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言論封殺のための「言論の自由」は存在しない

自民党「報道圧力」はなぜ許されないのか

山田健太 専修大学ジャーナリズム学科教授(言論法、ジャーナリズム研究)、日本ペンクラブ副会長

広告圧力は憲法禁止の検閲類似行為

 6月26日の党内勉強会における自民党議員の発言が大きな問題になっている。先週(6月29日~)に入って安倍晋三首相は国会で初めて謝罪、幕引きを図っているが、発言は一過性のものでもなければ、個人の資質の問題に済ませられない点にこそ、大きな問題がある。

 政府方針に異なる新聞を兵糧攻めにして懲らしめる、ということが許されると考えること自体に、憲法が保障する表現の自由への理解、民主主義社会の基本原則の認識が決定的に欠如しており、国会議員として許されない発言だ。日本国憲法は表現の自由を保障する21条で、「検閲」を絶対的に禁止しており、この発言はこの検閲類似行為に該当するからだ。

百田尚樹氏の発言内容を報じる6月26日付の沖縄タイムス1面(手前)と琉球新報百田尚樹氏の発言内容を報じる2015年6月26日付の沖縄タイムス1面(手前)と琉球新報
 検閲は一般に、事前の表現内容のチェックと理解されているが、それ以外にも特定の者に特恵的待遇を与えることで表現者を囲い込む方法があるほか、財政的な締め付けによる言論統制が一般的だ。

 日本でもかつて、新聞紙条例などによって新聞・出版社に供託金を納めさせ、もし出版物に政府批判があれば没収するという方法で、表現活動にプレッシャーをかけるやり方がとられてきた。

 あるいは、業を興す際に高額の税金を納めさせたり、発行物に部数や頁ごとに税金をかける方法(印紙税)で、富裕層しか表現活動をしたり表現物を享受できない環境にしてしまうということも行われてきた。お金持ちが一般に、為政者に親和的であるという性格を利用した、間接的な表現統制手法である。

 政府が直接間接は別として広告主にプレッシャーをかけるという、今回示された手法はまさにこの変化形にほかならず、検閲類似行為そのものである。

 今日の新聞・放送業は、その主要な財源を広告収入に負っているという現状を踏まえたうえで、内容上問題があるメディアは広告収入を止めて懲らしめるという発想を、政府はもちろんのこと政治家・公務員がもつことは許されない。

 さらに、「言論の自由」について首相は、翌6月26日の衆院特別委員会の席上、「私的な勉強会で自由闊達な議論がある。言論の自由は民主主義の根幹をなすものだ」と応えた。ほかの場でも同趣旨の発言がなされることが多い。 

 確かに、自由で闊達な議論、多様で十分な情報流通がある環境は、民主主義社会の根幹である。そしてこうした「言論公共空間」を支える重要な役割をマスメディアたる新聞や放送が担っている。だからこそ、こうしたメディアが自由であるためには、政府から独立している必要がある。

 さらにいえば、憲法で保障されている言論・表現の自由の主体は「市民」である。そして国会議員たる政治家は、その自由を守る義務が憲法で定められている。いわゆる憲法遵守義務であって、99条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と明記されている。

 それからすると、憲法で保障されている市民の言論の自由を、国会議員の自由な言論によって

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