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[2]「安倍政権の憲法クーデター」説

小林正弥 千葉大学大学院社会科学研究院教授(政治学)

「憲法クーデター」という学問的批判

 前稿(【閣議決定後の日本政治をどう捉えるべきか?(1)】――「上からの体制変革」の決定的開始」)で述べたように、「憲法クーデター」というような批判が沖縄の地方紙で現れ、政治でも「憲法破壊のクーデターとよぶべき暴挙」(志位和夫・共産党委員長)、「憲法クーデター」(照屋寛徳・社民党議員)というように、護憲派の社共の政治家たちは「クーデター」という言葉を使って安倍政権を非難している。

 このような日本国内の政治的批判だけを見ると、この概念は過激な政治的なレッテル貼りと見えるかもしれない。

 しかし、実は必ずしもそうではない。国内の地方紙だけではなく、海外でも『フォーリン・ポリシー』のような一流誌で同様の批判的論説が現れている。

 これは、もっとも有名なアメリカの外交雑誌の1つであり、そこに掲載された「不誠実な安倍――なぜ私たちは、憲法を修正しようとする日本の首相の動きについて心配せざるを得ないのか」(6月27日)は、思想的にも現実的にも極めて重要なので紹介してみよう。

『フォーリン・ポリシー』安倍政権をとりあげた『フォーリン・ポリシー』のウエブサイト
 ネットなどでは『フォーリン・ポリシー』の論説が「クーデター」という概念を使って安倍政権の閣議決定を批判したと話題になっているが、それだけではなく執筆者が重要である。

 ブルース・アッカーマン(イェール大学教授、法学・政治学)と松平徳仁(神奈川大学准教授、公法学)の連名であるが、筆頭執筆者のアッカーマンは世界的に有名な法哲学者・政治哲学者だからである。

 アッカーマンは、『私たち、人びと(人民)』(1991、1998年)などで、リベラルな共和主義という思想的な立場から、アメリカの「憲法政治」についての重要な議論を展開しており、学界では日本でもよく知られている。

 「憲法政治」とは、「通常政治」の時期とは異なって、改憲をはじめ憲法の変化が生じる時期の政治を意味する概念であり、アッカーマンはこの時期には人びと全体による公共的熟慮や討議により憲法の制定や修正を行うべきである、と考えている。筆者もしばしばアッカーマンのこの議論を紹介しながら今の日本の政治を「憲法政治」という観点から説明している(坂野潤治、新藤宗幸、小林正弥編『憲政の政治学』東京大学出版会、2006年)。

 この論説は、「安倍首相は憲法のクーデター(constitutional coup)を試みようとしているーー特別な国民投票で日本の人びと(人民)の支持を得ることなく、憲法の基本的な内容を廃止しようとしているのである」と述べる。

 そして、この行為を「非憲法的な手段によって急激な変化を達成するために、国民投票を省略する」という抜け道を使っているとみなし、「もし彼のクーデターが成功するのなら、[今後]この国の自由民主主義的な遺産をさらに破壊することを可能にするような先例となるだろう」とする。そして、公明党の抵抗を乗り越えることができるのなら、「国内ないし海外の世論が強く反対しない限り、非憲法的手段による憲法的革命になるかもしれない」としている。

 さらに、自民党の改憲草案では、たとえば基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」としている現行憲法第97条が削除されており、「公益及び公の秩序」を根拠に言論や結社の自由が制限される条項が含まれていることに言及する。

 そして、安倍首相が憲法を修正し国民投票の手続きを侮辱して扱うなら、それはさらに憲法的クーデターが行われるような恐るべき先例を作り出すだろうと警告するのである。

 彼らは、この憲法修正を「オーウェル的な『再解釈』」とまで呼んでいる。ジョージ・オーウェルとは、『動物農場』(1945年)などで有名なイギリスの作家で、『1984年』(1949年)で全体主義的・管理主義的な悪夢の世界を描いたので、オーウェル的という形容詞はこれらの思想や傾向を表す時に使われる。

 そして、彼らは、ケネディ駐日大使は「アメリカは、[日本が]憲法第9条と厳密に守っている場合にのみ軍事的協力を支持する」と述べるべきだし、オバマ政権が

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