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【憲法学で読み解く民主主義と立憲主義(2)】――憲法73条から集団的自衛権を考える

木村草太 首都大学東京教授(憲法学)

 憲法上の「自国を守るための武力行使」、国際法風に言うなら「個別的自衛権の行使」が、9条の例外として、憲法前文や13条を根拠に認める、という政府解釈のロジックは、前回の話で一応ご理解いただけたかと思います。

 では、最近議論されている集団的自衛権、つまり、自国への武力攻撃が無いにもかかわらず、他国が武力攻撃を受けたことを理由に武力行使する権利についても、考えてみましょう。集団的自衛権は、国際法上は認められています。国連憲章51条に、きちんと権利として書かれています。

提供拡大提供=国立市公民館
 問題は、日本国憲法の解釈として、他国を守るための武力行使を根拠付けるような条文があるか、ということです。集団的自衛権の可否というのは、憲法9条の問題というよりは、9条以外の条文のどこかから積極的な根拠を見つけてくることができないか、という問題になります。

 結論から言うと、日本国憲法上は、今話題になっている外国の防衛を手伝う作用、他国防衛を基礎付けるような根拠はないと言われています。条文全体を探しても根拠がありません。「無いこと」の証明は、一般にはとても難しいわけですが、集団的自衛権については、案外、それが「無いこと」の決定的な証拠があるんです。

 それは憲法73条です。この条文をちょっと見てください。9条を読んだことがある人はたくさんいると思いますが、73条を真面目に読んだことがあるという人はあまりいないと思います。

第73条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
1 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
2 外交関係を処理すること。
3 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
4 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
5 予算を作成して国会に提出すること。
6 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
7 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。

 これは非常にマニアックな条文で、憲法学者でも1年のうちにそんなに見ることはないものです。

 内閣というのは行政権を担っていますが、「内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ」と書いてあります。要するに内閣がやる仕事はこの範囲でやりますよ、と内閣の仕事を列挙した条文です。

 内閣は行政権の主体なので、当然行政事務をやってくれないと困ります。ということで、本文ではそう書いてあるわけですが、さらに1号で「法律を誠実に執行し、国務を総理すること」と書いてあります。

 これも、これだけで一回講義ができるぐらいのとってもおもしろい条文なんですが、前半では「法律を誠実に執行し」と書いてあります。行政事務というのは、法律の執行という形で具体的に権力を行使する作用ですが、基本的には法律に根拠がなくては何も出来ません。法律に書いてあるとおりに、マニュアルどおりにやるということになりますから、それ自体はそんなに派手な仕事ではありません。

 これに対して、後半の「国務を総理」というのは、その前の計画を立てて、国家全体をこういうふうに運営していきましょうという基本計画とか国家の指針を示す作用です。

 どんな団体でもやはり、いきなり何か行動をすることはなく、団体の基本的な計画や指針が決められて、それに応じて予算が組まれ、法律あるいは規則がつくられ、それが執行されていくことになります。日本の場合は、国政全体の計画を立てて、国政をリードする仕事を、内閣が担っているわけです。

 内閣がやっている一番大きい仕事はこの「国務の総理」です。皆さんは内閣総理大臣の施政方針演説をご存じだと思いますが、内閣が法律の執行だけやっているのであれば、施政方針演説なんて必要ないわけです。「今年も法律をきちんと執行します」と一言、言えば終わることでしょう。

 施政方針演説は、こういう形で国を動かしたいということを国会に対して説明することで、批判を仰ぎ、また生産的な議論につなげるという仕事です。憲法73条は、一般行政事務に普通は含まれない、国務を総理するという仕事も内閣の仕事なんですよ、と示しているわけです。

 行政というのはすごく広い意味で、大抵の業務はこれに含まれるので、行政に含まれる仕事とそうでない仕事の区別なんて、あまり意識したことはないと思います。しかし、概念規定としては、行政にも重要な限定がかかっているのです。

 具体的には、行政は、国内で公共の福祉を実現するための活動で、国内主権を行使して行う活動でなければなりません。ということは、行政には外交は含まれていません。日本の外でやること、外国との交わりというのは、行政ではないんです。

 国内での権力行使は、日本政府が主権を持っていますから一方的に権力を行使するという形で意思を完徹できます。しかしながら、当然、外国に対しては日本政府の主権は及びません。韓国にも、中国にも、アメリカにも日本の主権は及ばない。日本がいくら「俺の言うことを聞け」と言っても、別に聞く義理はないわけです。ですから、外国と交わる仕事は、行政とは異なる「外交」という仕事に分類されます。

どこにも書かれていない軍事権

 ところで、外交というのは、他国の主権を尊重し、対等の立場で行う活動です。これに対して、軍事というのは、他国の主権を制圧して行う活動です。

 例えば、隣国との紛争がのっぴきならない状況にあった場合、政府が「外交努力を続けます」と言ったら、普通空爆をすることはないと誰もが思うでしょう。それは空爆というのは相手の意思を制圧して行う武力行使であり、軍事活動だからです。

 武力行使の可能性を示しつつ、外交交渉を進めることはあっても、外交はあくまで、相手国に主権があることを前提に、その主権を制圧せずに対等の立場で行う作用です。外交作用と軍事作用は、性質を異にしているのです。

 ですから、一般に、憲法には、行政とは別に外交と軍事の規定は別に設けて書くことになります。ほとんどの国では、行政や外交の権限やその行使手続の規定とは区別して、軍事の規定が置かれています。

 日本は鎖国しているわけではないので、外交はやらなくてはいけない。では、どこが担当する事務なのかというと、憲法73条2号に、「外交関係を処理すること」が内閣の事務だと書いてあります。

 では、外国と約束をする、条約を締結するのはどうか? これも外交の一種ですから、内閣だけで認めても良さそうですね。しかし、条約というのは国民全体の生活にかかわる非常に重要なことなので、3号で、条約の締結については国会の承認を得てくださいと決められています。

 日本国憲法を見ていくと、実はこの第73条に軍事の規定がないんです。内閣の権限規定はここにしかないので、73条の1~7号に掲げられていない限り、その活動はできません。しかし、そこに軍事に関する記述がない。したがって、日本国憲法は軍事活動をしないことが前提になっている、そういう憲法なのです。

 当たり前ですが、軍事活動を想定している国は大抵、軍事のための条項を設けています。大日本帝国憲法でも、非常にいびつな形ではありましたが、軍事権、つまり統帥権は天皇の大権ですよと憲法に書いてありました。これと対比して日本国憲法を読むと、その73条に列挙されていないということは、軍事権限を消去しているということです。したがって、内閣は軍事権の行使として説明できるような活動はしないということになります。

 自国内の安全を確保するための、個別的自衛権の行使として説明できるような武力行使は、もちろん疑義もありますが、消防活動や警察活動の延長にあって、行政権の一種ということになるでしょう。国内の犯罪者が、放火や殺人をしたら警察が捕まえるのに、それを外国政府がやったら、何も対抗手段が無い、というのは不自然です。

 しかし、日本国内の安全ではなく、外国のために、日本国外で武力行使を本格的にやるということになると、これは行政権の延長としては理解できません。軍事権ということになります。軍事権を行使できるのだとすれば、当然、憲法典に書かれていなければならない。けれども、どこにも書いていない。

 ですから、今すぐ集団的自衛権を行使できるようにしなければならない、と言っている人を見ると、「やりたいのは分かったけど、73条のどこの事務なの?」と聞きたくなります。しかし、これは、やりたいとおっしゃっている方の大抵は答えられません。

 「一般行政事務」ではないですね。一般行政事務というと、市役所に行って住民票を出してもらうみたいなことをイメージしますので、外国を空爆するのとは大分違います。

 「国務を総理」も違いますね。「外交関係を処理」は先ほど言ったように、外交というのは相手国の主権を尊重してこその作用ですから、まさか武力行使がこれに含まれるというわけにいかない。ということで、本文、1号、2号、3号まで簡単に潰れます。

 残るのは4、5、6、7号ですが、4、5、6号は、もっと望みがなくて(笑)、官吏に関する事務を掌理する――ことではないですね、予算の作成、これも違う。政令の制定、これも違いますね。ということで残ったのは大赦、特赦、減刑、刑の執行、これが集団的自衛権と関係しているなんて言ったら、何を考えているんだということになります。ですから、結局はできないですね、ということになるわけです。

 普通は、「書いてないということはやらないということなのだな」と解釈します。集団的自衛権の行使は、どう解釈しても無理だろうというのが、一般的な解釈です。

 今、初めてこの話を聞かれると、何だ、そんなことかと思われるかもしれませんが、集団的自衛権の解釈では憲法9条ばかりに注目が集まっていて、9条だけで考えると実はわからないというところが大切なんですね。

 9条だけを見ていると、自衛隊が許されるなら、個別的自衛権が許されるなら、集団的自衛権だって認められるはずじゃないか、そういう安直な議論になってしまいがちです。しかし、個別的自衛権と集団的自衛権は、たとえ国際法上は並べて議論されているとしても、日本国憲法上は、まったく話が違うんですね。

 憲法9条はもちろん重要ですが、9条を前提に、その例外を許す特別な根拠規定があるかと探してみると、集団的自衛権を基礎付けるようなものそれはどこにもないし、73条を見ると、明確にないと言っているわけです。

 「集団的自衛権ネッシー論」というのを私は唱えています(笑)。集団的自衛権というのはまさにネッシーのようなもので、「いる」と言っている人はいますが、普通は「いない」ということになっています。ネッシーがいるか、いないかはともかく、そういう生き物がいるという証拠はないわけです。だから、生物学的には、いないと扱う。それと同じように、行使すべきか、すべきでないかにかかわらず、集団的自衛権が憲法違反であることは明白です。

 ここのところは、憲法解釈論をまじめにやる限り、どうしたって変えようが無いんです。そこを捻じ曲げると、もはや解釈ではなくなってしまいます。 (つづく)

*この原稿は、2014年8月31日、東京・国立市公民館で開かれた「『図書室のつどい』 哲学と憲法学で読み解く民主主義と立憲主義」(國分功一郎氏、木村草太氏)の講演をもとに構成したものです。

國分功一郎 【哲学で読み解く民主主義と立憲主義(1)】――7・1「閣議決定」と集団的自衛権をどう順序立てて考えるか (2014/10/17)

國分功一郎 【哲学で読み解く民主主義と立憲主義(2】――解釈改憲に向かう憎悪とロジック (2014/10/18)

國分功一郎 【哲学で読み解く民主主義と立憲主義(3】――民主主義と立憲主義はどういう関係にあるのか? (2014/10/20)


筆者

木村草太

木村草太(きむら・そうた) 首都大学東京教授(憲法学)

1980年生まれ。東京大学法学部卒業後、同大学助手、首都大学東京准教授を経て現職。専門は憲法学。著書に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)、『憲法の急所』(羽鳥書店)、『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)、『憲法の創造力』(NHK新書)、『テレビが伝えない憲法の話』(PHP新書)、最新刊に『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』(晶文社)、共著に『未完の憲法』(潮出版社)、『憲法の条件――戦後70年から考える』(NHK出版新書)、『検証・安保法案――どこが憲法違反か』(有斐閣)など。趣味は音楽鑑賞と将棋観戦。棋譜並べの際には、菱湖書・竹風作の彫埋駒を使用。

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