この系譜の代表者は、札幌農学校に学んだ内村鑑三、新渡戸稲造……
2015年12月30日
近代のリベラリズムについて、私はもう一つの系譜をあげてみたいと思う。それは、「札幌農学校」発のリベラリズムである。
札幌農学校は1876年に開校した日本初の農業高等教育機関であり、現在の北海道大学の前身である。黒田清隆開拓使長官は、在米公使を通じて初代教頭にマサチューセッツ農科大学長だったウィリアム・スミス・クラーク博士を招き、学内運営を一任した。クラークはわずか8カ月、往復航路を加えても一年という期間しか在任しなかったが、その教育理念は後代に大きな影響を与えた。
とりわけ、教育にキリスト教の教えを取り入れるクラークの姿勢を、黒田が黙認した点が大きな意味をもった。当時はまだ政府が公式にキリスト教活動を解禁していなかった時期である。
クラークは、自ら農学や植物学を教える一方、日曜日に礼拝や祈祷を取り入れた。帰国前には、ニューイングランドのピューリタニズムに基づく「イエスを信ずる者の契約」を書いて自発的署名を求め、一期生16人が署名した。
クラークが去ったあとも、二期生18人のうち15人が、入学して数か月後にはクラークの契約書に署名し、その多くが受洗した。そうした信仰グループが1882年に札幌独立キリスト教会を設立し、いわゆる札幌バンドを拓(ひら)くに至る。
この信仰グループの中核にいた二期生が、ヨナタンこと内村鑑三と、パウロこと新渡戸稲造だった。
私が「札幌発のリベラリズム」と呼ぶ系譜の代表者は、この二人である。
のちに米国に留学し、教員やジャーナリストとして活動しながらも、内村は無教会主義を唱えて信仰の道を突き進む。新渡戸は渡米留学後にクエーカー教徒となり、農学を教える傍ら、台湾総督府で製糖業を育成し、のちには国際連盟事務次長として、あるいは教育界の指導者として活躍する。
それぞれ違った道を歩んだ二人だが、いずれも英文による代表的な著作を残した人物として、あるいは時流に媚びず、軍事大国化をするこの国で、最後までリベラルな姿勢を保ち続けた点では、共通している。そのことは、内村が「不敬事件」や「非戦論」で物議を醸し、晩年の新渡戸も「松山事件」で右翼や軍部から攻撃されたことに表れている。
二人のリベラリズムは「キリスト者」としてくくられることが多いが、私はむしろ、クラークの教えを「ピューリタン精神」という言葉で要約してみたい。マックス・ヴェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(大塚久雄訳、岩波文庫)で描いた、あのピューリタニズムである。
比較宗教社会学の古典として知られるこの本で、ヴェーバーが「資本主義の精神」として筆頭にあげたのは、ベンジャミン・フランクリンの道徳的な訓戒だった。
正義は信用を生むから有益であり、時間の正確さや勤勉・節約も同じである。自然の享楽を退けてひたむきに貨幣を獲得しようとする努力は自己目的化しており、貨幣は有能さの現れであり、結果でもあると、とらえる。これは、利己的で厚かましい金銭欲とは無縁であり、冷静な克己心と節制によって労働を義務とする資本主義の精神である。
ヴェーバーは、フランクリンの訓戒を通して、ニューイングランドには、資本主義の発達に先立って、その発達を可能にさせるエートスがあった、という。営利の追求を敵視するピューリタニズムの倫理が、資本主義の発達に適合していた、という逆説を解き明かした本である。
フランクリンはアメリカ独立宣言の起草者の一人で、建国の父と呼ばれる。出版業や発明、政治・外交など幅広い分野に活躍し、アメリカの合理精神、独立精神を体現した人物と目される。これを振り返ると、その時代における役割や人物像は、明治維新の前後を通じた福沢諭吉の「独立自尊」と重なり合うものがある。
もちろん、ヴェーバーが論じた「プロテスタンティズムの倫理」は、のちに資本主義がたどる飽くなき利潤追求の将来を予期したものではなく、結果的に見て、その起動を準備したに過ぎない。しかし、その倫理が同時に、個人や国家の独立、近代合理主義といった要素を合わせもっていたことに、ここでは注目したい。
札幌農学校で教えたクラーク博士もまた、フランクリンと同じマサチューセッツ州の出身で、ニューイングランドに色濃いプロテスタンティズムの影響下にあった。彼は短期で日本を去ったが、その後もマサチューセッツ農学校から札幌に、多くのピューリタンの教師を派遣している。札幌農学校の卒業生は、キリスト教とともに、初期資本主義の起動を準備した「プロテスタンティズム」の倫理、さらにはそれを土台とした民主主義の精神を学んだとはいえないだろうか。
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