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安重根の思いを日韓が知る時、東アジアの未来は開ける

金恵京 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

 菅義偉官房長官は、11月19日、初代韓国統監であった伊藤博文の殺害現場となったハルピン駅における安重根の石碑設置が韓中両政府の合意の下で進行していることを受けて、その行動を批判すると共に、安重根を「犯罪者」と発言した。

 その言質は同日のうちに韓国国内に激しい反発を引き起こし、日韓中の3カ国は記者会見で批判の応酬を行った。私は韓国政府の2013年に入ってからの行動に対して、日本での伊藤博文の評価を考えれば、日韓関係が冷え込んでいる時期にそれを行うことは、日本の反発が容易に想像できるため、控えるべきとの立場をとってきた。

 相手国の反発が予想されることを敢えて行い、関係が険悪になり、相互に同様の行動を繰り返し、関係が悪化するという「不毛なサイクル」に両国が陥る姿をこれまでに何度も見てきた私は、そうした状況の発生に懸念を持っていたのである。

 ただ、今回の菅官房長官の発言は少々行き過ぎている部分がある。

 私の専攻は国際法で、テロに関して研究を進めている。その分野で知られた格言として「ある人にとってのテロリストは、他の人にとっての自由の戦士」というものがある。韓国で民族の英雄とされる安重根はしばしばそうした事例の代表例として語られてきたし、それは拙著『テロ防止策の研究』においても同様である(同書22ページ等)。

 そして、それ自体韓国人にとっては受け入れ難いところではあるが、これまで韓国に強い反感を持つ書物であっても、日本では政治性を伴う「テロリスト」という文言を安に対して使用してきた。定義に立ち返れば、テロと一般の犯罪を分けるものは、その政治性であり、今回の菅官房長官の「犯罪者」発言はそうした安重根の政治的な意図すら否定するものといえる。

 従来の発言より強硬で否定的な姿勢を見せることで、菅官房長官は政権内や日本国内の苛立ちを表現したかったのかもしれないが、元々こじれていた日韓関係が今回の顛末により一層解決が遠くなったことは確かであろう。

ソウルで行われたサッカー東アジア杯の日韓戦開始直前、韓国サポーターは安重根の肖像など巨大な幕を掲げた=2013年7月28日ソウルで行われたサッカー東アジア杯の日韓戦開始直前、韓国サポーターは安重根の肖像など巨大な幕を掲げた=2013年7月28日
 日韓両国が互いに強硬な姿勢を示し続けたこの1年を振り返ってみると、安重根は悪化する日韓関係において朴槿恵大統領に次いでその名前が挙げられてきた韓国人であった。

 ハルピン駅の石碑の件、サッカーの東アジアカップにおける日韓戦の際に韓国人サポーターが彼の横断幕を示したこと、そして今回の犯罪者発言が頭に浮かぶ。

 では、その死から100年以上経った現時点での日韓双方における自らの位置づけに関して、安重根は、どのように感じるのであろうか。それを彼の著作から読み取ってみた。

 彼が獄中で書いた『自叙伝』や『東洋平和論』には、多くの興味深い記述がある。一例を挙げれば、日露戦争時にロシア側に付き、その後もロシアで暮らしていた義勇軍の将校である李範允に対して、安は「貴方の行動は天に背くことだ」と日露戦争当時の自らの立場を明らかにしている。

 安は日露戦争における宣戦詔書の中の「文明を平和に求め列国と友誼を篤くして以て東洋の治安を永遠に維持」するとの思いや「韓国の保全」という文言を信じていた。安はそうした日本の意思は即ち明治天皇の願いと捉え、小国ながら日清・日露戦争に勝利した日本を高く評価していたのである。それは大東亜共栄圏の思想に夢を追ったアジアの独立運動家の姿に重なる。

 しかしながら、彼らの思いとは全く別の方向に戦前の日本が進んでいったように、安の希望もまた韓国統監に伊藤博文が着任して以降の政策によって脆くも打ち砕かれた。

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