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台湾を「戦後70年」で語るのは難しい

本省人、外省人……複雑な歴史的背景

藤原秀人 フリージャーナリスト

 戦後70年の2015年、世界は歴史の節目を迎えて、様々な催しがあり、各国首脳らが談話を発表する。なかでも、歴史認識をめぐり「修正主義」と内外の一部で受けとめられる安倍晋三首相の「戦後70年談話」が中国や韓国などで注目されている。

 しかし、黄金週間中に訪れた台湾では、中韓のような「戦後70年」への強いまなざしを感じなかった。

 台湾を訪れる直前にソウルに行った。安倍首相が日本の首相として初めて米議会上下両院合同会議で演説したのに重なった。韓国外交省報道官が「真の謝罪もなく、大変遺憾だ」との声明を発表し、メディアは「謝罪がなく自賛だ」などと批判した。日本大使館前では抗議集会があり、テレビからは「あべしんぞう」が何度も聞こえてきた。

北京で会談に臨む中国共産党の習近平総書記(右)と台湾の朱立倫・国民党主席=国民党提供 20150504北京で会談に臨む中国の習近平国家主席(右)と台湾の朱立倫・国民党主席=2015年5月4日、国民党提供
 台湾では、知人は安倍首相の演説を持ち出さなかった。モスクワであった対独戦勝70周年記念式典に中国の習近平国家主席が出席したことはニュースで流れていたが、これも大きな話題にはならなかった。

 習主席はモスクワで「中国は戦勝国」との立場をアピールした。

 しかし、抗日戦争時には現在の中華人民共和国はなく、戦いの正面にいたのは蔣介石総統が率いる国民党だった。現在の台湾は国民党政権である。ならば、「抗日戦争勝利70年」を大々的に記念しても不思議ではない。

 国民党政権は7月から1年間にわたって「抗戦勝利70周年真相展」を開くなどの行事を予定している。しかし中国とは違い、70年を記念する軍事パレードはしない。パレードを望む声は限られているからだ。

 台北滞在中に出席したシンポジウムのテーマは「日本研究から見た日台交流120年」だった。アジアとの関係を重視する日本の渥美国際交流財団関口グローバル研究会が台湾大学日本研究センター、台湾大学日本語文学科と主催した。

 シンポジウムを準備した中央研究院の林泉忠・副研究員は「日清戦争の帰結により台湾が日本に割譲されてから、50年間の植民地の歴史は台湾に大きな影響を与え、その後も濃密な関係が続いている」と話した。

 2015年はその日台関係が120年を迎える。120年は日本語だと「大還暦」、中国語では「両甲子」である。この間の日台関係の歩みが政治、経済、文化などの面から報告され、意見が交換された。

 帰国してから仙台市であった日本台湾学会学術大会に出席した。ここでも、「戦後70年」はあまり話題にならなかった。

 なぜなのか。

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