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 ソチでの冬季オリンピックの開幕が迫ってきた。しかし、2014年はソチで先住のチェルケス人が虐殺された150周年にあたる。ワシントンのアメリカン大学のアクバル・アフマッドとフランキー・マーティンがアルジャジーラのホームページに掲載した論考などをもとに、チェルケス人と1864年に虐殺について紹介しよう。

 黒海の東岸は古来からチェルケス人の生活空間であった。古代のギリシアでのオリンピックにチェルケス人は代表を送っている。チェルケス人は武勇の伝統で知られていた。たとえば13世紀のユーラシア大陸で無敵の進撃を続けていたモンゴル軍の侵入を撃退して独立を守った。

 またチェルケス人で奴隷としてエジプトに売られた者の中には、当時のアイユーブ朝のマムルークと呼ばれる奴隷の部隊に組み込まれ王朝のために戦った者もいた。やがてマムルークがクーデターを起こし王朝を倒し自らの王朝を成立させた。これをマムルーク朝と呼ぶ。

 その王の一人が、チェルケス人のバイバルスであった。バイバルスは、十字軍を中東から一掃して歴史に名をとどめている。またモンゴル軍を撃破してエジプトを守った。中東を襲った当時の二つの最悪の災害であった十字軍とモンゴル軍の両方に勝利を収めたわけだ。故郷でも、その外でもチェルケスの武勇は鳴り響いていた。

 19世紀に入るとロシアの南下への圧力にチェルケス人は遭遇(そうぐう)した。それまで部族の連合しか持たなかったチェルケス人たちは、1838年に国家の成立を宣言した。そしてイギリスがチェルケス人の国家を承認した。

 しかしロシアの軍事的な圧力は続いた。近代兵器を持ったロシア軍に対してイスラム教徒のチェルケス人は勇敢に戦い抵抗した。頑強な抵抗に業を煮やしたロシア軍は、チェルケス人を虐殺し、生き残った者は追放した。現代風に表現すればジェノサイド(民族絶滅)やエスニック・クレンジング(民族浄化)を行った。

 当時250万から300万いたとされるチェルケス人の半数が虐殺された。 ・・・続きを読む
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筆者

高橋和夫

高橋和夫(たかはし・かずお) 放送大学教養学部教授(国際政治)

北九州市出身、放送大学教養学部教授(中東研究、国際政治)。1974年、大阪外国語大学ペルシャ語科卒。1976年、米コロンビア大学大学院国際関係論修士課程修了。クウェート大学客員研究員などを経て現職。著書に『アラブとイスラエル』(講談社)、『現代の国際政治』(放送大学教育振興会)、『アメリカとパレスチナ問題』(角川書店)など多数。ツイッター https://twitter.com/kazuotakahashi ブログhttp://ameblo.jp/t-kazuo 

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