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著書『柔らかな海峡』執筆後記(下)

サイレント・マジョリティが託した思い

金恵京 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

 幸か不幸か、私がWEBRONZAにて日韓関係について論考の執筆を始めたのは、2012年8月の李明博前大統領の竹島上陸からのことである。そこから昨年(2015年)11月の首脳会談まで日韓関係にはほとんど良好な雰囲気が醸成されず、反発を繰り返してきた。

 ここで、この3年間という期間をどう捉えるかを考えてみる必要がある。

韓国・朴槿恵大統領(右)を表敬訪問し、握手する岸田文雄外相=28日午後4時28分、ソウルの大統領府、代表撮影拡大2015年末、慰安婦問題で合意した韓国・朴槿恵大統領(右)と岸田文雄外相=ソウルの大統領府、代表撮影
 日韓両国に限ったことではないが、2国間で問題が発生した際に、国民感情はどうしても近視眼的になり、物事の因果関係や自らの行動を省みなくなる。

 そして、同様の経験が長期間続くことで「自らは間違っておらず、相手が無理解である」といった認識が定着していく。

 そうした中で、政治決着等を経て、2国間関係が改善すると、過去の対立を生んだ問題は途端に「無かったこと」とされ、巨視的に見る姿勢や自省の念は一層隅に追いやられてしまう。

 すると、反省の無いままに時が経ち、かつてと同様の摩擦や衝突が再び繰り返されていく。

 つまり、過去を記録し、人々の記憶の一部にしていくことは前に進むためには不可欠な作業であり、もしそれが人々に共有されていれば大きな道標になると、私は考えたのである。

 確かに、私がそうした思いをもって出版を進めることは、誰かの求めに応じたものではなく、自らが設けた使命感に拠(よ)ったものである。しかし、韓国で日本に関心を持ち、日本に居ながら韓国のことを考えるという毎日を20年以上も続けてきたからこそ表現できるものがあり、両国に愛情を持つ自分であるからこそ、閉塞した関係に何かを示すことができるという自負はあった。

2011年、再認識した日本への思い

 改めて振り返ってみれば、私に『柔らかな海峡』を執筆させた上掲の二つの思いは、アメリカにて教職に就いていた私が、日本に戻る原動力としたものである。

 2011年当時、私はハワイ大学で教職に就いていたが、東日本大震災の影響下にある日本の映像を目にし、多くの友人の声を聞く度に、自らの中にある日本への思いを再認識していた。すると、次第に遠くから日本の苦しみを見ている自分の状況が不自然で、虚しいものに思えてきたのである。

 周囲の人々は、アメリカでのキャリアを放棄することや、日本の放射能についての懸念を伝えてきたが、日本に戻ることで悩んでいた私に ・・・続きを読む
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筆者

金恵京

金恵京(きむ・へぎょん) 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

国際法学者。日本大学危機管理学部准教授、早稲田大学博士(国際関係学専攻)。1975年ソウル生まれ。幼い頃より日本への関心が強く、1996年に明治大学法学部入学。2000年に卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修士課程に入学、博士後期課程で国際法によるテロリズム規制を研究。2005年、アメリカに渡り、ローファームMorrison & Foester勤務を経て、ジョージ・ワシントン大学総合科学部専任講師、ハワイ大学東アジア学部客員教授を歴任。2012年より日本に戻り、明治大学法学部助教、日本大学総合科学研究所准教授を経て現在に至る。著書に、『テロ防止策の研究――国際法の現状及び将来への提言』(早稲田大学出版部、2011)、『涙と花札――韓流と日流のあいだで』(新潮社、2012)、『風に舞う一葉――身近な日韓友好のすすめ』(第三文明社、2015)、『柔らかな海峡――日本・韓国 和解への道』(集英社インターナショナル、2015)、最新刊に『無差別テロ――国際社会はどう対処すればよいか』(岩波書店、2016)。

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