メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

[6]オスロ合意とアラファト議長のガザ帰還

川上泰徳

始まりはオスロ合意調印式

 新聞記者としての私の中東との関わりが始まったのは、中東ではなくワシントンだった。

 1993年9月13日に、イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)との間で和平合意「パレスチナ暫定自治合意(通称:オスロ合意)」が結ばれた時、私はまだ東京本社の外報部(現・国際報道部)で内勤をしていたが、ワシントンに出張して、調印式を取材することになった。

 朝日新聞はワシントンに米国総局という米国取材の拠点を持ち、そこには複数の特派員がいる。学生時代にアラビア語を専攻していた私はいずれ中東に特派員として出ると思われていたので、この時に米国出張を命じられたのは、経験を積ませようという外報部の意向があったからだろう。

 私も歴史的なニュースの応援に行くというので、緊張していたが、一方でわくわくしていた。

 ワシントンの総局に到着すると、私にはPLO側を取材してほしいということで、まずはアラファト議長が泊まっているANAホテルに行くことになった。

 ホテルのロビーは議長を待ち構える報道関係者と、議長を一目見ようとする在米パレスチナ人であふれていた。そのうち、議長はすでに裏からホテルに入った、という情報が入ってきて、報道関係者の中には次々と引き上げる者が出てきた。

 私はホテルに来ているパレスチナ人にインタビューをして、オスロ合意についての思いや意見を聞いていた。私はパレスチナ人がオスロ合意をどのように思っているのかを知りたかった。

 それというのも、オスロ合意で決まっていたのは、ガザとヨルダン川西岸の街エリコでの先行自治を始めるということであり、難民問題の解決や聖地エルサレムの帰属などパレスチナ人にとって最も重要な問題は何も決まっておらず、自治開始から3年以内に始まる「最終地位交渉」で話し合われることになっていたからだ。

 オスロ合意については、「パレスチナの大義をPLO自身が裏切るような内容」という厳しい見方があった。

 90年、91年の湾岸危機、湾岸戦争で、アラファト議長はクウェートを侵略したイラクのサダム・フセイン大統領寄りとも思える立場をとったために、戦後、PLOは湾岸諸国から支援を打ち切られ、財政的な危機に陥った。オスロ合意を受け入れたことは、アラファト議長の敗北という見方もあった。

 イスラエルとPLOの歴史的な和平合意とはいっても、それが実際に和平をもたらすかは未知数でしかなかった。むしろ、中途半端な和平合意でも、「和平」だけが強調されて、パレスチナ問題が解決したかのような空気が世界に広がるだけではないか、というとらえ方もあった。

 PLOの反主流派のPFLPは合意反対だったが、アラファト議長が率いる最大組織ファタの内部にも、合意への強い反発があった。

 本来なら、調印式にはPLOの外相であるカドウミ政治局長が出席するのが筋だが、カドウミ氏は合意に反対し、ノルウェーでの秘密交渉の指揮をとっていた国際局長のアッバス氏が調印式に出席して調印することになった。

アラファト議長の突然の演説

 パレスチナ人に話を聞いても、オスロ合意が抱えている矛盾が明確になるわけではないのだが、私はあきらめが悪い性格でもあり、パレスチナ人に聞けば何か見えてくるかもしれないと思って、ホテルのロビーに残り、インタビューを続けていた。

 そのうちに、急にロビーにきていたパレスチナ人が一斉に動き、1カ所に集まった。何があったのかと聞くと、「アラファトがパレスチナ人向けに演説する」とパレスチナ人が教えてくれた。

 場所は地下にある「ボールルーム」で、大宴会場というものだ。ロビーから地階に降りる階段は閉められていたが、その前に大きな人だかりができた。

 私は半信半疑だったが、とりあえず、人だかりの中に入った。しばらくすると階段の前で、警備員によるボディーチェックと持ち物検査が始まった。アラファト議長が演説することは、予定にも入っていないし、情報もない。

 ボディーチェックを前にして「メディアは拒否されるのではないか」という不安が込み上げてきたが、そのまま何も言わないでボディーチェックを受け、止められることなく、ボールルームに向かう階段を降りた。

 いまでも私がメディア関係者と分かったら通されたかどうかは分からないと思う。テレビカメラがあったのは見たが、それ以外にメディア関係者はほとんどいなかったのだから、中に入ることができたのは運が良かったというしかない。

 広いボールルームに入ると、正面中央にマイクがついた演説台があった。しかし、テレビカメラが詰めかけているわけでもなく、公式の準備は何もないのだから、実際にアラファト議長がやってくるかどうかも分からない。

 ボールルームにはざわざわとした空気が充満していたが、5分ほどして、会場から一瞬、音が消えた。アラファト議長が右手を挙げ、「V」サインをつくり、満面の笑みを見せて登場した。クフィーヤと呼ばれる頭巾をつけた姿。

 会場にどっと拍手が広がり、「アラファト、アラファト」の掛け声が上がり、さらに「パレスチナ、パレスチナ」の合唱が起こった。 ・・・続きを読む
(残り:約6955文字/本文:約9076文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。
デモクラシーやJournalismの記事も読めるのは全ジャンルパックだけ!


筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、最新刊に『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)。

川上泰徳の新着記事

もっと見る