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[9]リベラルの大切さを説く丸山論文を読み解く

大正デモクラシーの後に日本はなぜ急速に軍事化し、超国家主義へ向かったか

外岡秀俊 ジャーナリスト、北海道大学公共政策大学院研究員、元朝日新聞編集局長

静態モデルを動態モデルに変換する

 丸山(真男)がこうした理念型をめぐる検討をしたのは、近代日本の歴史に即して個人の態度を析出する予備作業だった。一言でいえば、それは静態モデルを動態モデルに変換することで、より柔軟で具体的な分析をするための準備だったといえる。

 丸山は論文後半で、二つの時期だけを代表的ケースとして論じた。それは1900年から10年ごろまでと、1923年の関東大震災直後の数年間だ。

 第一の時期は、明治維新につぐ転機だった。この時期に、保守派が「浮薄」と呼ぶ「個人主義」や、支配階層が危険視する「社会思想」が登場した。

 丸山によれば、この段階での個人析出は「私化」や「原子化」のタイプが圧倒的である。「私化」は「自然主義」小説や、その後も日本文学の正統となった「私小説」に現れている。同じく、明治維新直後に「立志」や「立身」は、「私化」されて赤裸々なエゴイズムとなった。

 そうなった理由として丸山は、日清、日露戦争の勝利のあとに、「富国強兵」のかけ声のもとに人々の心にしかかっていた圧迫感が急激に弛緩し、安全感が広がったからだという。こうした危機意識の減退は求心的な方向よりも、遠心的に働く。先の図5でいえば、⑧にあたるだろう。

図5 両軸を動かす拡大図5 両軸を動かす

 丸山は、「私化」とはっきり区別される「自立化」の傾向を示す若い少数の「インテリ」もいた、として石川啄木をあげる。「時代閉塞の現状」は、「強権の存在に対する没交渉」を主張する「個人主義的」傾向の背後に、受動的な形をとった大勢順応がひそんでいるのを鋭く見抜いた。丸山はそう指摘する。

 他方、この時期に「原子化」を集中的に表現しているのは、石炭・銅・銀などの鉱業労働者で、造船・鉄鋼業で働く労働者がこれについだ。悲惨な環境で働く彼らの鬱憤は、各地のストライキや騒擾事件で爆発したが、これらは組織された労働運動にはならず、「絶望的に原子化された労働者の痙攣的な発作」で終わり、発展したり飛び火したりすることはなかった。

 初期の社会主義者は少数の知識人指導者と、不平分子や落後者の混成部隊だったが、そこから片山潜や大杉栄、荒畑寒村ら、少数ながら、個人主義的なパーソナリティーをもちつつ、次代の運動を担う知的エリートが登場する。

 これを丸山は、「P→I→D」または「A→D」のベクトルで表現する。つまり、「私化」は直接、対角線には向かえないので、「自立化」に迂回をして「民主化」にたどり着く。あるいは、隣接する「原子化」は、直接、「民主化」に転化するという構図だ。

 第二の時期は、関東大震災で東京の生活が一変し、急激な変化に見舞われた数年だ。人々は画期的な変化、とりわけ機械化の進展を驚きの眼で眺めた。その例として丸山は「新感覚派」の旗手として登場した横光利一や、「見物人をアッといわせるような芝居」を目指した榎本健一、エノケンをあげる。「大衆文芸」や「文化住宅」が生まれ、「モガ」や「モボ」が銀ブラを始めた。「大衆世界の成熟」である。

 1929年の大恐慌は巨大な失業者をもたらし、原子化の動きをかつてなく促した。「私化」ないし、「民主化」から「原子化」に向かう大規模な移行が生じたのである。社会の表層の下には、一面にラディカリズムが鬱積し、それが30年代の相次ぐ爆発となって表面化した。丸山はそう分析する。

「原子化」の急増が超国家主義への道を切り開いたわけ

 こうした二つの事例の分析から、丸山は次のようにいう。

 日本の近代化で顕著なのは、PA型の双発的な登場、その中でも「私化」が最大になる傾向だった。先に見た図5の⑧である。

 四つのパターンのうち、IとPは近代化の安定的な要素、DとAは不安定的な要素を示す。⑧のような社会において、安定要因は「私化」、ダイナミックな要因は「原子化」だった。その結果、大衆運動の高揚期には、「私化」から「原子化」への移動が大規模におこり、それほど大規模ではないが、「自立化」または「原子化」から「民主化」への方向移動が進む。この時期に社会全体としてはDA型、つまり図2の②に近づく。

図2 個人析出のパターン拡大図2 個人析出のパターン

 逆に運動が沈滞し社会の雰囲気がしずまっていく時期には、「原子化」した個人は「私化」に、「民主化」した人は「自立化」、あるいはそこからさらに「私化」に向かう(図6)。

図6 日本の大衆運動拡大図6 日本の大衆運動

 つまり日本の大衆運動のスタイルは、「DA型」と「PA型」との間の往復運動になる。

 これは、「自立化」を公分母として、「IP」型と「ID」型の間を往復する社会とは、大きく違う。日本型では、平常では「私化」が「原子化」を大きく上回るが、いったん態度移行が始まると、その基調となるのはつねに「原子化」した個人になる。このタイプは過政治化と完全な無関心を往復する特質があり、権威主義的・カリスマ的政治指導にもっとも感染しやすい。

 以上のことから丸山は、取り上げた二つの時期で、急進的な大衆運動の高揚と沈滞の波長がなぜ短く急激であった理由が理解できるという。さらに、30年代に大恐慌がもたらした「原子化」の急増が、左翼運動を助長するよりはむしろ超国家主義への道を切り開く方向に働いたことも、これで説明できる、と結論づけた。

 丸山のこの論文は、なぜ大正デモクラシーのあとで、日本が急速に軍事化し、超国家主義への向かったのかを、見事に説明していると思う。その際に丸山は、「私化」と「原子化」の間を揺れ動く日本と、対照的にリベラルな「自立化」が根づいた国とを比較している。「自立化」というときに丸山の念頭にあった国が、英国や米国であったことは間違いない。丸山はこの論文で、日本の伝統に欠けていた「リベラル」の大切さを、説いたように私には思える。

戦後70年のとらえ方

 私はこの丸山モデルをもとに、戦後社会を自分なりに分析してみようと思う。その前に、どのような時代区分を分析の対象にするか、私見をご説明したい。

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筆者

外岡秀俊

外岡秀俊(そとおか・ひでとし) ジャーナリスト、北海道大学公共政策大学院研究員、元朝日新聞編集局長

1953年生まれ。東京大学法学部卒。朝日新聞入社後はニューヨーク特派員、欧州総局長などを経て2006年から07年にかけてゼネラルエディター兼東京編集局長。11年3月に早期退社。著書に『地震と社会』(上・下、みすず書房)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)、『3・11 複合被災』(岩波新書)など。中原清一郎名義で小説『未だ王化に染はず』(小学館文庫)、『ドラゴン・オプション』(小学館)、『カノン』(河出書房新社)がある。

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