改憲を主張するなら宗教的理由を説明すべきだ
2016年02月08日
明治憲法下において神社神道は他の民間宗教と違い、「宗教ではない祭祀」であり、神社は国家による公的な祭祀を司る「施設」だとされていた(島薗進『国家神道と日本人』岩波新書)。
簡単に言えば、神社は公的なお祀りのための施設であり、他の宗教のように超越的存在を信仰してその教えに従って生きるための場ではないということになる。
このようになった理由は、神社神道を宗教と規定した上で他の宗教よりも公的に優遇すると、神道は国家宗教、つまり国教となってしまうからである。
そうすると他の宗教を下位に置いたり抑圧したりすることになり、信教の自由が阻害されてしまう。仏教など他の宗教や西洋諸国がこのような仕組みに反対したので、神社神道は特定の人々の宗教ではなく国家の祭祀を行うとされたのである。
神道もあくまでも宗教だと考えて信仰を説こうとする神道的団体は、国家神道から独立して教派神道となった。
戦後はこのような制度は廃止されて、神道は民間の一宗教団体になった。けれども戦前のように「宗教ではない」という雰囲気はなお残っている。
たとえば他の宗教ならばその独自の開祖や教えがいて、信徒たちはその教えを信仰しているし、彼らにその自覚もある。
ところが、古代の自然崇拝から始まった神道には、そもそも特定の開祖がいないこともあって、神社では特定の教えや思想が明確には謳われていないことが多い。
神社本庁のサイトでは「神道」を「神社を中心とした、日本の神々への信仰」「日本人の暮らしの中から生まれた信仰」と説明して、「主な活動」として「敬神生活の綱領」と7点の活動が挙げられている。
その中には「祭祀の執行」とともに「氏子崇敬者の教化育成」があるが、初詣に行く人々の中にはこの「教化」の内容を知らない人が多いだろう。
祈ったりご祈祷をしたりしに行っても、このような理念について詳しく知ろうとする人はそういないだろう。実際、初詣に行く多くの日本人には特定宗教の場に行くという自覚が少ないのである。
しかし神道が宗教ではないのなら宗教法人として税制上で優遇されているのは奇妙だし、「宗教の公共性」という観点から改憲を求める署名活動を擁護することも難しくなる。
今の日本において神道は宗教だし、一義的には宗教本来の活動を行うべきなのである。
神社が改憲運動をしていいのか(上)――「宗教の公共性」に照らして考える(WEBRONZA)
宗教であるということは、神仏のような超越的存在を信仰しその教えに従って生きることを人々に勧めるということだろう。
神社ならばその御祭神の存在を信じて祈り、神々を敬って生きることになる。初詣のような行為も、ただの習慣ではなく御祭神に祈ることであり宗教的行為であるはずだ。
そして神社が改憲を目指す政治的運動を行うのならば、
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください