3つの正義論から考える
2015年07月13日
憲法学者の違憲論が広く知られるようになり、安保法案への支持、そして政権支持率はどんどん下がっている。
私は、「安保法案について、国会で全憲法学者を調査せよ――優先されるべきは、『多数決』ではなく『立憲主義の論理』」(6月17日、WEBRONZA)と提案したが、まだ実現していない。
しかし、東京新聞(7月9日)と朝日新聞(7月11日)が憲法学者の見解を調査し、それぞれ違憲論が圧倒的だった(東京新聞では大学の憲法学者において、違憲184人、合憲7人、朝日新聞では『憲法判例百選』執筆者の中で、違憲104人、合憲2人)。
さらに、元内閣法制局長官(大森政輔氏など)や元最高裁判事(那須弘平弁護士、濱田邦夫弁護士)も、次々と違憲という見解を明らかにした。
それにもかかわらず、政府は早ければ7月15日に強行採決をする方針であると報じられている。
実際、安倍晋三首相は「熟議を尽くした上で、最終的に決めるべきときは決める。これは議会制民主主義の王道だ」と述べている(6月26日、衆院平和安全法制特別委員会)。
確かに、現在の衆議院の多数の力をもってすれば、強行採決を行うことは可能だろう。
しかし、このような決定を行うのは、正しいと言えるだろうか?
そして、それは果たして「民主主義の王道」だろうか?
マイケル・サンデルのNHK白熱教室で、正義論について幾つかの代表的類型があることが知られるようになった。私は、それを大きく3つの類型に分けて説明している。
正義を考える際に、「(1)幸不幸という結果から考える福利型正義論(功利主義など)、(2)自由や権利から考える自由型正義論(リベラリズム、リバタリアニズム)、(3)善い生き方との関係も考える美徳型正義論(コミュニタリアニズム)」である(これらについて、詳しくは小林正弥『サンデルの政治哲学――<正義>とは何か』、平凡社新書<2010年>を参照)。
国会の議論の展開を念頭に置いて、このそれぞれの観点から強行採決について検討してみよう。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください