左右の振り子運動を超える日は来るか?
2014年11月27日
日本政治を少し振り返って、総選挙を考えてみよう。戦後日本においては、「55年体制」と言われたように、自民党が長期的に政権を維持して高度成長を実現した。
しかし、その政治の中心は派閥、族議員や後援会などに象徴されるような親分―子分関係の政治であり、利益誘導政治だった。だから、高度成長が終わり、少子高齢化が進み始めて財政状態が厳しくなると、「前近代的」と言われたこのような政治は行き詰まり、「政治改革」が叫ばれるようになった。
当時は、「これで近代的な政治が実現し、日本政治に明るい未来が開かれた」と期待する人も多かったに違いない。
けれども、そのような期待感を今でも持ち続けている人はほとんどいないだろう。
民主党政権は、「新しい公共」や「脱官僚」をはじめとする当初の理念をすぐに半ば放棄して、官庁と妥協し、現実主義化した。そのような姿に人々はすぐに幻滅して、政権は瓦解したのである(WEBRONZA「民主党政権はなぜ失敗したのか?――理念を軽んじた『政党』の自壊」)。
それに代わって期待が集まったのは、逆に右翼的な政治だった。前回の総選挙では、第3極が注目されて、石原慎太郎氏が共同代表となった「日本維新の会」が躍進し、都知事選でも田母神候補が61万票も集めた。このような現象の中には、極右的な政治が含まれている。
さらに、政権を担った安倍政権は、かつての自民党政権に比べて、右翼的思想が強く、当初は第96条などについての憲法改定を目指していた。ただ、参議院選挙の結果、公明党とあわせてかろうじて3分の2を得たものの、公明党の慎重姿勢のために方針を転換し、現行憲法のもとで集団的自衛権行使容認を強行した。明文改憲を一度はあきらめて、解釈改憲へと舵を切ったわけである。
このような政治は、あたかも「戦前」を思わせるような国家主義的政治であり、解釈改憲によって実際に再び「戦争」が起こる危険性が危惧された(WEBRONZA「【閣議決定後の日本政治をどう捉えるべきか?(8)】――『準極右的体制変革』による『戦前化』と平和祈念日」)。民主党政権とは反対に、「戦前」のような右翼的政治が復活したわけである。
民主党への幻滅のあまり、このような右翼的政治に「日本政治の明日」を託す気持ちになった人も少なくはないだろう。今回の総選挙では、その可否がまさに問われているのである。
ただ、これらの極右的政治や右翼的政治には、政治的な迷走や退行現象と思われる動きも少なくはない。
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