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『慰安所管理人の日記』公開の裏側

小北清人 朝日新聞湘南支局長

 韓国の書店にいま、実に興味深い内容の、分厚い韓国語の本が並んでいます。

 題名は『日本軍慰安所管理人の日記』。第二次世界大戦中にビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働いた経験のある朝鮮人男性が個人的に記していた日記のうち、慰安所や従軍慰安婦について記述があった1943~44年分を、いまの韓国語に直し、解説をつけたものです(男性は1922~57年までの日記を残していました)。男性は79年に死亡しています。

 10年ほど前、地方の古書店で売られていたこの膨大な日記を、ソウル近郊の博物館が見つけ入手。そのなかに慰安所関連の記述があるのを国立韓国学中央研究院が知り、ソウル大学名誉教授の安(アン)・ピョンジク氏が所属する「落星台(ナクソンデ)経済研究所」に調査を依頼しました。安名誉教授らは2012年5月から本格的な解読作業を始め、その成果をまとめ、今年8月半ばに刊行されたのがこの本です。

 慰安婦問題が日韓の間で大きな問題になったのは90年代初めですが、日記は戦前の、慰安所管理に携わった人物が日々書き留めていたもので、戦地における慰安所の実態というものが、「加工」されることなく、リアルに記されています。これを読めば、慰安所とはどういうものだったか、当時の状況が大体においてわかります。資料が極めて乏しい慰安婦問題の実相を知り、冷静に議論を進めるうえで、まさに一級の資料といえるでしょう。

 「落星台経済研究所」のホームページには、日記の日本語訳も掲載されています。

 日記は8月7日に日本の毎日新聞と、韓国の朝鮮日報によって、特ダネで報じられました。その報道に至る経緯は、韓国における慰安婦問題の現状と、慰安婦問題の「解決」がいかに難しいかを知るのに、格好の素材というべきものでした。

 韓国政治が専門の木村幹・神戸大学大学院教授が、この「慰安所についての日記」の存在を知ったのは、今年2月のことでした。日記の解読を進めている安名誉教授に、その日本語訳を依頼された堀和生・京都大学教授から、「知恵を貸してほしい」とメールで頼まれたのです。

 慰安婦問題は日韓間の、政治的に実に難しい問題になっているのは周知のことで、翻訳を引き受ける日本の研究者は容易に見つからなかったようです。

 安名誉教授は、慰安婦問題が大騒ぎになった90年代初め、元慰安婦の女性らへの聞き取り調査などに深くかかわった人です。慰安婦問題で最も強力な団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)とは当時、緊密な協力関係にありました。挺対協にとっては、戦前の植民地史をよく知り、古い資料も解読できる安氏は貴重な存在でした。

 しかしその後、学者としての研究姿勢を堅持する安氏と、日本を追求・攻撃する運動団体の性格を強める挺対協は対立を深め、決別。独自の道を歩んだ安氏はいま、左派と対立する「韓国ニューライト運動の理論的父親」と呼ばれるようになっています。

 とはいえ、慰安婦問題ではいまも挺対協が圧倒的な「権威」となっており、韓国では慰安婦問題の議論をコントロールする力を持っています。マスコミへの影響力も圧倒的で、挺対協に睨まれれば、元慰安婦女性への取材もできないのが現実といいます。昨春、慰安婦問題を打開しようとした当時の民主党・野田政権が解決案をひそかに韓国政府に打診しましたが、結果はあっさりノーでした。その案を、韓国外交通商部が挺対協側に事前に図ったところ、はねつけられてしまったからです。

 その意味で、「日記」が、挺対協にではなく、その「不倶戴天の敵」安名誉教授に持ち込まれ、解読されたのは、ちょっとした事件だったといえるでしょう。

 依頼を引き受け、日記の日本語訳作業を進めながら、その資料的価値を認めた木村教授らはマスコミ報道を考えます。そこで安名誉教授に相談したところ、安氏は基本的に了承しつつ、一つだけ条件を付けました。

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