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2015年安保、民主主義を再び始める若者たち

政権側が恐れる参加民主主義とは何か?

五野井郁夫 高千穂大学経営学部教授(政治学・国際関係論)

 「民主主義ってなんだ?」「これだ!」(2015年、SEALDsのコールより)
 “Tell me what democracy looks like?” “This is what democracy looks like!”(2011年以降、世界中のオキュパイ運動のコールより)

 いまだに民主主義を、選挙で選ばれた人が国民に代わって政治を行う代議制民主主義(間接民主主義)のことだけだと勘違いしている人びとが時々いる。しかもこのような誤った認識は与党政治家に多いので、あの政治家は義務教育で何を学んできたのだろうと首をかしげることもしばしばだ。

 むろん、現代社会において民主主義とは、なにも代議制民主主義だけではない。われわれは憲法上の当然の権利として選挙以外の時も政治に対して意見を述べ、政治参加することができる。たとえば陳情や請願、署名などがそうである。

 同様にデモや集会なども、憲法21条にうたわれている民主的で正当な意思表示の手段だ。

国会前のデモで、安保法制反対を叫ぶ「SEALDs」メンバーの奥田愛基さん20150915国会前のデモで、安保法制反対を叫ぶ「SEALDs」メンバーの奥田愛基さん=2015年9月15日
 このような選挙における投票以外の民主主義にまつわる広範な政治活動を、政治学では代議制民主主義との関係で「参加民主主義」と呼ぶ。

 代議制だけに政治を狭く捉えがちなものの見方については、すでにルソーが『社会契約論』のなかで18世紀当時のイギリスの選挙制度を指して、人びとが自由なのは「議員を選挙する間だけ」にすぎず、いったん議員が選出されるとイギリス人は奴隷のようになってしまうと批判しているのはあまりにも有名だ。

 だからこそ、政治家にすべて白紙委任したわけではないわれわれには、投票日以外の日常生活のなかでも、議会政治を見張り、つねに政治家に対して意見を伝える権利がある。

肝を冷やしているのはだれか

 ひるがえって現代ではどうだろうか。アラブの春以降、世界中で若い人びとが声を再び上げ始め、各国で参加民主主義を牽引している。

 こうした現象は日本でも同様だ。これまで日本の大人たちは、ときには嘆くような調子で「若い人は政治に関心がない」と、勝手にそうレッテル張りしてきた。だが、そんなことはないのは「2015年安保」の夏には充分理解できたことだろう。

 ところで、今年5月以降のSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)や高校生団体のT-ns SOWL(ティーンズソウル)など10代後半-20代前半の若者が政治に再び参加し自身の意志をしっかり表明することによって、肝を冷やしているのはだれか。

 それは、云うまでもなくまず、民意を無視し安保法案で強引に採決を通した与党自民党と公明党だろう。くわえて、若者を

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