冒涜された憲政の伝統は甦りうるか?
2015年10月07日
安保法の「成立」によって失われたものは何か? それは憲法の精神であり、憲政の伝統である。
かつての穏健保守派から見ても安保法の「強行採決」は憂うべき事態である。
戦後に平和主義を強く支持してきたのは左翼だから、平和主義が失われるだけならばこの危機を嘆くのは一部の人々だけかもしれない。
だからこそ、戦前に「憲政の神様」と言われた尾崎行雄や犬養毅が保守的な議会政治家からも尊敬を集め、国会の傍には憲政記念館があって尾崎の像が屹立しているのである。
自民党などの長老政治家たち(山崎拓氏、藤井裕久氏、武村正義氏)とともに安保法制を批判して記者会見した際に亀井静香氏は「憲法改正の手続きを抜きに解釈改憲でやっていこうなんていうのは憲政の常道からはずれています」と述べた(6月12日)。
また衆議院強行採決の前に民主党の高木義明国対委員長は「よもや審議終結、採決ということはあり得ないと思うが、もしそうなれば憲政史上、汚点を残すことになる」(7月9日)と与党を批判した。
そして参院「強行採決」の直前に内閣不信任案の趣旨説明を枝野幸男・民主党幹事長が衆議院で行い、「私の尊敬する憲政の神様」として尾崎の言葉を引用した。「我が衆議院は、衆議院にあらずして表決院なり。我が国には、表決堂ありて議事堂なし」という「憲政の本義」に関する言葉を紹介し、今は表決堂なのか議事堂なのかが問われているとして締めくくったのである。
自民党といい民主党といい、いずれも議会政治の担い手であり、本来は「憲政」の伝統を受け継ぐはずの政党だった。だからこの双方の流れの中から「憲政」という言葉が出てきたのである。
与党は言うに及ばず野党にも憲政の冒涜について大きな責任がある。
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