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[7]現実的な選択肢としての琉球独立 

金平茂紀 TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

 10月27日、島から島へと渡った。伊豆大島の土砂災害の取材で2週にわたって大島町に滞在した。土砂災害の現場はすさまじいものだった。土石流の波が集落を飲み込んだ箇所もあった。2011年3月に東北の津波被害の現場で見た風景と重なり、デジャヴュ=既視感を覚えた。

 大島も島独特の文化が豊かなところで、住民の横の連帯は都会に比べてはるかに強い。「郷土愛」と書けばきれい事すぎるかもしれないが、島の住民の結びつき方はとても強いと取材をしていて感じた。心の片隅で僕は沖縄のことを考えていたのかもしれない。

 取材を一旦終え、小さな飛行機で羽田空港へと飛び、そこで乗り換えて、僕は沖縄に向かうことになっていた。ほとんど着の身着のまま。第一回琉球民族独立総合研究学会のオープン・シンポジウム「グアム・台湾・パラオから考える琉球独立」を取材するためだ。

 ところが、大島空港には災害支援活動のために海上保安庁や自衛隊のヘリ、航空機がひっきりなしに飛来してきていたので、大島空港からの出発時間は40分以上遅れることになった。羽田に着くと、予約していた那覇空港行きの便は飛び立ったあとだった。

 このまま沖縄に行くかどうか迷った。シンポジウムの開会時間にはもう間に合わない。空港から会場の沖縄大学に直行してもすでにシンポジウムは1時間は経過しているだろう。意を決して、次の便を待つことにした。そうしてよかった。

琉球独立シンポジウムにて=撮影・筆者琉球独立シンポジウムにて=撮影・筆者
 シンポジウムのパネリストには、グアム政府脱植民地化委員会事務局長のエドワード・アルバレスさん、台湾の先住民パイワン族の牧師で社会運動家のサキヌ・テピクさん、それに琉球民族独立総合研究学会の設立に関わった松島泰勝・龍谷大学准教授の3人が名を連ねていた。

 アルバレスさんからは「グアムはポスト植民地時代に残された17の植民地(「国連非自治地域リスト」に登録されている17地域)のなかの一つである」との明確な位置づけが示された。

 僕ら日本人には、観光地としてのグアムしか頭に浮かびにくいところもあるが、実際にグアムに住む人々のことを知らない。

 グアムに住む人々には例えばアメリカ大統領選挙での投票権が認められていない。州議会での正式な議席もない。グアムの先住民=チャモロ人には国連憲章に明記された自己決定権があるはずなのに。

 今後具体的にはグアムには3つの選択肢が与えられているとアルバレスさんは言う。(1)アメリカの州への昇格、(2)アメリカからの独立、(3)アメリカとの盟約に基づく自由連合(コンパクト)方式。アメリカとのコンパクトにはパラオ、ミクロネシア、マーシャル群島の3国が名を連ねている。

 アルバレスさんは、2015年8月にもどのような選択肢を選ぶのかの住民投票が可能になるのではないか、との希望を語っていた。絵空事ではない。ハワイは1959年に州に格上げされたが、それまでは「国連非自治地域リスト」に載っていた。

 台湾原住民の血を引くサキヌ・テピクさんは民族衣装に身を包んで演壇の上にいた。原住民らが多く住む台湾南東部の蘭嶼(らんしょ)という場所に、台湾の原発から出た低レベル放射性廃棄物の貯蔵施設が押しつけられている現実を、サキヌさんは怒りを込めて語っていた。

 実際、2012年、僕らの同僚がこの地に取材に行ったところ、放射性物質のずさん管理による環境汚染が日本の桜美林大学からの研究者グループの調査によっても確認されている。メインランドの中国大陸に対しての台湾独立運動の歴史は古いが、サキヌさんは、台湾原住民の「民族自治」への意識はまだまだ「自信が欠けている」のだという。

 松島さんの「パラオ共和国から考える琉球独立」は、松島さん自身がパラオに住んでいたことがあるので実に説得力があった。

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