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「参勤交代型」アフリカ開発会議(TICAD)の限界

脇阪紀行 大阪大学未来共生プログラム特任教授(メディア論、EU、未来共生学)

 第5回アフリカ開発会議(TICAD)が5年ぶりに横浜市で開かれる(6月1日~)。1993年の第1回会議から20年。今回も50カ国余りから首脳が集まるが、アフリカ側からは最近、「日本だけではなく、アフリカでも開催すべき」との声があがっている。「参勤交代」のように日本に首脳を集めるやり方をそろそろ考え直すべき時に来たのではないか。

 アフリカの近年の成長ぶりはめざましい。2011年までの10年間のサブサハラアフリカ(サハラ砂漠より南の地域)の年平均成長率は5.8%。この間、アフリカの対外貿易額は4.3倍、外国からの直接投資額は3.8倍にそれぞれ急増した。

 この高成長を引っ張ったのが、中国やインド、ブラジルなど新興国による資源開発や貿易・投資交流の拡大だ。とくに中国はスーダン、アンゴラでの石油開発を皮切りに、ザンビアや南アフリカでの鉱山開発、道路や港湾など巨額のインフラ援助や企業進出を大胆に進めた。

 アフリカとともに成長軌道に乗ろうと、TICADと同様の開発フォーラムも相次ぎ創設された。2000年には中国・アフリカ開発フォーラムが発足し、欧州連合(EU)とアフリカとの首脳会議も創設された。2006年には、韓国、インド両国がそれぞれアフリカフォーラムを立ちあげた。

 20年前、日本がTICADを始めた当時、アフリカ経済は停滞し、冷戦のタガがはずれて地域紛争が各地で頻発していた。そんな状況下のアフリカに支援の手を差し伸べた日本外交の決断には大きな意義があった。もちろん当時、国連安保理常任理事国入りをめざしていた外務省にとって、アフリカという大票田の票を固める狙いがあったことも否定できない。

 しかし20年後のいま、国連常任理事国入りの夢はなお遠い。新興国のアフリカ開発への参入によって、TICADの存在感が昔よりも弱まってしまった。

 急成長を背景にアフリカ側が以前とは比べものにならないほどの強い自信と自負を持つようになっている。日本が主導するTICADは国連や世界銀行との共催だが、今回から初めて、アフリカ連合(AU)を共催者に受け入れた。今世紀初めに創設されたAUの前身は、1963年に創設されたアフリカ統一機構(OAU)。AU本部のあるエチオピアのアディスアベバで5月に開かれた首脳会議は、OAU創設50周年を祝う場ともなった。

 日本は5年前の前回TICADで行った援助倍増(年18億ドル)の約束を果たし、教育や保健、製造業、農業など多方面での開発援助に取り組んできた。毎年、開催したフォローアップのための閣僚級会合では、互いの対話も積み重ねてきた。

 TICADによる世論喚起なしに、これだけの日本の支援拡大が円滑に実現したかどうか疑わしい。しかし時を経て双方の対話が深まれば、援助国と被援助国という関係を超えた本音の論議が当然出てくるのも仕方ない。

 毎年の閣僚級会合に出席して議論を追ってきたNPOアフリカ日本協議会の稲葉雅紀事務局長によると、今回の首脳会合のため2012年11月、ブルキナファソで開かれた準備会合では、宣言文や行動計画の内容をめぐって議論が白熱。日本側の文案に対してアフリカ側が独自の文案を提示してきた。2012年3月、アディスアベバで開かれた準備会合では、日本側が示した「質の高い成長への変革」という考え方に

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