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[1]デモクラシーの危機

自由民主主義体制において民主主義革命の必要を語るのは適切か

千葉眞 国際基督教大学特任教授(政治学)

注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、昨年11月27日に早稲田大学で行われたものをベースに、著者が加筆修正したものです。

立憲デモクラシーの会ホームページhttp://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/

足りなかった一歩を探求する

千葉眞教授の話を熱心に聞く人たち千葉眞教授の話を熱心に聞く人たち

 みなさん、こんばんは。今日は遠方からも何人か来ていただいて、語る方としては、はたして十分にそれに報いることができるのか、ちょっと不安もあるのですが、自分なりに政治学、政治思想の観点からいくつかの問題を問うてみたいと思います。

 戦後まもなく、週末ごとに、静岡県三島市の三島大社に集まって、「三島庶民大学」という、自主ゼミのような相互交流のゼミが開かれていました。そこには、丸山眞男や川島武宜など、当時の社会諸科学のそうそうたる人たちが参加して、学校の先生や米屋さんなど、町の人たちと話し合いをし、民主主義とは何かといったテーマについて学習と討議をしていました。

 私は山口二郎さんたちが計画したこの立憲デモクラシーの講座に、「三島庶民大学」のような相互交流の自主ゼミをイメージしていました。ところが先々週、石川健治さんの講座で300人を超す参加者があり、私の想定は全く狂ってしまったんですけれど。しかし、精神においてはやはり自主ゼミ、相互交流のゼミというようなことを念頭に、今日は話をさせていただきたいと思います。最初の1時間あまりはレクチャー、後は双方向の意見交換と討議とさせてもらいたいと思います。

 2015年の夏は記念すべき貴重な夏だったと、今、振り返って思います。立憲主義、民主主義、平和主義、これらへの強い思いが、日本社会の各地と各層にしっかりと根付いているということを感じた夏でした。国会内外の攻防において、いろんな場面がありましたが、一歩足りなかったのは、非常に残念でした。

 そして、この足りなかった一歩はいったい何だったのか、ということを探究する必要を痛感しております。これを考えつつ、しかし、これからがまさに正念場だと考えていますが、2015年の夏は、やはり私たちに希望を与え、励ましを与えてくれたと捉えています。

 安保法が成立してしまいましたが、悲壮感はありません。失望感もありません。むしろ、今後、どういう形で、戦後最悪といえるだろう安倍政権を、政権の座から降ろしていくのか、これを皆さんと一緒に課題にして、前進していければいいと思っています。

憲法を守ってきた行為は「市民革命」に値する

千葉眞教授千葉眞教授

 しかし、心配がないわけではありません。日本社会のいたるところに同調圧力が少しずつ見え始めたという感じがしています。そして大阪維新が府知事選、市長選で勝利を収めたことも、「なぜなんだ」という多少とも動揺を与えたと同時に、私たちに探究を迫っていると思います。

 丸山眞男はかつて「現実主義の陥穽」という論考──陥穽とは落とし穴のことですが──の中で「既成事実への屈服」ということを言っています。日本社会の意識、日本の政治についての傾向において、何かが既成事実化すると、それは仕方がない、しょうがないという仕方で受け入れてしまう。そして既成事実が持続化してしまって、それを覆すような運動や課題を構築していくことが難しくなる。丸山は、国民性の中に多少ともそうした意識や傾向があるのではないか、と指摘しています。

 それから温帯モンスーン気候というのも、日本人の政治意識の中に影を落としている。つまり、台風が襲い、地震が頻発するこの国で、台風襲来の時はじっと縮こまって我慢する。そしてそれが通り過ぎたら、平常の日常に戻る。これを繰り返してきた私たちの歴史の中で、自然への対応が、同時にまた政治という作為の世界に対する対応へと滑り込んでいる面がないのか、という問題提起を丸山はしています。これもまた、やはり考えていかなくてはいけない問題ではないかと思います。

 しかし、それにもかかわらず、日本は70年間、まがりなりにも民主主義、立憲主義、平和主義でやってきた。これは70年間、政府はしばしば改憲を目指したのだけれども、それに対して要所要所で「No」を言ってきたのは、国民一人一人だった。国民の多くが「この憲法でいいんだ」と。そして70年間、日本国憲法を護ってきた。

 世界の中では「非戦主義」にしても「交戦権の否認」にしても、比較的に大きな諸国においては類例を見ません。コスタリカ憲法などいくつか平和憲法はありますが、日本のようにインフラが大きい国では、徹底的平和主義に立つ憲法は珍しいわけです。これを護ってきたということ自体が、樋口陽一先生の言葉でいえば、「一個の市民革命に値するのではないか」ということになります。私たちは決して悲観することはないし、縮こまることはない。日本国民は、要所要所で憲法の徹底的平和主義を護ろうと努力してきました。これは、やはりその通りではないかと思うのです。

危機的な状況にある政治

 しかし現在、日本の政治はきわめて危機的な状況にあります。まず、これは皮肉でもあるのですが、「自由民主党」という名の政権の中で、「自由民主主義」──リベラル・デモクラシーという政治体制──が骨抜きにされようとしている。あるいは破壊されようとしている。これが日本の今日の政治的危機ではないかと思います。

 つまり、代表制民主主義、複数政党制といった諸制度を基軸として自由民主主義という政治体制を私たちは採用しているわけでありますが、それがいつの間にか、擬似自由民主主義、あるいは準自由民主主義というものに後退していっているのではないかという、そういう問いです。今日は、その問題を中心に少し考えてみたいと思います。

 そして副題ですが、自由民主主義体制において、民主主義の民主化といいますか、これが必要ではないか。このような民主化の持続的な動きを、主権者たる国民が、生活者市民が作り上げていく努力をしないと、自由民主主義体制それ自体を維持していくことが、危うくなってしまうのではないか。何人かの政治学者の言葉で言えば、自由民主義体制において民主主義の民主化という意味での「民主主義革命」(永久革命)の必要を不断に語っていくことは可能であり、適切であり、必要ではないのか、という問いを検討してみたいと思うわけです。この問いを今日は掲げて、時間的かつ内容的に制約はありますが、いくつかの角度から光を当ててみたいと思っています。

ウォリンが問い続けたこと

千葉眞教授千葉眞教授

 米国の代表的な政治思想史家で政治理論家のシェルドン・ウォリンが今年10月23日に亡くなり、11月17日の朝日新聞夕刊に追悼文を書きました。彼は93歳で亡くなられているので、天寿を全うしたともいえます。世界の政治学や政治思想に非常に大きな影響を与え、また日本の政治学にも二世代半にわたっていろんな面で影響を与え続けた人です。ですので、今日はウォリンを偲びつつ語りたいと思って来ました。ですから、半分くらいは彼のデモクラシー論の紹介と、それを今後どのように活かしていくのかというテーマになります。

 この追悼文に、この夏、私が感じてきたこととして、「参加デモクラシー」という問題、それが代表制民主主義とどう連絡し、関係するのかという問題を書いています。ウォリンはいろんな議論をしましたが、彼の根源からの民主主義論、ラディカル・デモクラシー論は、この問題を問い続けてきたと思うので、その一端を中心にお話します。

 とりわけウォリンは、今日のアメリカ社会における民主主義の危機と一貫して取り組んできました。そしてアメリカ社会やその他の自由民主主義社会においては、マルクスの共産主義的な武力(暴力)革命モデルではなくて、むしろジョン・ロックの抵抗権論や革命権論に根差した民主義革命モデルが必要だという議論をしました。市民の自由の政治の現れとしての民主主義革命、これが必要だと議論しているので、その点についてまず触れてみたいと思います。

 まず「自由民主主義」と「参加デモクラシー」との関係をどう考えたらいいのかという問題があります。結論からいえば、やはり両方大事だということになります。両者は本性的に相互補完的であり、どちらを除いても、やはりデモクラシーの地道な展開と発展というのはない。これは、おそらく数多くの政治学者が賛成するところではないかと思います。

 ですから、一方が他方を補い合うというのが理想であり、両々相俟って、つまり「自由民主主義」と「参加デモクラシー」が、お互いに還流しあって、成熟した民主主義の深化が起こっていくのではないかと、結論的には思います。

 なぜ相互補完が必要かといえば、「自由民主主義」とは、規模の大きな政治社会における民主主義であり、そこではやはり自由民主主義的な制度、とくに複数政党制や代表制民主主義は欠かせません。これなしに民主主義は成り立たないわけです。

 しかし、デモクラシーの根本的な意味は、「民衆による統治」あるいはリンカーン大統領が言った「人民の、人民による、人民のための政治」だと言われることが多いわけです。これがデモクラシーの根本的意味だという考え方からいえば、大規模な社会で複雑な制度から成り立つ自由民主主義体制は常にデモクラシーの赤字というのか、デモクラシーの欠損というのか、デモクラシーが十全に実現された状況からほど遠いわけです。

寡頭制の危険

 なぜかというと、これは社会学や政治学の分野で長年いわれてきた「寡頭制の鉄則」という公理のようなものと関連してきます。つまり、組織というものは、いつの間にか何人かのリーダーと大多数のフォロワー(追随者)によって成り立つものへと変化していくのだという、ガエターノ・モスカやロベルト・ミヒェルスなどが、最初にこの「寡頭制の鉄則」という問題提起をしました。

 寡頭制は、少数者支配とか、カタカナでオリガーキーとか呼ばれることもありますが、私たちの社会、組織、共同体、政治の面でも、必ずこの力学が働くわけです。代表制民主主義の中にも、もちろんいろいろな仕方で働くわけです。

 20世紀になって、とりわけ20世紀の中盤以降、この寡頭制の危険が、民主主義諸国において次第に顕著になってきたという議論がいくつか出てきました。C.ライト・ミルズというアメリカの政治社会学者が、『パワー・エリート』(権力エリート)という本を1956年に書いています。

 彼の議論は、アメリカはデモクラシーのメッカといわれる国だが、実は民主主義は没落し始めており、大統領ですらあまり大きな権限を持っていない状況になってきているのではないか、というものです。ペンタゴンを中心とした軍事的エリート、財界を中心とした経済的エリート、それから議会を中心にした政治的エリート、これらのエリートの多くはアメリカ東部のアイビー・リーグといわれる名門大学の出身者で、これらのエリートたちが、寡頭制的支配を展開するような国になってきている。だから国家機密が増え、国民に知らされない形でいろんなことが起こってきた。

ミルズとクラウチ

 このことをいち早くキャッチしたのがミルズでした。ミルズの著作『パワー・エリート』は、鵜飼信成・綿貫譲治訳でそれから数年後に翻訳が出ましたので、日本語でも読めます。

 ミルズがこの本を出版してから4~5年たって、アイゼンハワー大統領が1961年1月だったと思いますが、大統領の退任演説の中で、「軍産複合体」(military-industrial complex)ということを言いだしました。この演説で彼は大統領の権限というものが弱まってきている現実に言及し、「軍産複合体」の主たる意向が、アメリカの「人民の、人民による、人民のための政治」という民主主義の政治を動かすようになってきた。これからこの傾向が増大する危険に大きな疑問符を付けて、アイゼンハワーは大統領を辞めているんです。

 最近では、イギリスの政治学者、コリン・クラウチが『ポスト・デモクラシー』(2007年)という本を書いて、権力エリートたちの支配が高まっていて、デモクラシーは危機的な状況にあるという議論がしています。これは、山口二郎監修・近藤隆文訳で簡単に入手できます。

 現在、民主主義を成し遂げたという多くの先進的といわれる民主主義諸国で、民主主義の機能不全、民主主義の行き詰まり、民主主義の没落が起きているわけです。一般市民の政治的無関心、国政選挙ほかの選挙の投票率の軒並みの低下、それと反比例する仕方で一握りの権力エリートが、大企業などと結託しながら、しかもグローバルに展開する金融資本主義とワンセットになりながら政治の方向性を決めている、という分析や指摘が後を絶ちません。

 ですから、イギリスのブレア政権(1997〜2007年)は労働党政権ではありましたが、労働党政権になっても結局、経済戦略はトリクルダウン政策以外のものを提示できませんでした。つまり、大企業がお金を儲け、それがしずくのように下にしたたり落ち、初めに中間層に、後に下層を潤していく形での施策がとられましたが、その結果は社会格差の拡大の一途でした。日本においても全く同じような状況が見られたわけです。

 沖縄の辺野古の新基地建設や原発再稼働の問題などに対して、民意はかなり大きく反対運動を支援する方向にありますが、政府は正反対の政策に力ずくで舵を取ってきました。その背後には、日本の政官財の鉄の三角形──これは日本特有の権力エリート構造だと思います──、これが大きく重しとなってのしかかっているという問題です。(続く)

(撮影:吉永考宏)