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【憲法学で読み解く民主主義と立憲主義(3)】――ネッシーは本当にいるのか?

木村草太 首都大学東京教授(憲法学)

 では、集団的自衛権に関する議論は、一体、どうなっているか、ということです。

憲法と集団的自衛権をめぐる動きの現状拡大憲法と集団的自衛権をめぐる動きの現状
 ということで、ビジュアル的にやったほうがわかりやすいのではないかと思って図をつくりました。わかる人はわかると思いますが、わからないけれども興味のある方は、『指輪物語』の本を開いていただきますとよくわかるかと思います。

 いくつか隊があって、最初に出てきたのが一番有名な北岡(伸一)隊で、安保法制墾(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)ルートというのがあります。本丸は「集団的自衛権行使容認」と書いてある右側の場所です。原作では悪の居城バラドドゥアがあるところですが、とにかくここに攻め入ろうというわけです。

 安倍政権本陣から、正面突破のルートがこれです。北岡伸一先生の「国際法違反でなければ憲法9条には違反しない」という理屈があるわけです。

 5月15日に安保法制懇という首相の私的諮問機関が正面突破を図ろうという報告書を出しました。さすがに憲法9条と正面衝突します。ここの門をあけるには、きちんとした憲法改正という鍵を持ってきてくださいということで、このルートは早々に放棄されました。

 いつの段階で放棄されたかというと、この作戦が提示された5月15日、すなわち安保法制墾が首相に報告書を提出した時点です。正確には、5月15日の夕方4時ごろです。放棄されたのはいつかというと5月15日の5時10分ごろ(笑)。報告書提出からわずか1時間10分後に放棄された戦線です。安倍首相自身が記者会見を開き、これはちょっとこれまでの解釈と整合しないみたいなことを言って、早々に放棄しました。

 北岡伸一先生というのは東大法学部教授、国連大使を経て現在国際大学長を歴任されていて、小林節先生に言わせると、「経歴だけは立派な方」ということなんですけれども(笑)、私は小林先生とはやや見方を異にしておりまして、経歴も本業の学問的な業績も立派な人であると思っております。北岡先生のご専門は、日本政治外交史でして、昭和の外交史にとても詳しい方です。

 けれども、北岡先生は憲法解釈に関しては素人もいいところです。こんな解釈は通るわけがありません。北岡先生は5月いっぱいぐらいまではいろんなメディアで発言されていたのですが、だんだん新聞やテレビの側もわかってきたのでしょうか、北岡先生は呼ばれなくなりました。

 本陣はどちらのルートだったかというと実は高村(正彦)隊です。これは3月31日に示されたルートですが、自民党の国防部会で高村先生(自民党副総裁)が演説をされました。砂川判決で、自衛の措置として集団的自衛権の行使が一部認められているという話をされたわけです。

 この高村演説によって、集団的自衛権行使はちょっとおかしいんじゃないかと言っていた議員の方も、なんだ、最高裁判決があるのか、それなら認めてもいいんじゃないかという空気になって、党内の反対論が一気におさまったという議員のリポートがありました。たぶんそのとおり、だったのだと思います。前回申し上げたネッシーの例でいえば、まさにネッシーの写真が示されたということですね(笑)。

 では、本当にネッシーがいるのかということです。新聞等で報道されてご存じの方も多いかと思いますが、砂川判決というのは、ちょっとした小競り合いがあって米軍立川基地の敷地に立ち入ってしまった人が起訴されたという事件です。被告人は、そもそも米軍が駐留していることが違憲なんだから、立ち入ったとしても別に罪にならないという主張をしたのですが、裁判所は、少なくとも米軍の駐留は合憲ですよと判断しました。

 ここでの争点は米軍駐留の合憲性です。日本政府が集団的自衛権を行使できるかどうかといった話は全然していません。それどころか、自衛隊が違憲かどうかという話も被告人はしているわけですが、それは今回の争点ではないので今回は判断しないと言っています。集団的自衛権どころか、そもそも個別的自衛権についてすら、何も言っておりません。

 この砂川事件の判決文から、集団的自衛権の行使を容認するという読み方をするのは、相当に無理があるわけでして、ネッシーで言うと、その写真のネッシーが模型だったことが判明したわけです(笑)。つまり、安保法制懇と限定容認の2本のルートは、ちょっとどうしようもないということになりました。

 そのほかに注目すべき見解としては、石破茂先生の見解が上げられます。これがどういう理屈かというと、なかなか興味深いものです。

 『文藝春秋スペシャル 2014年夏号』でインタビューを受けた、石破自民党幹事長(当時)の発言を紹介します。

 正直に申し上げると、十数年前までは私も「集団的自衛権を認めるなら憲法改正が必要だ」と考えていました。しかし、佐瀬昌盛先生(防衛大学校名誉教授)の論文などに触発され、考えを深めていくようになりました。集団的自衛権が行使できないというのは、憲法のどこにも「行使してはいけない」と書いていない以上、あくまで憲法解釈としての制約に過ぎない。その場合の憲法解釈が正しいのであれば憲法を改正しなければなりませんが、もし解釈が間違っているなら、何も憲法を変える必要はない、そう思い始めたわけです。
 ……そもそも、なぜ憲法九条の解釈として「集団的自衛権の行使は許されない」と言えるのか、それを論理的に説明できた人は誰もいません。国会でも合理的に透徹した説明をした人はいない。それは結局、合理的には説明できないからではないでしょうか。

 これは、憲法のどこにも集団的自衛権を行使してはいけないと書いてないではないか、だからやっていいんだと、そういう理屈です。しかも我々憲法学者を挑発しています。なぜ憲法9条の解釈として、集団的自衛権の行使は許されないと言えるのか、それを論理的に説明できた人は誰もいません、とおっしゃっているからです。

 ここまで言い切るのは相当調べているのだろうなと普通は思いますよね。しかし、先ほど述べたように、そもそも憲法9条に武力行使はするなと書いてあるわけです。それにもかかわらず、行使してはいけないとは書いていないというのですから、石破先生は憲法9条の文言をそもそも読まれたことがあるのか、という疑念すら生じます。

 また、「書いていないからして、やってよい」ということにはなりません。先ほど言ったとおり、「書いていないことはできない」と考えるのが一般的です。恐らくここにいる皆さんであれば誰もが簡単に、5分もあれば論理的に理解できると思います。

 そうすると石破先生のおっしゃっている、書いてないからやってよいというルートも無理ということになります。

 結局、憲法改正という方法をとらずに集団的自衛権の行使を容認することはできません。では、7・1閣議決定はどうしたかといいますと、図で見ていただくと、「集団的自衛権行使容認」という本陣に入らずに、まったく別の方向に陣を構えたということになります。

閣議決定の範囲も破るのか?

 閣議決定の内容は非常に簡単な話です。

 「我が国の存立が脅かされる事態であれば、実力行使が許される」。これが従来の政府解釈でした。今回の閣議決定を文書として読んでみると、他国への武力攻撃によって日本の存立が脅かされる事態が生じた場合には、それは我が国の存立を脅かす事態ですから、武力行使ができます、としたわけです。

 そして、ここにいう「我が国の存立が脅かされる事態」というのは、これまでの文脈だと、要するに、我が国への武力攻撃という意味です。今回の閣議決定は、「他国への武力攻撃によって、我が国への武力攻撃が発生した場合には、それに対し武力行使ができる」といっています。

 これは、どういうことかというと、個別的自衛権の行使としても説明できる場合には、集団的自衛権の行使をしてもよいのではないか、個別的自衛権と集団的自衛権のどちらでも説明できるときには、集団的自衛権の行使と説明することはできるのではないかと言っている。文章自体はそういう内容になっています。ですから、國分先生のおっしゃっていたとおり、これまでの憲法解釈を変更するものでないといえば、文章自体は、実は変更していないことになっているわけです。

 では、変更がないという言質がとれているのかということになります。(1)の冒頭で私がしんぶん赤旗さんの取材を受けたという話をしましたが、閣議決定の意味を教えてくれと言われたので、今申し上げたような説明をしましたところ、「うちの新聞は閣議決定を批判しているので、そういう説明だとまずいんです」と言われまして(笑)、結局、残念ながら掲載されなかったわけです。

 一方、公明新聞さんは私の言ったことをそのまま載せています。もしも、拡大解釈するつもりであれば、私の記事など、与党公明党として載せるわけにいかないはずですが、「これまで集団的自衛権の行使をやるべきだと言っていた方たちが、この閣議決定を批判しないのがおかしいぐらいだ」という私の発言をきちんと載せたわけです。

 では、自民党はどうか。「日曜討論」(NHK)に出させていただいた際、小野寺防衛大臣(当時)に直接、「今回の閣議決定は、個別的自衛権と重なる範囲で、集団的自衛権の行使を認めたものということになっていますが、アメリカ政府にもそれは、きちんと伝わっていますか」と質問をしました。

 すると、「はい、限定的なものであるというふうに伝えております」というふうにお答えになった。これは公共の電波に乗ったことですから、言質がとられています。

 ご本人が、どれぐらい発言の意味を意識されていたかどうかはわかりませんが、少なくとも、現役の防衛大臣も、集団的自衛権の行使に、非常に強い限定をかけた閣議決定であるということを認めたわけです。私は、この発言をいつでも取り出せるように録画しております(笑)。

 このときは、もう自分が決勝点のゴールを挙げたつもりで帰ってきたんですが、あんまり反応がありませんでした。番組自体への反響はネットを検索しても、結構あったのです。主な反応は、私の目つきが怖い、とかですね(笑)。

 あとは、司会者の運営が恣意的だというのは、集団的自衛権に反対する人からも、賛成する人からも言われていました。限られた時間の中での進行なので、少々気の毒な気もしますが、メディアに対する国民の不信感の表れでしょうか。

 ともかく、個別的自衛権と重なる範囲でしか集団的自衛権は行使できない、という解釈を現役の防衛大臣が認めたというのはけっこう大変な事態だと思います。しかし、そこに反応してくれたメディアはほとんどなかった。しかたがないので今ここで紹介したわけです(笑)。

 ただ、だからといって安心できる状況にはないというのは、國分先生がおっしゃったとおりです。閣議決定の文章自体はこうなっているわけですが、安倍首相やその周辺の発言を聞いていると、もっと踏み込んだことを当然やるつもりのようですし、今回の閣議決定でできるようになったと思っているらしい。

 つまり、憲法も、自分たちで決めた閣議決定の範囲も、それを自分たちで決めたことすらも破ってしまうかもしれない、そういう状況にあるのです。 (つづく)

*この原稿は、2014年8月31日、東京・国立市公民館で開かれた「『図書室のつどい』 哲学と憲法学で読み解く民主主義と立憲主義」(國分功一郎氏、木村草太氏)の講演をもとに構成したものです。

國分功一郎 【哲学で読み解く民主主義と立憲主義(1)】――7・1「閣議決定」と集団的自衛権をどう順序立てて考えるか (2014/10/17)

國分功一郎 【哲学で読み解く民主主義と立憲主義(2】――解釈改憲に向かう憎悪とロジック (2014/10/18)

國分功一郎 【哲学で読み解く民主主義と立憲主義(3】――民主主義と立憲主義はどういう関係にあるのか? (2014/10/20)


筆者

木村草太

木村草太(きむら・そうた) 首都大学東京教授(憲法学)

1980年生まれ。東京大学法学部卒業後、同大学助手、首都大学東京准教授を経て現職。専門は憲法学。著書に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)、『憲法の急所』(羽鳥書店)、『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)、『憲法の創造力』(NHK新書)、『テレビが伝えない憲法の話』(PHP新書)、最新刊に『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』(晶文社)、共著に『未完の憲法』(潮出版社)、『憲法の条件――戦後70年から考える』(NHK出版新書)、『検証・安保法案――どこが憲法違反か』(有斐閣)など。趣味は音楽鑑賞と将棋観戦。棋譜並べの際には、菱湖書・竹風作の彫埋駒を使用。

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