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解散・総選挙は、集団的自衛権論議には迷惑千万だ

各党の公約・主張に強いピンぼけ感

谷田邦一 ジャーナリスト、シンクタンク研究員

 「この時期の解散は迷惑千万。国民が理解できないまま感情的な対立だけが深まってしまう」

 安倍政権が掲げる安全保障法制見直しを担当する防衛省幹部の1人はこう嘆く。

 成否はともかく数々の施策を打ち出してきた経済財政分野と違って、安全保障分野は自公両党の温度差から足踏み状態が続いている。何ら具体像を示せないまま解散・総選挙に突入したことで、今後の議論の行方に影を落とすのではないかと危惧する声が政府関係者からも高まりつつある。

集団的自衛権の行使容認について、会見で説明する安倍晋三首相=7月1日、首相官邸閣議決定後の集団的自衛権論議はどうなった?=2014年7月1日、首相官邸
 集団的自衛権の行使を限定的に容認した2014年7月の閣議決定によって、自衛隊の活動はどう変わるのか――。

 もし衆院解散がなければ、年内にも新たな安全保障法制の「骨子」の概要が示され、日米の防衛協力の在り方を定める指針(ガイドライン)も改定されて、現政権がめざす新たな安全保障政策の全体像が見えてくるはずだった。

 ところが、突然の解散で何もかもが先送りされてしまった。

 いま与党から提示されているのは、いかようにも読み取れるあいまいな閣議決定だけ。これをもって選挙の争点にすえようというのは、有権者にとってあまりにも酷(こく)としか言いようがない。中身がわからない福袋を選ぶのに、袋のデザインや形状をよく見て一番いいものを決めろと言われているようなものだからだ。

 7月以降の動きを、簡単におさらいしておこう。

 安倍政権が目ざしているのは、これまで日本への攻撃があった場合に限ってきた自衛権の行使を、密接な関係にある他国が攻撃を受けた場合にも拡大して認めようというものだ。米国への依存が大きい日米安保体制をより対等な関係に近づけ、日米同盟を強化したいとする安倍氏の願望の反映ともいわれる。

 閣議決定には「武力行使の新3要件」が盛り込まれ、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」がある場合に限って集団的自衛権の行使を認めるとした。ただし、すべてはこの段階で止まってしまっている。

 主な理由は2つ。

 1つは、具体的にどのような場合に行使を容認するのかをめぐり、前向きな自民党と慎重な公明党の間に見解の相違があること。

 もう1つは、世論の反発が予想以上に強く、安倍首相は関連法案の提出を秋の臨時国会から2015年の通常国会に先延べし、本格的な審議は来春の統一地方選が終わる5月以降まで封印しようとしているためだ。

 国民の反応は予想通りだった。朝日新聞が閣議決定の直後に行った世論調査では、安倍政権が集団的自衛権を使えるようにしたことを「よくなかった」と答えたのは50%で、「よかった」と答えた30%を大きく引き離した。他の報道機関の調査でもおよそ半数が行使容認に反対し、8割が「議論は不十分だった」としている。

 そうした世論の反発を裏付けるように、内閣支持率も行使容認の議論が本格化した6月に43%に落ち込み、7月と8月には第2次安倍政権で最低の42%を記録した。この数字からは、この議論がさっぱりわからない国民が相当いて、その多くが強い反発を感じていることが容易に読み取れる。

 だから与党は作業を中断してしまったのだ。

 防衛問題の専門家でさえ議論の先行きが読めない者が少なくない。決まっていないことが多すぎるのだ。

 例えば、集団的自衛権の行使をめぐる与党協議ではいくつもの事例集が登場したが、結局、閣議決定には一切盛り込まれなかった。どんな場合なら憲法上許されるのかは今もあいまいなままだ。また、自衛権行使の3要件にある「国民の生命が根底から覆される明白な危険」とは一体どういうケースを指すのか。絞り込みは一切かけられていない。

 さらに挙げるなら、自衛隊の任務はどこまで拡大するのか、米国側は何を望んでいて米軍と自衛隊の新たな役割分担はどうなるのか、改定される法案に新要件がどのように盛り込まれるのか。有効な歯止め策は設けられるのか、適用地域は日本周辺に限定されるのか、されないのか。周辺事態法など従来の法制度とはどう整合性をつけるのか……。

 集団的自衛権の問題だけでなく、有事と平時の間のグレーゾーン事態への対応や国連平和維持活動(PKO)など集団安全保障の問題についても、何も具体的に決まっていない。わからないことだらけではないか。

 こんなシロモノをもって一体、国民に何を問おうというのか。経済政策や社会保障問題は具体的な数値やデータを主張の根拠として示しているのに、この分野に限っては不親切きわまりない。

 かくして与野党ともに、勝手なイメージだけをもとに根拠のない主張をしたり相手の言葉尻をとらえた浅薄な批判を始めたりしている。選ぶ側は何が正しいのかがわからないまま、ただ混乱しているというのが実相ではないか。

 安全保障法制の整備についての主張を、いくつかの政党の公約から抜き出してみよう。

 自民 「閣議決定に基づき、いかなる事態に対しても国民の命と平和な暮らしを守り抜くため、平時から切れ目のない対応を可能とする安全保障法制を速やかに整備する」
 公明 「安全保障法制整備は閣議決定を的確に反映した内容となるよう検討。国民の理解が得られるように丁寧に取り組む」
 民主 「集団的自衛権の行使を容認した閣議決定は立憲主義に反するため撤回を求める」
 共産 「日本を『殺し、殺される国』につくりかえる憲法違反の閣議決定を撤回させる」
 生活 「安倍内閣が閣議決定した憲法の改正なき集団的自衛権の行使容認には憲法9条にのっとり断固反対する」

 各党が具体的に何を目ざしているのか、読者のみなさんは想像できるだろうか。日本を取り巻く環境の変化をどうとらえ、どういう事実をもとに、近隣国との緊張関係をどのように和らげようとして、どんな備えをしようと考えているのか。安全保障に不可欠の論理立てた説明が一切ない。

 語られているのは、平和主義の理念や手続き論だけの印象がある。前回の「集団的自衛権論議に抜け落ちている視点はないか」で述べたように、国の安全保障を論じるには具体性がなければ議論は深まらない。

 冒頭に挙げた防衛官僚の嘆きがよくわかる。これでは十分な背景も事情も説明されないまま、漠然と好き嫌いだけを問われているのに等しい。

 案の定、序盤戦では毎日のように「隣国の侵略を許してはならぬ」「戦争を仕掛ける国になってしまう」「徴兵制が復活する」などと現実味を欠いた絶叫が街頭で響いているありさまだ。

 きっとこの人は集団的自衛権問題を争点にすれば、感情論が先立つ中傷合戦になることを予測できていたのだろう。「何を問うか問わないかは、政権が決める」と記者会見で言い放ち、メディアから「身勝手な理屈」などと批判された菅官房長官のことだ。

 菅氏は「わが党はすでに憲法改正を国政選挙の公約にしており、(信を問う)必要はない」と釈明、7月の閣議決定は選挙の争点にはならないと強弁した。今回の選挙の争点にしたくないという気持ちの表れだったのだろう。

 2003年の衆院選から日本もマニフェスト選挙の時代に入ったとされる。有権者に政策本位の判断を促す傾向にあるのは結構なことだが、今回の衆院選における安全保障政策、とりわけ集団的自衛権問題に関する選挙公約については、肝心の公約や主張そのものがピンぼけの感が強い。

 日本を取り巻く環境が今どうなろうとしているのか、現実を踏まえない論議が多いなかで、耳にした印象、頭に浮かんだイメージを頼りに判断することがどんなに危険なことか。

 国民の大半が「解散のタイミングは今じゃない」と冷ややかなのは、消費増税の先送りやアベノミクスの成果だけでなく、安全保障の問題でも大義を問う意味がないと感じていることの表れだろう。