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「基本的方向性」は解釈改憲か?

 いよいよ安倍首相が、私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の報告書の提出に際して、憲法解釈を変更して限定的ながら集団的自衛権の行使を検討する考えを表明した(5月15日)。首相が語ったこの「基本的方向性」は、もちろん戦後日本の平和主義を根本的に変更しようとする大転換である。

 日本にとってこのように大きな転換を行うような政策を安倍政権が打ち出すことは、参議院選挙以来、予想されていたことである。

 むしろ、参議院選挙の結果、安倍首相は明文改憲をすぐに行うことをあきらめて、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認に踏み切ろうとしているのだから、予想された範囲の中ではむしろマイルドな方である。しかも、上記の報告書は、国連の集団的安全保障への参加も容認するものであるのに対し、首相はそれについては斥け、集団的自衛権の限定的行使に限定する考え方を示した。

 このような方向になったのは、公明党がまだ集団的自衛権に慎重な態度を崩していないからであろう。拙稿「公明党が握る平和憲法の命運」(WEBRONZA 2013/7/25)で指摘したとおり、まさに公明党が平和憲法の命運を握っており、その判断が問われている。

 その支持母体である創価学会が集団的自衛権の行使についての取材に対し、憲法改正手続きを経るべきだという見解を示して(5月16日)波紋を呼んでいるが、「平和の党」を自称してきた公明党の判断が注視されるところである。

 明文改憲よりはマイルドだとはいえ、すでに多くの論評がある通り、これがこれまでの日本の根本的方針を変える大問題であることは言うまでもない。この憲法解釈の変更は、「解釈改憲」という言葉があるように、事実上の改憲であるという批判は論理的に十分にありうるだろう。

 解釈改憲という言葉は、これまで憲法を破壊するような違憲行為という意味を含んで用いられることが多かった。そこで、この大問題を論じるにあたって、まずは憲法解釈ないし解釈改憲との関係を論じておきたい。

立憲主義とは何か?

 安倍首相は日本近隣を含めた「日本の安全保障環境の大きな変化」をこのような大転換の理由としてあげ、支持派も状況の変化によって憲法解釈の変更に賛成している。これに対して、批判派は立憲主義の観点から、一内閣の判断で憲法解釈の変更をすることは許されないと反対している。

 立憲主義とは、近代的な憲法は権力を縛って人権などを守るものとする考え方である。これまで歴代内閣は、日本は個別的自衛権の行使は可能だが、集団的自衛権に関しては、独立国である以上保有はするがその行使は平和憲法の制約によって許されないとしてきた。そこで、このような大原則を一内閣の判断、閣議決定で修正することは、「権力者が憲法の根幹を破壊する行為」という批判を憲法学者などからも浴びている。

 このような批判は、2013年末の特定秘密保護法の成立の際から激しくなった。そして、今回はほとんどの有力な憲法学者が反対を表明している。立憲主義に対する破壊は、それを黙認しては憲法学の存在意義を問われるような深刻な行為だからである。

 ここでいう立憲主義とは、現行憲法が立脚している個人主義や自由主義を基礎とする近代立憲主義のことであり、単に政府が憲法に立脚した統治を行うことを意味しているのではない。後者は、近代立憲主義の立場からいえば、君主国などにおける外見的ないし擬似的立憲主義に過ぎない。

 安倍首相は、国会で憲法の性格について問われて、「国家権力を縛るものだという考え方があるが、それは王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え方だ」と答えた(5月3日)と報じられている。もちろん、立憲主義は王権や専制に対する批判によって築き上げられた思想であるとともに、今日の民主主義的国家における大原理でもあるから、これは決定的に間違っている。

 さらに集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更をめぐり、首相は「(政府の)最高責任者は私だ。政府の答弁に私が責任を持って、その上で選挙で審判を受ける」と述べた(5月12日)というが、近代立憲主義からいえば、民主主義的に選挙を行えば最高権力者は憲法解釈を変更することが許されるというわけではない。

 民主主義的な選挙に基づいて成立した内閣でも、人権をはじめとする憲法の基本理念に関わる重要事項は一内閣が自由に変更できないとするのが近代立憲主義であり、もし憲法改正なしにそのような立法や政策を行えば、違憲判決を受けるということになる。

 だから、安倍首相の考え方は、近代的立憲主義には明確に反している。そこで、集団的自衛権行使をめぐる憲法解釈変更も、このような近代立憲主義に反しているのではないかという批判が強くなっているわけである。

憲法解釈の変更は立憲主義に反するのか?

 しかし、集団的自衛権行使に関する解釈変更の問題を考えるに当たっては、そもそもこの点に関する憲法解釈の変更という行為がただちに立憲主義の破壊とまで言えるかどうかを論理的に検討する必要があるだろう。戦後に日本政府は憲法解釈を変更したことがないわけではなく、しかも平和主義や安全保障政策に関する大変更をしたことがあるからである。ところがこれまで憲法学者も含めて多くの人びとは憲法解釈の変更を「立憲主義の破壊」とまでは断じてこなかった。

 だから、賛成派の立場からすれば、憲法解釈の変更はこれまでもなされてきたことだから、今回の変更もその延長線上にある行為であり、立憲主義の破壊にはつながらないということになろう。現に、法制懇の報告書では、平和主義に関する憲法解釈の変遷を説明した上で、新しい憲法解釈を提案している。

 実際に、憲法解釈の変遷はこれまでも存在したのだから、状況の変化にあわせたこのような変更も論理的には考えられないではないと思う人も少なくはないかもしれない。そこで、安倍首相も記者会見で「立憲主義にのっとって政治を行っていく。当然のことだ」とだけ述べて平然としているわけである。

許される憲法解釈変更はあるのか?

 過去における憲法解釈のもっとも大きな変更は、自衛隊の存在に関するもので、第2次世界大戦の直後に、吉田内閣が新憲法によって日本は自衛権の発動による戦争はしないとしており、憲法学界でもそれが通説であったのに対し、政府は警察予備隊、そして自衛隊を創設し、それに伴って憲法解釈を変更した。第9条は個別的自衛権の行使を容認していると解釈するように変更したのである。

 これに対して、護憲派の政党や憲法学者は、このような憲法解釈の変更を「解釈改憲」と批判して、自衛隊は違憲であると批判した。このような立場はしばしば非武装平和主義と言われる。ところが、その後、自民党政権が長く続き自衛隊が事実上定着するにあたって、このような批判は声が小さくなり、かつての「革新政党」が衰退することによって、政治的にも言われることが少なくなった。特に、社会党が村山内閣発足時に自衛隊を合憲と認めたのは、この決定的な転機であった。

 いま立憲主義の観点から、安倍内閣の「基本方針」を批判する人びとの中で、あまり解釈改憲という言葉は使われていないように思われる。その理由は、この言葉を使って「基本方針」を批判すると、かつての非武装平和主義や自衛隊違憲論を連想させてしまうからだろう。

 今回問題になっている集団的自衛権とは、政府解釈では「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」であり、要は、日本が直接攻撃を受けなくとも他国やその軍隊を守るために自衛隊による武力行使を行うことを認めることを意味する。

 だから、日本が他国に攻撃された場合に武力行使を行うという個別自衛権行使よりも、集団的自衛権の行使ははるかに武力行使を積極的に認めることになる。たとえば、幾つかの条件を満たしていれば、アメリカ軍とともに、海外の戦争に参加することが可能になりうる。これが、「戦争ができる国家」への体制転換と警戒されているわけである。

 そこで、「基本方針」における最大の論点は、「個別自衛権の行使は認められるが、集団的自衛権の行使は許されない」という従来の政府解釈からの解釈変更が是か非か、ということである。

 もともと個別自衛権の行使や自衛隊の存在を違憲とする非武装平和主義の立場からすれば、もちろん集団的自衛権の行使は認められず、それは論外であるという他はない。この立場からすれば、自衛隊の存在自体が違憲なのだから、日本が攻撃されていないにもかかわらず外国の軍隊とともに武力を行使するのは、違憲に決まっている。「基本方針」は、自衛隊を創設した段階での「解釈改憲」と同様に、再び「解釈改憲」を行おうとしているわけであり、違憲行為を重ねることに他ならない。

 しかし、このような論理だと、自衛隊の存在を自明視している多くの人びとには説得力を持たないだろう。そこで、「基本方針」に対する反対論は、あまり「解釈改憲」という言葉を使わずに、むしろ「立憲主義」の破壊という観点からの批判を行っているように思われる。

 確かに、上記のように、安倍首相の考え方には近代立憲主義に対する無理解を疑わせるものがあり、このような批判には傾聴すべきところがある。しかし、こと集団的自衛権に関する解釈の変更それ自体に関しては、どうだろうか? この点も考えてみる必要があるだろう。(つづく)


筆者

小林正弥

小林正弥(こばやし・まさや) 千葉大学大学院社会科学研究院教授(政治学)

1963年生まれ。東京大学法学部卒業。2006年より千葉大学大学院人文社会科学研究科教授。千葉大学公共研究センター共同代表(公共哲学センター長、地球環境福祉研究センター長)。専門は、政治哲学、公共哲学、比較政治。マイケル・サンデル教授と交流が深く、「ハーバード白熱教室」では解説も務める。著書に『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう(文春新書)、『サンデル教授の対話術』(サンデル氏と共著、NHK出版)、『サンデルの政治哲学 〈正義〉とは何か』(平凡社新書)、『友愛革命は可能か――公共哲学から考える』(平凡社新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『神社と政治』(角川新書)など多数。共訳書に『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業』(ハヤカワ文庫)など。

 

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