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護憲政党の可能性と課題――共産党はカテコーンとなり得るか?

五野井郁夫 高千穂大学経営学部教授(政治学・国際関係論)

 「労働者はただ、政治家のような連中が人間らしい生活の最低限と考えているものを要求しているに過ぎない。充分な食べ物、繰り返し襲いかかる失業の不安からの解放、自分の子供が差別されないという保障、一日一度の入浴、あまり汚れないうちに下着が取り換えられること、漏らない屋根、一日の仕事が終わってからも少しは精力が残っている程度の労働時間」(ジョージ・オーウェル著、小野協一訳「スペイン戦争回顧」『オーウェル評論集1 象を撃つ』所収、平凡社、1995年、89頁)

 監視社会への警鐘を鳴らした『1984』や、全体主義批判を行った『動物農場』で知られるジョージ・オーウェルは、共産党批判の急先鋒として知られている。第二次大戦中に相次いで発表した『ライオンと一角獣』や『左派の裏切り』では、より直接的に痛烈な共産党批判を展開した。他方で、独裁に対する抵抗の主力は労働者であったとして、働く者たちに重きを置いていた。

 冒頭の文章はオーウェルが1940年に発表した「スペイン戦争回顧」の一部である。これらのつつましやかな「人間らしい生活の最低限と考えているもの」の多くは、日本国憲法第25条1項の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」たる生存権として保障されている。にもかかわらず、これらの最低限でつつましやかな要求は、現在の日本で働く者たちにとって、より切実な要求となっていることも事実である。

 働けど働けど、わたしたちの生活はいっこうに楽にならない。「ワーキング・プア」と呼ばれる、就労はしていても貧困から逃れることの出来ない働く貧困層は、ますます増えるばかりだ。格差社会は常態化し、若者たちが過労死するまで使い潰すブラック企業が大きな顔をしている社会になってしまった(田中龍作ジャーナル「『どうしてワタミを候補者にするんだ?』 過労死した社員の両親、自民党に抗議」)

 たとえ株価は上がっても、ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツは『世界の99%を貧困にする経済』(徳間書店、2012年)などの著作で、アメリカ合衆国を事例にして、富裕層が豊かになればそのおこぼれが中間層や低所得層へ滴り落ちるというトリクルダウンは、現在まで歴史の事実として確認できないと指摘している。

 では、わたしたちのつつましやかな要求を実現してくれる政党はどこか。

 参議院議員選挙の前哨戦と目された先の都議会議員選挙では、多くの有権者が自民党と公明党に、最低限の人間らしい生活、すなわち充分な食べ物や失業の不安からの解放などを求めた。

 この自民・公明両党についで得票数を獲得し、2009年の都議選の8議席に比べてじつに約2倍の17議席を獲得したのが共産党である。護憲を掲げ、消費税増税の中止や「反TPP」「原発即時ゼロ」を強調することで、政権党である自公や、「慰安婦」発言などで失点を重ねた日本維新の会への批判票を集めることに成功した。都議選での議席増はじつに16年ぶりだ。

 次の参院選で共産党が10議席獲得することが出来れば、参議院での党首討論や議案発議も可能になる。護憲と平和主義から働く者の権利まで、従来リベラルが担ってきた戦後民主主義のエートスを都議選で全面に押し出した共産党の躍進を、どう捉えることができるだろうか。

 現行秩序を脅かす者たちを抑止する力の働きを、カール・シュミットは大著『大地のノモス』のなかで「カテコーン(Katechon)」という、一風変わった概念から説明している。「カテコーン」とは、元来キリスト教神学のなかでしばしば散見され、とりわけキリスト教秩序を破壊しようとする反キリスト者を抑止する力として用いられる概念である。

 現代でもパオロ・ヴィルノやアントニオ・ネグリは、わたしたちの生存を脅かし多様な生を生きることを困難にする新自由主義に歯止めをかける「グローバル・ジャスティス運動」を「カテコーン」と捉える解釈を試みている。

 そうであるならば、「人間らしい生活の最低限と考えているもの」として憲法25条が保障しているはずの生存権と戦後民主主義、そして何よりも憲法秩序が脅かされるとき、現行秩序の破壊者を抑止する「カテコーン」の役割を、護憲を掲げる政党に有権者が期待したことの現れとして、先般の都議選の結果を捉えることも可能であろう。

 しかしながら、共産党の躍進について政治学者の菅原琢は平成21年度の都議選との比較を傍証に、「朝日新聞のような護憲・反原発の訴え届くという解釈は1番目には来ない」という。

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