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 映画『アクト・オブ・キリング』は、僕がこの5年間くらいにみた映画のなかでまちがいなく最も衝撃を受けた作品のひとつだ。未解決の問いが宙づりになったままの状態が今も続いている。その問いを自分なりに書き出してみると、以下のようになる。

1) 1965~66年にかけて、インドネシアで実際に起きていたこの大虐殺(犠牲者の数は100万人から200万人まで幅があるが)を、なにゆえ自分は知らなかったのか。ポル・ポト政権による虐殺についてはある程度は知っているのに。

2) 虐殺の実行行為者たちに「再現」を依頼し、それをドキュメンタリー映画作品として、撮影することのなかに、倫理的な問題が存在するのか否か。あるとすれば、それはいかなる倫理的な価値の要請に基づくものなのか。

3) 上記とも関連して、撮るものと撮られるものの間に、ある種の「共犯関係」が成立しているのではないか。両者の利益の集合部分のあいだで、ともに利益が重なる重複部分は、どのような条件のもとで成り立っているのか。平たく言えば、どのように両者は妥協点を見出したのか。

4) 人間の良心をどこまで信じるか。映画において収録された「良心の呵責」とも解釈されうる所作は、どのような条件のもとで起きていたことなのか。何よりも、彼らは、本当に、自分たちが行ったことを悔いているのか。

 この文を書いている最中も、どこかで割り切れない思いが残る。本作品は世界各地で公開され、さまざまな反響を引き起こしているが、(アカデミー賞選考委員会が本作品を退けたことも含めて)、この映画の監督ジョシュア・オッペンハイマーが来日したのを機に、インタビューする貴重な機会を得ることができた(3月25日、TBSにおいて)。

対談を終えたジョシュア・オッペンハイマーと筆者拡大対談を終えたジョシュア・オッペンハイマー監督(右)と筆者
 インタビューは1時間以上に及んだが、こちらが予想していた以上に、ジョシュアが真摯かつ誠実に答えてくれたことに感謝している。分量が相当量に及ぶのと、翻訳の修正に手間取り、この回と次回の上・下2回にわたって、インタビューを掲載することにする(翻訳;TBSニュースバード翻訳グループ+金平)

金平(以下、SKと記す);実際に拷問や虐待を行った人たちに、同胞のインドネシア人に対して行った1960年代の虐殺を再現するように、あなたはお願いしましたね。このような方法で当時を再現することを、どのようにして思いつかれたのですか?

ジョシュア・オッペンハイマー(以下、JOと記す);もともとは虐殺を生き延びた人と一緒に、映画がつくることから始めたのです。ですが、実際に作業を始めてみると、軍部が「この映画に参加しないように」と彼らを脅しました。

 それで、1965年に何が起こったのかを映画にするのではなく、むしろ、加害者/犯罪者が今も権力を握っている状況を映画にしようと思ったんです。生き残った人たちは、いまだにおびえて暮らしています。なぜなら、今でも、加害者たちが同じことをもう一度彼らに対して行うことができるからです。軍部は、生存者たちに映画に参加しないよう脅してきました。

 そうした状況のなかで、生存者たちから「ジョシュ、映画を断念して帰国する前に、加害者たちを撮影し、彼らがどのように私たちの家族/親戚を殺したのか話すかどうかを試してみてよ」と言われたんです。そこで、加害者に実際に接触してみると、驚いたことに、彼ら全員が、すぐに何をしたのか、自慢げに話し出したんです。

 ですから、この映画は、彼らの自慢げな態度への一種の返礼だとも言えますね。私は、彼らの自慢げな態度の理由を何とか理解しようと試みました。一体、何が彼らを、そのような態度にさせるのか、と。つまり、彼らは私の映画を通して、世界に自分たちをどのように見せたいと思っているのかと。

 彼らは自分たちの家族の前でさえ自慢げに豪語します。一体、自分の家族たちにどのように見られたいと思ったのでしょうか。そして、最終的には、自分自身をどのように見ているのか、と。彼らの自慢げな態度への返礼として、私は彼らに言いました。「ほら、あなたたちは自分たちのやったことを私に見せたがっている、しかも自慢げに話しているけど、自分たちが何をしたのかを私に見せたいのなら、見せたいように見せてください」と。

 「私はあなたたちの再現を撮影しましょう。しかし、再現以外にも、あなたやあなたの配下の暗殺部隊の同僚が何を見せたいのか、見せたくないのか、自分自身をどう見ているのかをも撮影しますよ。このことがあなたやあなたの社会にとってどのような意味を持つか、もです」と伝えました。

 ですから、この手法をとったのは、1965年に何が起こったかを描き出すためではなくて、むしろ、現在も力を維持している加害者たちの権力が、インドネシアや社会にとって、どのような意味を持つのかを理解するためだったのです。

SK;あなたは、道徳的な視点から、このような方法を取ることについて躊躇したことはありましたか? この手法が倫理的に正しいのかどうか、迷いませんでしたか?

JO;いいえ。なぜかというと、この方法は、時間をかけて発展していったものだからです。私は、ひとりの部外者として突然インドネシアに降り立ち、じゃあ、殺人者たちに何をやったかを演じてもらいましょう、と言い出したわけではありません。

 最初は、ごく単純に虐殺の生存者たちと一緒に作業を始め、その生存者たちから加害者を撮影するように言われたんです。加害者たちに注意深く接触したところ、彼ら自身が自分たちが何をしたのか話したがっていることがわかりました。彼らは、殺害の最も恐ろしいディテールについても、自慢げに話しましたし、時には、笑顔で家族の前で、幼い孫の前でさえも、ということもよくありました。

 希望に応じて、その素材を生存者たちやインドネシアの人権団体に見せたところ、皆にこう言われました。「ジョシュ、あなたは今、とびきり重要なことに関わっている。加害者たちの映像を撮り続けてください。なぜなら、あなたは何が起こったのかを発見しているだけではなく、それ以上に重要なのは、彼らがこのような態度で話すことを見た人たちが、加害者たちが今もなおインドネシアに押し付けているシステムがどれほど腐敗しているのかを認識せざるを得なくなるからだ、と。今もインドネシアで権力を握っているのは、加害者たちも属している今日の政権そのものなんです、と。

 その時点から、私は、生存者たちや、危険をおかしながら活動している人権団体から、加害者たちを撮影することを信任されたと感じました。私は、北スマトラで探し出すことができたすべての加害者を撮影しました。2年かけてです。

 映画「アクト・オブ・キリング」の中の主人公、アンワル・コンゴは、私が撮影した41人目の加害者でした。彼の前に出会った加害者たちも全員が、すぐに自慢げな態度をみせ、殺害を行った場所に私を連れていきました。そして、どのように殺害したのか、すぐにやってみせてくれました。さらには、殺害の小道具として使った武器を持ってこなかったことや、被害者役を演じてくれる友人を連れてこなかったことを悔しがってさえいました。

 2年間、数百時間もの間、何を自分たちがしたのかを撮影されたがっている加害者を撮影し、私自身、生存者や人権団体と常に接触してきた末にようやく、加害者たち自身に自分たちが何をやったのか、彼らの望む方法で見せるようにしたほうがよいということに気づいたのです。彼らがどのように見られたいのか、実際に自分たちをどのように見ているのかを、彼ら自身で見せることによって、私たちは、虐殺がなにか英雄的なものであるという幻想、建前が崩壊していくのを理解することになる。

SK;あなたの映画に対する典型的な批判だと思うのですが、BBCのある映像編集者が「ガーディアン」紙で語った記事を引用しますと、「高度な意図に基づく殺人映画だ。殺人者に台本を書かせ、殺人を再現させるなど、絶対的に間違っている」と。このような批評に対してはどう応えますか?

JO;それは典型的な批判ではありませんよ。この映画に対する反応は、驚くほどポジティブなものです。その批判者がそんなコメントを寄せたことで明らかになったのは、むしろ彼が、この映画がインドネシア内部にもたらした衝撃を評価しそこなっているという点だと思います。

 この映画は、インドネシア人がどのように過去を語るかについての変化をもたらす触媒となっています。つまり、メディアや大衆が、初めて恐怖におびえずに、虐殺を虐殺として議論する場所を与えたのです。と同時に、虐殺という道徳の破局と、殺人者たちがつくりあげた現政権の恐怖をつなぐことができたのです。

 そして、インドネシアの人々が過去についてどのように語るのかについて全面的な変化をもたらし、そのことによって、政府は1965年に起こったことが誤りであったことを認めざるを得なくなったのです。

 あなたが引用したガーディアンの記事に関して興味深いことがあるのですが、オンライン上のこの記事に関するコメントを読んでみると、何百ものコメントがインドネシアにいるインドネシア人から届きました。その批判者に対して「なぜあなたは、軍や殺人者側にいるのか」と問うているんですね。この質問を、彼らは私にはしません。彼らは批判者に対してこの質問をしているのです。彼らが言うには、インドネシアでこのような批判をしているのは、加害者自身だけだというのです。

 そのほかにこの批判の中で私たちが考えなくてはいけないことは、殺人者たちには演説台(platform)が与えられてはいないということです。演説台とは、人がそこに立ち、述べなければならないことを述べ、それが終わると役割を終える場所です。彼ら=加害者たちは、私の映画の中に登場します。

 最初から彼らはそれが映画だと知っています。それらのシーンは映画のためだけに存在しているのです。完成したシーンをコントロールすることは彼らにはできないのです。彼らの映画を彼らがつくっているのではないのです。ですから、この映画は彼らのための演説台ではありません。

 この映画は、多くのインドネシア人(生存者たちや人権団体活動家たち)と共同製作されたものです。彼らは自分たちの身の安全のために匿名とされています。その意味では、この映画は、生存者や人権団体の視点により製作されており、加害者の視点からつくられているのではありません。

 最後にこの批判に対して述べておかなければならないことは、批判者が次のように言ったことに対してです。「これはアルゼンチンに行って、隠れている年老いたナチスを探しだし、彼らの犯罪を劇化するのと同じことだ。そして、それは不適切だ。」と。

 そういう主張が根本的に見落としているのは、加害者たちは何もアルゼンチンに逃げ隠れなんかしているわけではなく、彼らは今も自国の権力の座にいてわが世の春を謳歌しているということです。この『アクト・オブ・キリング』という映画は、本来ならば自分たちの行ないを恥じているであろう加害者たちをそそのかして、何をしたのかを劇化したのではありません。この映画は、加害者たちの保持している現在の権力を暴露し、その権力に介入することをめざしたものなのです。『アクト・オブ・キリング』は、過去にインドネシアにおいて製作されたどの文化作品よりも、インドネシアにおける加害者たちの権力を弱体化させることができたと自負しています。

SK;インドネシア、アメリカ、ヨーロッパ、そして日本では、この映画への反応にいくぶん違いというものがあるでしょうか? もし違いがあるのならば、特にヨーロッパとアジアではどのような違いがありますか?

JO;一般的に言えば、世界中でこの映画をみた人の反応は、私がアンワル・コンゴのような人物に接した勇気や能力に対してのものだったことに驚きました。彼はこの映画の主人公で、何百人もの人を殺害した人物ですから無理もないのですが、彼に身近に接して感情を共有し、思いを感じ取ったことに対しての反応だったと思います。

 映画をみた人たちが、加害者と自分を結びつけて考えた瞬間に、世界を善人と悪人に区別する道徳上の嘘が、そして、私たちのジャーナリズム、テレビ、物語の語り、フィクション、映画の根幹をなす道徳上の真っ赤な嘘が崩壊するのです。映画をみた人たちは、自分が自分が考える以上に、加害者に近づいてしまったことに気づきます。世界的な反応ということで言えば、これが、アメリカ、ヨーロッパ、日本、そしてもちろんインドネシアでもですが、この映画に対する基本的な反応です。

SK;ガーディアン紙の記事で興味深かったのは、あなたがアブグレイブ・スキャンダルの写真に関して触れていたことです。当時、私はアメリカのワシントンDCに住んでおり、このスキャンダルが新聞などに掲載されたときにも取材していました。アブグレイブ収容所での虐待写真を私が初めて見たときにきわめてショックだったことは、うら若い米軍の女性兵士が死体の横でにっこりと笑顔でポーズをとり写真に収まっていたことです。写真の米軍兵士たちはまだ若者たちでした。それが現実です。それらの写真はひどくショッキングで、人間の本質が何なのかを再認識させる類のものでした。

JO;あのような映像には私もショックを受けましたね。『アクト・オブ・キリング』の構成作業の非常に重要な段階であの映像が出てきたものですから。2004年の早い段階のことです。二人の暗殺部隊のリーダーが私をある川岸に連れて行きました。軍隊が1万500人もの人を殺害することに、彼が手を貸した場所でした。毎晩、インドネシア軍のエスコートで囚人をトラックで集め、川のある場所に連れていきます。1人1人を川岸に連れて行き、首をはねました。

 彼らは私に、どのようにそれをしたのか、それぞれ被害者と加害者をかわるがわる演じ、見せてくれました。それが終わると、年長の加害者が、小さなカメラを取り出し、私の音響担当のスタッフに、川の前でポーズを取るから記念写真を撮るように言いました。そして、笑顔で親指を立て、Vサインのポーズを取りました。それが2004年1月です。

 その後、ロンドンの自宅にインドネシアから戻ったのですが、非常に落ち込み、不快な気持ちになりました。どうして彼らはあのようなポーズを取れるのか、自問しました。その後、このことをずっと引きずっていたときに、2004年春、あのアブグレイブの写真を目にしました。アメリカ軍の兵士が、イラク人を拷問し、辱めながら、親指を立て、ピースサインをし、時には、彼らが拷問したとみられる捕虜と一緒にポーズを取っている写真です。

 アブグレイブの写真でも、北スマトラの川でポーズを取る二人の男性の写真でも、私が衝撃を受けたのは、写真によって記録された犯罪行為ではありませんでした。私が衝撃を受けたのは、その写真が撮られる直前までおこなわれていた拷問に対してでもなく、川で再現された殺害に対してでもなかったのです。それは、どのようなモラル=倫理の欠落によって、このような写真が撮られたのかということでした。

 これらのスナップ写真は楽しい思い出の一コマなのでしょうか。『アクト・オブ・キリング』は私にとっては、その質問に答えようとした試みなのです。この映画は、グローバルな対テロ戦争で何が起きたかに関するものではありません。ましてや私の国の政府がしていたような拷問を賛美するような映画でもありません。私の映画作りの原動力は、何の罰を受けずに、また大衆の祝福を受けながら、自らの国の政府が人々を拷問し、失踪させ、殺害していたことに対する怒りでした。

SK;あなたがいくつもの重要な指摘をするのを聞きながら、私は著名なアメリカの批評家・故スーザン・ソンタグの写真に関する著作を思い出していました。(続く)


筆者

金平茂紀

金平茂紀(かねひら・しげのり) TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

TBS報道局記者・キャスター・ディレクター。1953年、北海道生まれ。東京大学文学部卒。1977年、TBSに入社、報道局社会部記者を経て、モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、ワシントン支局長、報道局長、アメリカ総局長、コロンビア大学客員研究員などを経て、2010年より「報道特集」キャスター。2004年、ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『沖縄ワジワジー通信』(七つ森書館)、『ロシアより愛を込めて――モスクワ特派員滞在日誌 1991-1994』(筑摩書房)、『二十三時的――NEWS23 diary 2000-2002』(スイッチ・パブリッシング)など。共著に『テレビはなぜおかしくなったのか<原発・慰安婦・生活保護・尖閣問題〉報道をめぐって>』(高文研)、『内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなたへ』(角川書店)など多数。

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