赤木智弘(フリーライター)
2013年11月14日
10月31日に赤坂御苑で行われた秋の園遊会で、山本太郎参議院議員が天皇陛下に手紙を渡したことが問題になっている。
最初から山本太郎の議員活動に対して、なんら期待もしていなかった僕にとっては、下劣なパフォーマンスとしてしか映らなかった。4月28日の主権回復の日に政府主催で行われた式典で、天皇陛下バンザイをやらかした議員たちと同程度のパフォーマンスである。
僕はどちらのパフォーマンスも天皇の政治利用として批判するが、もしも天皇バンザイを批判していた山本太郎支持者が、もしも今回の手紙渡しを擁護するならば、それは二枚舌と評価せざるを得ない。
しかし僕が見るに、左派の中には山本太郎を批判するどころか、それを賛美する人達がいる。特にあるジャーナリストが手紙渡しに対して「平成の田中正造だ」と絶賛していたことに、僕は怒りを感じずにはいられなかった。
田中正造は、日本初の公害事件である足尾銅山鉱毒事件を告発し、問題解決に向けて尽力したことで有名な政治家である。最も有名なのは、明治天皇に対して鉱毒事件を訴えるために直訴を行ったことだろう。これを指して件のジャーナリストは山本太郎を平成の田中正造と絶賛している。
僕は彼の名前を子供の頃からよく聞いてきた。なぜなら田中正造は僕の生まれ育った栃木県佐野市の偉人だったからだ。遠足では足尾銅山に行くのが佐野の小学校の定番である。現在の足尾銅山は観光地化され、当時の採掘の様子が再現されている。山々はずいぶんと緑化されたものの、今もなお鉱毒の影響は残され、緑のない山も多い。
当時の小学校であった僕にはつまらない遠足ではあったが、大人になり10年ほど前に足尾を訪れた時には、過去の歴史も含めて、色々と学ぶことが多かった。今流行りのダークツーリズムというやつである。
閑話休題。
とはいえ、田中正造について多くの知識があるわけではないのだが、それでも田中正造と山本太郎が全く違うことは分かる。それを列挙してもいいのだが、特に大きな2点を取り上げたい。
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