それは「民主主義の覇道」そのもの
2015年07月14日
立憲主義のもとにおいては、違憲立法を行うことが不正義であることは論を待たない。客観的国際情勢の変化によってそのような法律が本当に必要になったとしても、そのためには主権者たる人々の意思により、憲法改正の手続きに基づいて憲法を改正する必要がある。
これは、政治理論ではコミュニタリアニズム的共和主義の考え方であり、主として第3の美徳型正義論に対応する。
いかなる正義にも反する安保法案の強行採決(上)――3つの正義論から考える
この考え方においては、人々が公共的関心を持って熟議して公共的美徳を発揮し、自分たちの主権者としての意思に基づいて政治を決めるという自己統治が大事とされる。
憲法といえども、公共的熟議と正当な手続きに基づき改正することは可能であり、それは正しいことである。
そして、この解釈改憲が主権者たる人々の意思に反しているのなら、もちろんこれは途方もない不正義そのものである。
しかし、仮に本当に、国際情勢の変化などにより憲法を改正する必要が生じており、人々がそれを真に望んでいるとしても、人々の主権の発動により正面から憲法改正を行うことが正義にかなっている。
だから、それを回避して違憲立法を行うのは人民主権に反しており、不正義なのである。
それは、法的に不正義であるとともに、主権者たる人々から憲法の改正という最大の自己統治の機会を奪ってしまうという点でも、深刻な不正義である。
それは、いわば人々から主権を簒奪して、時の政権が不当かつ独断的に憲法を変えて統治することであり、人々を主権者から臣民へと貶めることなのである。
さらに、安保法案の審議が進むにつれ、この法案の問題性が明らかになり、内閣支持率が減少し、不支持率が増加して、朝日新聞の最新調査結果(7月11,12日)ではついに逆転した(6月よりは支持率は同じで39%、不支持率は5%増で42%)。法案の成立に賛成する人も顕著に減少し、反対する人が増加している(賛成26%、反対56%)。
それにもかかわらず、現在の衆議院の多数の力で強行採決を行うのは、明らかに民意に反している。前回の衆議院解散時に政権はアベノミクスへの賛否を問うとして衆議院を解散したのだから、衆議院の多数はあくまでもその点に関する民意とみなされなければならない。
政府は、国会の多数をもって民主主義的正統性を主張するが、この法案に関しては世論調査などによって反対が明らかに増加している。つまり、この点に関しては、この法案に対する反対が実質的な民意であり、国会での審議が進めば進むほどこの民意は明確になってきた。
それにもかかわらず、安倍首相は「法案が実際に実施される中で、理解が広がっていくという側面もある」「どこかの時点で議論が尽くされたという判断がなされれば、決めるときは決める」(6月26日、衆議院平和安全特別委員会)と言い始めた。
つまり、民意が反対の方向に大きく振れ始めたので、法案への賛成を広げることはできないとわかって、強行採決によって既成事実を作り、人々に反対をあきらめさせ、後で黙認させようと考え始めたのである。
これは、明らかに
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