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旅券返納命令への異議(上)

政府・外務省はジャーナリストの役割を理解していない

川上泰徳 中東ジャーナリスト

 シリアへの取材を計画しているジャーナリストに外務省が旅券を返納させた問題が、憲法で保障する「移動の自由」や「言論の自由」の侵害に当たらないのかと議論になっている。

 この問題では、私もフリーランスのジャーナリストの会合などに招かれて、意見交換や議論をする機会を得た。法律問題ではなく、この問題から見えてくる海外で活動する日本人ジャーナリストの役割について考えてみたい。

 旅券返納は、中東やアジアなどの紛争地で取材を行うフリーランスのジャーナリストにとっては死活問題となる。

 それだけに、ジャーナリストたちの危機感は強い。さらにYahoo!サイトの旅券返納の是非を問う投票で、20万人以上が投票した2月半ばの段階で75%が返納させたことを支持していることが、危機感をより深刻にしている。

 これはジャーナリストが中東などの紛争地に取材に行く意味が、日本の国民に理解されていないということである。ジャーナリストからも「ジャーナリズムの役割や、なぜ危険な場所に行くのかという意味を説明してこなかった」という反省の声を聴く。

 旅券を返納させられた新潟市在住のフリーカメラマン杉本祐一氏の記者会見での声明によると、地元新聞の記者に「またシリアに行くのか」と聞かれて、「シリアでの取材を検討している」と答えたという。そのやりとりの詳細が、新聞に掲載されたことから、外務省から電話がかかり「取材はやめて欲しい」と言われたという。

 杉本氏は「イスラム国の支配地に行くつもりはありませんでした」と語っている。ただし、2014年11月にシリア北部のコバニを取材したことがあるという。コバニは「イスラム国」に支配され、その後、クルド人部隊が1月末に激戦の末に奪還した。

 杉本氏は「コバニがイスラム国から解放され、クルド人部隊による海外記者を案内するプレスツアーも行われているというので、ぜひ、取材に行きたいと思い、現地行きのチケットを手配した」と話している。

 外務省はシリアに「退避勧告」を出している。杉本氏がシリアの一部であるコバニ行きを主張したことが、外務省が返納を求める理由となったようだ。

 杉本氏は続けて、こう語っている。

 「そもそもシリアに入るかどうかも、現地で信頼できる仲間と相談して、現地情勢を見定めながら判断しようと思っておりました。刻一刻と情勢が変わる紛争地では、当初の予定通りにことが運ぶとは限りませんから、遠く離れた新潟ではなく、シリア国境近くで情報を収集し、判断したかったのです」

 杉本氏と外務省の実際のやりとりは分からないが、杉本氏の説明を聞く限り、ただ紛争地に入ればいいということではなく、現地で状況を見ながら、入る方法を探るという慎重な姿勢は、紛争地での取材経験のあるジャーナリストであることがよくわかる。

 「シリアに入るかどうかも現地情勢を見定めながら決める」と杉本氏が言うのも、プロフェッショナルなジャーナリストの姿勢である。安全の保証もなく、連れて行ってくれる案内者や組織もなく、「シリアに入る」という人間がいるならば、職業人としてのジャーナリストとは言えない。

 私の経験でも、紛争地に入り取材するためには、現地に行って、入りたいと思う場所についての情報を集め、安全に入るためのルートと、安全を保証してくれる案内人や組織を慎重に見つけなければならない。

 杉本氏は「イスラム国に行くつもりはありません」と言ったが、後藤さんが「イスラム国」に殺害され、「イスラム国」が「日本人を標的にする」と宣言したいま、安全の確保もなく、「イスラム国」に行くというジャーナリストはいないはずだ。

 ジャーナリストは職業として現場に行き、取材をして、戻ってきて、取材した内容を新聞やテレビ、雑誌、または書籍などのメディアに載せて、それで生計をたてる職業人である。その目的を達成するためには、安全の確保が大前提となる。

紛争の傷痕が生々しく残る市街地=30日午後、シリア北部アインアルアラブ(クルド名コバニ)、矢木隆晴撮影紛争の傷痕が生々しく残るシリアのコバニ(クルド名)市街地=2014年1月30日、撮影・矢木隆晴
 杉本氏が「コバニ」に行きたいと考えるのもまた、ジャーナリストとして当然である。

 コバニは、クルド人部隊が「イスラム国」から解放し、メディアツアーを実施している。朝日新聞のニューデリー特派員の貫洞欣寛記者と矢木隆晴カメラマンが、そのメディアツアーに参加して、記事を書いている。

 杉本氏が過去に「コバニ」に入った経験があれば、激戦後のコバニの変化を自分の目で見ることで、初めて見るジャーナリストよりも、より多くの情報を得て、「イスラム国」との戦いについての貴重な情報を、日本に発信することもできるはずだ。

現地に行ってわかった対テロ戦争の現実

 どこであれ、戦争が続いている間は、双方の「大本営発表」しかないが、戦闘が終わり、ジャーナリストが戦場だった場所に入ることができれば、どのような戦争だったのかが分かる。市街戦の銃撃戦によるものか、空爆によるものか、民間人への虐殺がなかったかなど、戦争の様子が見えてくる。

 さらに住民の話を聞くことができれば、何が起こったかも分かるし、民衆を巻き添えにする戦争の悲惨さを伝えることもできる。

 私自身の経験でいえば、イラク戦争後の2004年4月から5月にかけて、イラクのバクダッド西方の都市ファルージャで米軍の包囲攻撃が続いた後、米軍の撤退直後にファルージャに入った。

 ファルージャの中で負傷した民衆のために野戦病院を開いていた「イスラム党」という政党に、連れて行ってほしいと頼んで、1週間後に実現した。イスラム党から「今朝、米軍の撤退が完了した」という連絡があって、党の医療支援の車に乗って入った。

 イスラム党は、米軍占領当局に協力している政党なので、米軍から攻撃される心配もなく、さらに人道支援を通して、ファルージャの民衆とも太いパイプがあった。ファルージャに入るならば、イスラム党と一緒なら安全は確保できると考えた。

 ファルージャに入って私が見たのは、

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