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スペインは、15世紀に追放したユダヤ人の子孫に市民権を与えるのか?

高橋和夫 放送大学教養学部教授(国際政治)

 スペイン政府が、1492年に追放したユダヤ教徒の子孫に市民権を与える法案を議会に提出して話題を呼んでいる。スペイン政府は「歴史の誤りを正す」ための法案としている。

 市民権を受けるためには、祖先がスペインから追放されたと証明する必要がある。世界のユダヤ人のお金をスペインに呼び寄せようとする政策だろうとの解釈もあるようだ。15世紀にスペインからユダヤ教徒を追いだしたのは、その財産を奪うためであった。今度も、またユダヤ人のお金に目をつけての政策だとの皮肉な論評もイスラエルでは出ている。

 イベリア半島は、かつてはイスラム教徒の支配する地域であった。そこでは、当時のキリスト教社会を上回る高度な文明が輝いていた。ロンドンが寒村であった頃に、イスラム教徒の町であるスペインのコルドバでは街灯がともっていた。

 ヨーロッパでは失われていた古代ギリシアの古典がアラビア語に翻訳され、イスラム世界で研究されていた。そのアラビア語からラテン語への翻訳が行われていたのは、スペインにおいてであった。またイベリア半島ではイスラム教徒の支配下で多くのユダヤ教徒が生活し、繁栄を享受していた。

 こうした繁栄と共存を終わらせたのはカトリック教徒によるイベリア半島のレコンキスタ(再征服)であった。1492年、イベリア半島のイスラム教徒の最後の拠点であったグラナダが陥落し、レコンキスタが完成した。

 カトリック教徒のイザベル女王とフェルディナンド国王が、イスラム教徒とユダヤ教徒に押し付けた選択は、二つであった。カトリックへの改宗か追放であった。

 多くのイスラム教徒が、そしてユダヤ教徒が、イベリア半島を離れた。イスラム教徒の場合、地中海を渡り北アフリカに向かった。

 ユダヤ教徒の流れは二つあった。

 一つはヨーロッパでは比較的に宗教的に寛容であったオランダへの流れである。オランダの首都アムステルダムにポルトガル・シナゴーグと呼ばれる立派なユダヤ教の教堂があるのは、その名残である。17世紀のオランダ経済の急速な発展の遠景にあるのは、ユダヤ教徒の流入であった。

 もう一つの流れはオスマン帝国であった。スルタンと呼ばれた帝国の支配者は、もろ手を挙げてユダヤ教徒を歓迎した。真面目に働いて、せっせと税金を払う人々をユダヤ教徒というだけの理由で追放するなどは、イスタンブールのスルタンの理解を超えた愚行であった。多くのユダヤ教徒がオスマン帝国の各地に移り住みスルタンの臣民の列に加わり納税者となった。今でもイスタンブールには15世紀のスペイン語を話すユダヤ教徒のコミュニティが残っている。

 偶然にも、この1492年にはコロンブスがアメリカに到達している。その後援者はイザベル女王であった。

 当時スペインを追われたユダヤ教徒の子孫はヘブライ語ではセファルディムと呼ばれる。「スペイン系」という意味である。世界に350万人ほどいると推定されている。セファルディムにスペイン国籍を与える法案は未だに成立していないが、イスラエルのスペイン領事館には問い合わせが殺到しているという。

 この動きを受けて、イスラム教徒からも、自分たちに加えられた不正も正されるべきだとの要求が上がり始めた。 ・・・続きを読む
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筆者

高橋和夫

高橋和夫(たかはし・かずお) 放送大学教養学部教授(国際政治)

北九州市出身、放送大学教養学部教授(中東研究、国際政治)。1974年、大阪外国語大学ペルシャ語科卒。1976年、米コロンビア大学大学院国際関係論修士課程修了。クウェート大学客員研究員などを経て現職。著書に『アラブとイスラエル』(講談社)、『現代の国際政治』(放送大学教育振興会)、『アメリカとパレスチナ問題』(角川書店)など多数。ツイッター https://twitter.com/kazuotakahashi ブログhttp://ameblo.jp/t-kazuo 

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