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狡猾な文言挿入

 さらに、極めて重要なのは、与党の間で、閣議決定に関して集団安全保障における武力行使への道を開く可能性も暗に了承されているということである。前稿の後で報じられた閣議決定の最終案は、次のような文面になっている。

「……必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として憲法上許容される。
 わが国による『武力の行使』が国際法を順守して行われることは当然だが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する。憲法上許容される『武力の行使』は国際法上、集団的自衛権が根拠となる場合(も→)がある。」
※ゴチックは文言の変更箇所

 高村修正私案では、「自衛の措置」という言葉が使われており、それは閣議決定最終案でもそのまま存在する。そして、これが国際法でいう集団的自衛権行使の容認であることも明記された。さらに、この閣議決定案では、憲法が認める「武力の行使」について「国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する」とした上で、「国際法上は、集団的自衛権が根拠となる」とした前回の案に「場合もある」を追加する案が初めに示された。

 わざわざ憲法上の根拠と国際法上の根拠を区別すると書いているのは、国際法上は「自衛権行使」ではないが、憲法上は「自衛の措置」と解釈する場合があるということである。集団的自衛権行使容認だけを目的とするのなら、このような文言は不要である。

 つまり、これは、集団的自衛権のみならず、集団安全保障のための武力行使を可能にするための文言に他ならない。これは、極めて狡猾な文言の挿入であり、事実上、集団安全保障に基づく自衛隊派遣を可能にするための布石である。

 つまり、ここで暗に想定されているのは、憲法解釈上は「自衛の措置」と考えられていても、国際法上は、集団安全保障に基づく侵略国に対する制裁戦争ないし武力行使に相当する「場合もある」ということである。だからこそ、高村修正私案でも「自衛権の行使」と明言せずに「自衛の措置」という文言を使ったのだろう。そして、この新3要件を「自衛権発動の3要件」ではなく、「自衛の措置」としての「武力行使」の新3要件としたのだろう。

 「場合もある」という表現には公明党側が難色を示したので、最終案では「場合がある」に修正した(6月27日)。しかし、もし集団安全保障における武力行使を考えないのなら、そもそもこの箇所は不要だから、意味は変わらない。

 つまり、自民党は集団安全保障における武力行使を閣議決定で明記することは断念したが、なお将来に実現することを考えており、そのための布石として閣議決定案に「…場合がある」を忍び込ませたわけである。

集団安全保障における武力行使への布石

 事実、6月24日の与党協議後に、高村副総裁は「集団安保はできないのか」という記者の問いに対して「そうではない。できないなら、できないと(閣議決定案で)触れるのだから」と述べたし、この文言修正後にも集団安全保障での武力行使を否定したわけではないと解釈しているという。

 さらに、政府が作成した国会における想定問答も報道され、政府が集団安全保障での武力行使をも想定していることが明確になった。集団的自衛権行使による武力行使を行っている間に、国連安保理が武力行使容認の決議を採択しても、この活動を途中で止める必要はない、としているのである。

 つまり、たとえばペルシャ湾で機雷除去の活動を「集団的自衛権」による武力行使として行っていても、安保理決議の後は、それに基づく集団安全保障としての武力行使を、憲法上は「自衛の措置」として継続できる、というのである。

 そもそも、集団安全保障における武力行使は、国連安保理決議に基づき多国籍軍などによる制裁戦争ないし武力行使に加わることを意味する。これは、制裁だから侵略国などに対する攻撃である。だから、集団的自衛権行使が理念としては友好国を守ることを目的とするのに対し、これは侵略国などを武力により攻撃して叩くことを目的とする。

 第2次安保法制懇は集団的自衛権行使とともに、集団安全保障の武力行使をも容認するように提案したが、安倍首相は記者会見において後者を可能にする憲法解釈については「政府として採用できない」と明確に否定した。ところが、自民党側は与党協議の最中に唐突に集団安全保障の武力行使を閣議決定に入れるように提案し、安倍首相の言葉と明確に矛盾する方針を推進した。

 これは、中東における機雷除去を行うことができるようにするためであるという。機雷除去は国際法上は武力行使に相当するので、具体的にはホルムズ湾における機雷除去が、当初は集団的自衛権による武力行使として行われても、国連安保理決議が出されれば途中から集団安全保障における武力行使に切り替わることがあるので、それに対応できるようにするというのである。

 しかし、この論理には歯止めがないから、無制限に拡大解釈されるおそれがある。今は機雷除去を念頭に置いていても、この論理はいかなる「武力行使」にも適用できるからである。たとえば集団的自衛権行使として自衛隊を派遣した後、制裁戦争が始まると、自衛隊がそのままその戦争に参加することが可能になってしまう。ずるずると拡大解釈が行われて、結局は集団安全保障における制裁戦争に参加することになりかねないのである。

 しかも、さらに拡大解釈すると、はじめから集団安全保障による武力行使が行われる場合にすら、日本はそれに参加できることになってしまう。

 つまり、ある国からの武力行使に対して、はじめから集団安全保障による制裁戦争が行われる時にも、日本は日本自身の「自衛の措置」として、その攻撃国に対する武力行使に参加できることになりかねない。つまり、日本は憲法上は「自衛の措置」として、国際法上の制裁戦争に参加するということが可能になってしまうのである。

制裁戦争という「戦争」への参加

 つまり、これは、これはまさしく多国籍軍などによる制裁戦争にいわば参戦することに他ならない。安倍首相は記者会見で「自衛隊が武力行使を目的として、湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してない」と断言したが、まさしくそのような事態が可能になるわけである。湾岸戦争は、安保理決議に基づく集団安全保障による武力行使として行われた制裁戦争なのである。

 そして、同じことは東アジアでも起こりうる。たとえば、 ・・・続きを読む
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筆者

小林正弥

小林正弥(こばやし・まさや) 千葉大学大学院社会科学研究院教授(政治学)

1963年生まれ。東京大学法学部卒業。2006年より千葉大学大学院人文社会科学研究科教授。千葉大学公共研究センター共同代表(公共哲学センター長、地球環境福祉研究センター長)。専門は、政治哲学、公共哲学、比較政治。マイケル・サンデル教授と交流が深く、「ハーバード白熱教室」では解説も務める。著書に『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう(文春新書)、『サンデル教授の対話術』(サンデル氏と共著、NHK出版)、『サンデルの政治哲学 〈正義〉とは何か』(平凡社新書)、『友愛革命は可能か――公共哲学から考える』(平凡社新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『神社と政治』(角川新書)など多数。共訳書に『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業』(ハヤカワ文庫)など。

 

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