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閣僚の靖国参拝――「英霊を弔うのはどこの国でもやっている」の大間違い

三島憲一 大阪大学名誉教授(ドイツ哲学、現代ドイツ政治)

 麻生太郎財務省兼副首相をはじめとする多くの閣僚が、春季大祭を期に靖国神社に参拝した。さらには国会議員が大挙して同神社に詣でた。予期されたことだが、韓国と中国からの猛反発が続いた。それに対して麻生大臣は「外交への影響はない」と強弁しているようだが、現実に韓国外務大臣の日本訪問が中止になり、インドでの日韓中の財務省会議も延期された。

 もちろん、言い逃れは常に可能だ。「特に重要な議題もない」とは中国側自身が言いだした理屈だし、韓国外務大臣の東京訪問も、「まだ計画段階だった」とも説明された。常識的には、こういう、傷つけないように配慮された抽象的な表現へのコード変換は「影響」ではないかと思うのだが。

 もちろん「外交への影響」は定義次第だ。具体的に大使召還でもないかぎり、「影響」とは言えないとも言えるし、外務大臣以外の所轄大臣同士の対話が中止されただけでも「重大な影響」とも言える。

 だが、一般的には影響は強弁で打ち消せるものでないことは、本当は当事者が一番分かっていることだろう。景気回復の気配でちょっと増長したのか、「当方の強大な経済力」をあちら側は無視できないという本音があるのかもしれない。

 だが、それよりもっと強弁度が強いのは、「英霊を弔うのはどこの国でもやっていることだから、他国にとやかく言われることではない」という議論だ。

 本当にどこの国でもやっているのだろうか? たしかにアメリカにはアーリントンの無名戦士の墓がある。フランスにも凱旋門のエトワール広場にしかるべき象徴的施設がある。だが、第二次世界大戦で日本と組んで、ヨーロッパ中に殺戮の嵐を吹かせた果てに負けたドイツは、戦死した自国の兵士を公式に祀ってはいない。

 いや祀れないのだ。そんなことをしたら、周辺諸国から総スカンを食らうに決まっている。いや、それだけなら、たとえ「外交への影響」があっても、麻生氏や安倍氏のように「ない」と突っぱねることもできるかもしれない。

 問題は、国内である。国内の有力メディアから一般市民に至るまで激烈な批判と抗議の声が涌き起こり、おそらく当該政府は、政治的に死んだも同じとなろう。日本で不思議なのは、戦時中の報道姿勢への自己批判的な特集をし、原発報道でも、軟弱だったことを自己批判する記事を組むいくつかの新聞が、当面の問題についてはいっさい叩くことはせずに、言いっぱなしにさせていることである。

 「どこの国でもしている」というのは、麻生氏の無知である。ひょっとすると、

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