2014年07月10日
国会閉会中の7月1日夕刻、安倍内閣は、臨時閣議において、憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使を認める閣議決定を行った。これにより、1954(昭和29)年の自衛隊発足以来、専守防衛のみを基本としてきた、日本の安全保障政策の歴史的転換が行われたことになった。
この閣議決定は、国会での審議を経ずに、自民党および公明党の与党内の調整だけで行われた。議院内閣制で連立を組んでいる以上、公明党と調整するというのは当然のことである。だが、同党も、あくまで連立を維持することを前提に、自民党との交渉に臨んだわけである。
そのことを思えば、武力行使できるようになったものの、同党が交渉したことによって、安倍総理が記者会見で発言したように「現行の憲法解釈の基本的な考え方は何ら変わることはない」ため、今回の変更の実態は現状と変わらないという体裁を整え、公明党の面子を保った形で、大きな変更を加えたことになる。
そして、今回の集団的自衛権の閣議決定は、政権が「基本的な考え方が変わらない」と発言しようがしまいが、これまでの内閣が主張してきた集団的自衛権は認められないという主張から、一歩踏み出したことになる。
これは、別のいい方をすれば、内閣が新たなる立法行為を行ったということもできるのである。議院内閣制で内閣に法案提出権があるとはいえ、立法とは、日本国憲法上は、本来国会に属する行為である。議院内閣制のもとで法案提出権があるとはいえ、行政である内閣は、国会で立法された法律等の執行する権力に過ぎないはずである。
つまり、考え方によっては、内閣が憲法違反をしたといえなくもないのである。
また、今回の閣議決定に関して、最近多くの世論調査がなされている。たとえば共同通信の世論調査では集団的自衛権反対は54%(7月1、2日に実施)、朝日新聞の世論調査では集団的自衛権行使容認反対56%、議論不十分76%(6月21、22日実施)などとなっており、安倍政権への内閣支持率も最低を記録し、低下してきている。
このように、国民の間では、集団的自衛権への意見は分かれ、議論が不十分であると考えられているのである。
そのように国民の意見が分かれている現状も受けた形で、朝日新聞6月25日付のオピニオンページに、元カンボジアPKO施設大隊長・渡辺隆氏のインタビュー記事が掲載されている。
同氏は、自衛隊の隊員や指揮官にある、不安で複雑かつ混乱した感情を素直に表現しており、「もしかしたら、任務遂行の過程で自分(自衛隊員)は死ぬかもしれない。その死が国民みんなから『よくやった』といわれるものでなければ、とてもやっていられないですよね。自衛官は国と国民と政府を信じています。信じなければ、命をかけて仕事などできません」と語っている。
以上のように、国民も自衛隊員も戸惑っている状況があるのだ。その中で、今回の集団的自衛権に関する閣議決定が行われたのである。
そして、この脈絡から、筆者は、去る2月12日の衆議院予算員会における、憲法改正ではなく解釈変更により集団的自衛権の行使を容認できるかという質問に対する、安倍総理の次の発言を思い出した。
「(憲法解釈の)最高の責任者は私だ。政府答弁に私が責任を持って、その上で私たちは選挙で国民の審判を受ける。審判を受けるのは内閣法制局長官ではない。私だ」(朝日新聞2014年2月14日))
このような状況や出来事を考えていくと、筆者に一つの言葉が思い浮かんだ。
それは、「超然内閣」という言葉だった。
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