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「ふるさと納税」に地方分権の可能性をみる

問われる自治体のプロデュース能力

鈴木崇弘 城西国際大学客員教授(政治学)

 「ふるさと納税」が評判だ。多くの人々がその仕組みを活用し、メディアでも頻繁に取り上げられている。

 では、「ふるさと納税」とは、そもそもいったい何なのか?

 それは、「自分が生まれ育った地域やかかわりの深い地域、または応援したいと思う地域へ寄付をした際に、寄付金額に応じて所得税と住民税から一定額の控除を受けられる制度」で、「所得税、住民税として税金を納めるのか、自分が選んだ『ふるさと』に寄付をして税金の控除を受けるのか、わたしたち自身で税金の納付先を選択することができ」、寄付金額に応じて所得税や住民税の優遇(減税)が受けられるものである。

「ふるさと納税」の寄付者に贈られる市の特産品の数々。そこに高崎山のサルの写真も加わった=大分市「ふるさと納税」の寄付者に贈られる大分市の特産品。高崎山のサルの写真も
 しかも、多くの場合、地域のさまざまな記念品・特産品やサービス等の特典も受けられる。

 その特典には魅力的なモノも多い。

 たとえば、海産物、高級牛肉、高級果物・米など海の幸・山の幸や特産品、タブレットなどの現地生産品等々、各地の名産品がもらえるのである。

 それらに魅かれて、多数の人々が関心を寄せ、多くの「税金」が集まっているようだ。

 ある自治体では、「ふるさと納税」の総額が、住民税総額の数倍にもなっている。 

 この「ふるさと納税」を考える時に思い出すものがある。

 それは、竹下登政権時の1988年から翌89年にかけて行われた「自ら考え自ら行う地域づくり事業(ふるさと創生事業)」である。別名「ふるさと創生一億円事業」ともいわれ、日本の各市区町村に対して、地域振興のために各1億円が交付された政策である。

 その金額の使用法は自治体が自由に考えて、期間内にその金額を使うという制約条件があり、使えない場合は返金するというものだった。

 当該自治体に、自ら考え、創意工夫を凝らしてもらおうという目的は当時としては非常に望ましく、先見性があったと思う。だが、すべての自治体が、その要請や必要性に応えられたとはいえない。

 一部の自治体は地域経済の活性化のために、「ホエールウオッチング」や映画祭の開催など観光のための整備に積極的に活用したが、他方で、「一億円分の金塊購入」など「モノ」の購入、美術館や図書館の建設など「箱モノ」や「日本一の自由の女神像」「イカのモニュメント」など「モニュメント」の建設や作成に使われ、無駄使いなどとして、批判・非難あるいは揶揄された。

 極端なものとしては、「村営キャバレー」の設置というものもあった。また使い道を見いだせなかった自治体によっては、「基金」などとしてしまったところも多かった。

 このように、一部注目すべき企画もあったが、全体としては、当時のバブル経済という時代背景もあり、金のバラマキや無駄遣いとなってしまい、政策的に成功したとはいえない。むしろ、失敗かもしれない。

 それは、先に金額ありきで、自治体に突然降ってきたもので、自治体の自主性や主体性から生まれたとはいえないからだ。また頑張ったからといって、自治体にとって何かメリットが増大するいうようなインセンティブも働くようになっていなかった。

 これに対して、「ふるさと納税」の仕組みは、

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