は、選挙直前までネット上で様々な情報を発信することが可能になったし、有権者もそれらの情報に基づいた政党や候補者の吟味が可能になる。

 ただ、注意したいのは、そのような情報量の増大によって、有権者に届く情報が分かりやすく、正しくなるのかといえばそうとも言えないことだ。

 政策のまともな議論よりも候補者の宣伝が中心となり、ワンフレーズのレッテル貼り、PR会社によって作られたイメージばかりが飛び交うことも考えられる。実際に、解禁が近づく中、永田町界隈では「結局、ネット選挙解禁で得をするのは代理店だけじゃないか」「あそこは、○○万円でツイッターの代行をやるらしい」との声もチラホラしている。

 しかし、ネットによって候補者たちの本音が聞けると考えること自体、そもそもナイーブすぎる議論ではある。ツイッター代行もネット選挙解禁によって始まるわけでもないだろう。

 すでに安倍晋三首相や橋下徹大阪市長もフェイスブックやツイッターをつかっているが、あれらは当人らの宣伝道具、マスメディアに対する武器であって、世間もネタとして面白がりこそすれ、あそこに本音や本心が出ていると素直に受け取る人間もすくないだろう。

 なお、関連して興味深いのは、これからはマスメディアが大変になるだろうなということである。

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