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イラクで武装組織の幹部に会う

 イラクでは2003年7月以降、米軍に対する攻撃が激しくなる一方で、警察署や新イラク軍の登録センターに対する自爆テロや、シーア派に対する爆弾テロが始まった。

 米軍への攻撃が起きている地域で話を聞くと、住民の怒りが募っていることが分かった。

 では、どのような組織や集団が反米攻撃をしているのか知りたいと思い、複数いるイラク人の助手に頼んで、反米武装組織との接触を試みた。もちろん、簡単にはいかないことであり、繰り返し、助手たちに頼んだ。助手たちはいろいろな伝手を使って探してくれた。

 会ってインタビューをすれば、本当に米軍攻撃に参加している人物かどうかは分かる。本物であれば、事実のディテールが出てくるからである。

 話を聞いても、具体的な話が出てこないとか、様々に質問して話のつじつまが合わなくなれば、偽物ということになる。時にはインタビューに応じる代わりに金を払えという要求があることもたまにあるが、私は即「拒否」である。そもそも金目当ての相手では、出てくる情報の信頼性を確保できない。

 人探しをした結果、2003年9月初めに「イラク・イスラム解放軍」を名乗る武装イスラム組織の幹部アブムーサ(38)と会った。

<匿名を条件に話した幹部によると、「イラク・イスラム解放軍」はスンニ派とシーア派の計4組織が、5月に「イスラムの地への侵略者に対する聖戦」を実施する目的だけのために結成した。人数などの規模には触れず、「米軍が撤退すれば解散する」という。
 幹部は91年に、フセイン大統領の民兵組織「サダム殉教者軍団」に加わったが、94年に離脱。その後、アラブ戦士としてアフガニスタンやチェチェンを転戦し、4月半ばに「米軍と戦うために」帰国したという。
 イラクでは、5月1日の戦闘終結宣言後、攻撃による米兵の死者は、ロイター通信によると67人を数えた。ほとんどが、ロケット砲や手投げ弾などを使う奇襲攻撃だが、幹部によると、奇襲攻撃は10人以下の少人数で実行され、「米軍を攻撃すれば、連絡を受けた米軍武装ヘリが7分で現場に到着する。その前に逃げる必要がある」と説明した。
 また、バグダッド西方のファルージャ、ラマディで集中する米軍への攻撃を「9割が私たちの組織による」と話した。国連現地本部への爆破テロについて「我々ではない」とし、「誤った攻撃だ。イスラムでは外国使節は攻撃しない。我々は米兵だけを狙っている」と語った>(2003年9月6日付「朝日新聞」朝刊)

爆弾テロで破壊されたバグダッドの国連事務所=2003年8月=撮影・筆者拡大爆弾テロで破壊されたバグダッドの国連事務所=2003年8月、撮影・筆者
 当時、8月19日にはバグダッドの国連現地本部で爆弾テロがあり、国連のバグダッド代表が死亡し、さらに29日にはシーア派の聖地ナジャフで、シーア派の最大組織イスラム革命最高評議会(SCIRI)の最高指導者ハキーム師を含む100人以上が死ぬ大規模な爆弾テロが起こっていた。

 アブムーサは「一般市民を巻き添えにしない」と強調した。国連現地本部の爆破については「間違った攻撃だ」と犯行を否定し、ナジャフでのテロについては、「ハキーム師は暗殺されてしかるべきだが、我々は多くのイスラム教徒を巻き添えにするような方法はとらない」として犯行を否定した。

 地元のイスラム組織として人々の協力と支持を集め、さらに戦士を募る以上、民衆に犠牲を出すような作戦をとらないのは当然のことだろう。

 アブムーサは経歴が異色だった。イラン・イラク戦争でイラク軍の特殊部隊に属し、イラン領に侵入してイラン軍兵士の拉致作戦などで4つの勲章を受けたという。その功績によって、91年に、当時は秘密組織だったサダム殉教者軍団に参加した。

 軍団が93年にフセイン元大統領の長男ウダイ氏の指揮下に入った翌94年、「国益ではなく、独裁者個人の利益に奉仕する機関となったため」組織を離脱し、クルド地区の北イラクに逃げた、という。

 自身はシーア派だが、逃亡先のイラク北部でスンニ派のイスラム組織に加入した、という。シーア派からスンニ派に宗旨替えしたことになる。

 96年にイラン経由でアフガンに渡り、カンダハルやマザリシャリフに滞在した。「そこで訓練を受けたのか」と私が聞くと、アブムーサは「えっ」という顔をし、お前は何も知らないな、という表情をして、「私がアラブ義勇兵(アフガン・アラブ)の軍事訓練をする立場だった」と言ったのをよく覚えている。

 考えてみれば、イラクの特殊部隊で実戦訓練を積んだ人物なのだから、アフガン・アラブに軍事訓練をする方になるのは当然だった。

 98年12月から2年間、チェチェンに移り、イスラム説教師としてイスラム武装勢力の陣地を渡り歩いた。「馬から落ちて肋骨(ろっこつ)を折り大けがをした」と語り、シャツをたくしあげて、左脇腹に走る長さ20センチほどの傷跡を見せた。

 アフガンではオサマ・ビンラディン氏が率いるアルカイダではなく、独立系のイスラム組織が集まるイスラム評議会に所属していたという。「アフガンのアラブ戦士といっても、半分以上はアルカイダではない」とし、アルカイダとの違いについて「もし、敵に囲まれて逃げ場がなくなったら自爆もありうるが、我々は最初から自爆の手段をとることはない」と説明した。

 アブムーサを紹介してくれたのはシーア派の助手だったから、なぜ、その助手がスンニ派地域で活動する武装組織の幹部を知っているのかと思ったが、その幹部がもともとシーア派だったということで、謎が解けた。

 さらに「アルカイダ系ではない」というのも納得できた。なぜなら、アルカイダ系はサウジアラビアのイスラム厳格派ワッハーブ派から出ており、シーア派を異端として敵視し、シーア派地域にも無差別自爆テロを行う。自身はスンニ派に代わっても、家族や一族はみなシーア派なのだから、アルカイダに入るわけがないのである。

 アブムーサとは半年間ほど、毎月1回は会って話を聞いていた。10月になると、1枚の声明文を持ってきた。イスラム解放軍の名で、外国企業への攻撃を警告する内容だった。

<イラクで米軍への攻撃を続ける武装組織「イスラム解放軍」は4日、イラクの統治評議会メンバーを「神の敵」として攻撃対象とし、さらに米軍占領下でイラクに進出する外国企業にも警告を発する声明を出した。朝日新聞は5日、同組織のアラビア語の声明文を入手した。4月にフセイン体制が崩壊して以来、イラク国内でイスラム武装組織の声明文が公表されたのは初めて。
 声明文の発信元は「イスラム解放軍宣伝部」とあり、A4サイズの紙の表に「神のために戦うジハード(聖戦)の1日は70年間の信仰に勝る」など、イスラム教の聖典コーランや預言者ムハンマドの言葉が並ぶ。
 声明本文は裏面にある。米英の暫定占領当局(CPA)に任命された統治評議会議員のアハマド・チャラビ・イラク国民会議(INA)代表を名指しし、「チャラビや統治評議会のメンバーのような偽善者と悪魔の手先は自らの宗教と祖国を裏切っている」とし、「神に刃向かう者と同様に処罰されるべきだ」と死刑を宣言している。
 さらに声明文は「外国企業への警告」として、「米国が主導する外国軍が侵略している時に、イラクで活動する外国企業は我々の攻撃にさらされることになろう」と攻撃を宣言している。
 声明文は「イスラム解放軍はイスラム戦士たちの支援を呼びかける」と、イスラム教徒への呼びかけとなっている>(2003年10月6日付「朝日新聞」朝刊)

 2004年春に米軍によるファルージャ攻撃が始まり、状況がさらに悪化してくると、アブムーサとは連絡が取れなくなった。

激化する抵抗と米軍の戦略

 その後、別のスンニ派の反米武装組織の指導者アブファトマと会った。アブファトマは別の部族関係者とのインタビューで出てきた人物で、治安問題が話題になった時に、「事情を知っている人間を紹介しよう」ということで会うことができた。

 アブファトマはイラク中北部を拠点する反米武装組織のメンバーだった。話をした中で、対米攻撃が2003年10月以降、急激に高度化して、立て続けに米軍ヘリを撃墜するようになった理由の説明は特に興味深かった。 ・・・続きを読む
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筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、最新刊に『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)。

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