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[3]メルケル独首相はなぜ受け入れを決めたか

熊谷徹

亡命権を憲法で保障するドイツ

 さてメルケル首相は、なぜ多数の難民を受け入れることを決めたのだろうか。

 8月下旬には、難民危機がエスカレートした。ハンガリーとの国境に近いオーストリアの高速道路脇に停められた保冷車の中から、シリア難民71人の遺体が見つかったのだ。

 中東では難民から金を受け取って、欧州に移送する「人間運搬業者(ドイツ語でSchleuser)」が暗躍している。これらの難民は、「人間運搬業者」が手配したトラックに乗っている間に、保冷室が酸欠状態になったために、窒息死したものと見られる。

 彼らの遺体は炎天下のトラック内に2日間放置されて、腐敗が始まっていた。闇の運搬業者は、金を先払いで受け取るので、難民が死んでもかまわない。この事件は、欧州の政治家や市民を震撼させた。

 また国際移住局(IOM)によると、アフリカやトルコから、粗末な船で海を渡ろうとして溺死した難民の数は、数千人に達する。地中海やエーゲ海は、欧州へ渡ろうとして海の藻屑と消えた難民の、巨大な墓場となりつつある。今年春以降、コソボからバスでドイツへ多数の経済難民を送り込んできたのも、この種の「人間運搬業者」である。

ウィーンで開かれた「西バルカン首脳会議」の記者会見で難民問題を語るドイツのメルケル首相=2015年8月27日拡大ウィーンで開かれた「西バルカン首脳会議」の記者会見で難民問題を語るドイツのメルケル首相=2015年8月27日

 さらにメルケル政権を行動に駆り立てたのが、ハンガリー政府の対応だった。右派ポピュリストとして知られるハンガリー首相のヴィクトル・オルバンは、これまでも言論の自由の制限などをめぐってEUとの間に軋轢があった。オルバンは9月3日にブリュッセルで行った記者会見で「難民流入は、ヨーロッパの問題ではない。ドイツの問題だ。難民には、ハンガリーに来てほしくない」と公言。
ドイツが難民受け入れに前向きの姿勢を見せたことが、ハンガリーへの難民の流入につながっているとして、ドイツ政府の態度を批判した。

 「ドイツが難民受け入れに積極的であることが、欧州全体の難民数を増やしている」という批判は、欧州の右派勢力が好んで使う論法である。

 ハンガリーは、難民の流入を食い止めるために、セルビアとの国境に鉄条網などを使った「防壁」を建設し始めていた。同国のブダペスト駅周辺には8月末からシリア難民など数千人が集まり、オーストリアやドイツへ向かう列車を待っていたが、ハンガリー政府は一時ブダペスト駅を封鎖。難民たちは、駅の周辺で野宿させられた。

 駅の封鎖が解かれると、多数の難民が列車に殺到して、プラットフォームは大混乱に陥った。しかしハンガリー政府は動き出した列車をオーストリアへは向かわせず、途中で停車させた。政府は難民を列車から降ろして、臨時のキャンプに収容しようとした。多くの難民は、ハンガリー政府のだましうちにあったと感じ、列車から降りることを拒否した。

 あるシリア難民の夫婦は、ドイツへ行けないと知ると、絶望のあまり子どもを抱いたまま線路の上に横たわった。彼らは警察官によって、排除された。難民たちは、「ドイツへ行けないならば、死んだ方がましだ」と叫んだ。このシーンは、テレビを通じて全世界に流され、ヨーロッパの混乱を強く印象づけた。

 一部の難民はハンガリー政府の対応に業を煮やし、オーストリアそしてドイツをめざして高速道路を歩き始めた。だが実際には、オーストリアで亡命を申請した難民の比率はごくわずか。大半はドイツに着いてから亡命を申請した。その背景には、前述したように、高福祉国家ドイツの、難民に対する寛容な姿勢がある。ドイツに列車で到着した難民たちの表情が明るかったのは、ハンガリーで受けた冷たい待遇と、ドイツ市民が駅頭で送った拍手と歓呼の差が非常に大きかったためでもある。

ナチス時代への反省が背景に

 ドイツが多数の難民の受け入れに踏み切った背景には、ナチス・ドイツの暴虐に対する反省もある。ナチスはユダヤ人や周辺諸国の国民を徹底的に弾圧した。一部のユダヤ人や反体制派が生き延びることができたのは、スカンジナビア諸国やスイス、米国などが亡命申請者を受け入れたからである。

 たとえば、1960年代から1970年代に西ドイツ連邦政府の首相を務めたヴィリー・ブラントは、若いころナチスに対する抵抗運動に加わっていたため、ナチスによって迫害されたが、ノルウェーに亡命したために、一命を取り留めた。もしもスカンジナビア諸国がハンガリーのように亡命申請者に対して冷たい態度を取っていたら、ブラントは強制収容所の露と消えていたかもしれない。

 また私の知人のユダヤ人の女性は、フランスの農家にかくまわれたため、アウシュビッツで殺されずに済んだ。ユダヤ人の多くの子どもたちも、英国政府によって保護されて、ナチスの毒牙から逃れた。亡命制度は、多くの人々の命を救ったのだ。

 ドイツが亡命申請者に対して寛容な態度を取る背景には、ナチス時代の経験を教訓として、戦争や政治的迫害に苦しむ市民に対し、積極的に手を差し伸べるというこの国の「理念」がある。

 ドイツの憲法である基本法第16条A項は、「政治的な迫害を受けている者には亡命権を与える」と明記している。ドイツの憲法は、亡命権を人間の基本的権利の一つと規定している。これは、亡命権を明文化していない日本国憲法との大きな違いだ(日本の法務省によると、2014年に日本に亡命を申請した外国人の数は約5000人。その内、難民として認定されたのは11人にすぎない。難民として認定されなかったが、人道的な理由で在留を認められたものを含めても、その数は121人だった)

 ドイツの憲法に明記された亡命申請者規定には、ナチス時代の過去に対する反省が、生きているのだ。

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筆者

熊谷徹

熊谷徹(くまがい・とおる) 在独ジャーナリスト

1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。90年からはフリージャーナリストとしてドイツ・ミュンヘン市に在住。過去との対決、統一後のドイツの変化、欧州の政治・経済統合、安全保障問題、エネルギー・環境問題を中心に取材、執筆を続けている。著書に「なぜメルケルは『転向』したのか・ドイツ原子力40年戦争の真実」、「ドイツ中興の祖・ゲアハルト・シュレーダー」(日経BP)、「脱原発を決めたドイツの挑戦」(角川SSC新書)など多数。「ドイツは過去とどう向き合ってきたか」(高文研)で2007年度平和・協同ジャーナリズム奨励賞受賞。
WebSite:http://www.tkumagai.de
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