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アメリカ・ゲーツ元国防長官が思う「義務」

高橋和夫 放送大学教養学部教授(国際政治)

 現在のアメリカで最も悲しい風景の一つは、ワシントン近郊のアーリントン国立墓地の第60区画にある。イラクでは4486名、そしてアフガニスタンでは2313名のアメリカ軍の将兵が倒れた。アフガニスタンでは今でも犠牲が続いている。

 そのうちの多くが、この第60区画に埋葬されている。訪れてみると延々と続く墓石の列が迎えてくれる。墓石の新しさが目に刺さる。涙にくれる遺族や戦友の姿が心にしみる。ゲーツ元国防長官は、ここに自分も眠りたいと回顧録を結ぶ。

 1月に出版されたゲーツ元国防長官の回顧録が米英のメディアで注目を浴びている。ゲーツは2006年にジョージ・W・ブッシュ大統領によって国防長官に任命された。そして2008年の大統領選挙でホワイトハウスの主が民主党のオバマに代わったにもかかわらず、留任して2011年まで国防長官を務め、アメリカ軍のイラクからの撤兵を見届けた。

ホワイトハウスで、新国防長官となるパネッタCIA長官(当時、右)やオバマ大統領と会見に臨むゲーツ国防長官(左)=2011年4月 拡大ホワイトハウスで、新国防長官となるパネッタCIA長官(当時、右)やオバマ大統領と会見に臨むゲーツ国防長官(左)=2011年4月
 2009年に就任したオバマ大統領にしてみれば、アフガニスタンとイラクで戦争を戦っている時期に国防長官のポストの空白は許されないという計算からの任命だった。

 というのはアメリカの閣僚の任命には議会の承認が必要であり、これが往々にして長い期間を必要とするからである。その結果、ゲーツは、共和党と民主党の二人の大統領に国防長官として仕えた。極めて異例であった。

 アフガニスタンやイラクの戦争の内幕物というのは日本でも売れたのだろうか。かつては草稿の段階から翻訳作業が始まり、日米同時発売となった例もあった。ところが、ここで紹介しているゲーツ元国防長官の「Duty」(義務)という固いタイトルのついた回顧録は、未だに翻訳が出ていない。あまり売れそうもないというのが日本の出版業界の判断だろうか。

 確かにゲーツは地味な人物であり、その文体にも華麗さはない。食事にたとえれば、フランス料理ではなくハンバーガーである。しかしゲーツは、それゆえに、まさにアメリカ的な人物である。

 アメリカの中西部カンサス州の小さな町に生まれたロバート・ゲーツはCIA(アメリカ中央情報局)のロシア分析官としてのキャリアを歩んだ。CIAの長官を務めた父親の方のジョージ・ブッシュに認められた。そのブッシュが大統領になるとCIAの長官に抜擢された。CIAを退いてからは、テキサスの大学の学長としての生活を送っていた。

 そのゲーツを国防長官に任命したのは、息子のブッシュの方であった。ゲーツが国防長官に就任した2006年末は、アメリカのイラク政策が混迷の極にあった時期である。2003年に始まったイラク戦争は、当初こそ簡単にフセイン政権を崩壊させて、アメリカの予想通りの展開になっていると思われたが、やがてイラク各地で占領に抵抗する勢力が蜂起した。またスンニー派とシーア派間の宗派紛争が激化して内戦状態であった。

 この時期にブッシュは新しいイラク政策を決断する。イラクに兵力を増派して治安の安定を目指した。このサージと呼ばれる作戦で指揮を執ったのはペトレイアス将軍であった。またワシントンでは、それまでのイラク政策の失敗の責任を取らせる形で国防長官のラムズフェルドを解任した。その後任にゲーツを任命したわけだ。新しい国防長官の下で進められたサージは成功を収めイラクの治安は劇的に改善された。その指揮官のペトレイアスはブッシュの救世主的な存在となった。

 これを花道に引退を考慮していたゲーツに、前述のようにオバマ新大統領が留任を要請する。政権が代わってからの最大のドラマは、オバマ政権内の対立である。一方にオバマとホワイトハウスのスタッフがおり、他方に国防長官と軍がいた。

 オバマは国防長官を留任させたにもかかわらず、信じ切ってはいなかった。少なくともゲーツの筆は、そう語っている。たとえば国防長官と軍は、アフガニスタンへの増派をオバマに無理矢理に決断させようとしている、とホワイトハウスは疑っていた。軍関係の情報のメディアへのリークが続いたのが、この疑いの背景にあった。リークは軍の上層部が意識的に行っているというのがホワイトハウスの認識であった。

 また軍の幹部の一人がペトレイアス将軍であったのも災いした。ペトレイアスは、ブッシュ政権末期のイラク平定作戦で手腕を発揮しその後にアフガニスタンでの戦争の指揮を執ることになった人物である。その戦功ゆえに保守層に人気があったので、この人物が共和党の大統領候補として2012年の選挙に出馬する可能性が喧伝されていた。

 事実アメリカでは保守系のフォックス・ニュースを経営するメディア王のルパート・マードックが、資金を提供するからと同将軍の出馬を促していた。同将軍が出馬しなかった背景には、後に暴露された女性スキャンダルがあったからだろうか。

 さて、オバマは最終的には軍が求めたアフガニスタンへの増派に同意した。しかし、オバマは作戦が成功するとは確信していなかったのでは、とゲーツは振り返っている。言外にあるのは、勝利を信じていないのに、戦場に兵士を送ったとの批判であろうか。

 回顧録の第二のドラマは、兵士たちのためのゲーツの闘いである。 ・・・続きを読む
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筆者

高橋和夫

高橋和夫(たかはし・かずお) 放送大学教養学部教授(国際政治)

北九州市出身、放送大学教養学部教授(中東研究、国際政治)。1974年、大阪外国語大学ペルシャ語科卒。1976年、米コロンビア大学大学院国際関係論修士課程修了。クウェート大学客員研究員などを経て現職。著書に『アラブとイスラエル』(講談社)、『現代の国際政治』(放送大学教育振興会)、『アメリカとパレスチナ問題』(角川書店)など多数。ツイッター https://twitter.com/kazuotakahashi ブログhttp://ameblo.jp/t-kazuo 

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