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注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、昨年11月27日に早稲田大学で行われたものをベースに、著者が加筆修正したものです。
立憲デモクラシーの会ホームページ http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/

日本型代表制の源流

千葉眞教授拡大千葉眞教授

 結びは簡単にしたいと思います。

 現代の代表制は、一般的に委任型の代表制として機能していると思います。私たちは投票、つまり選挙で選んだ人たちに次の選挙まで国政を委任したという理解がここでは基本になっているように思うわけです。そしてこれは現政権で際立っているわけですが、選挙の得票数で政権担当党になれば、かなり自由にやりたい放題のことができるという理解がはびこっているように思います。

 安保法制についても、ほとんど前年12月の衆院選では触れていませんでしたし、選挙時のマニフェストのなかに2、3行、かなり後ろの方に書かれていただけでしたが、実際の政権運営においてはこれが大きくクローズアップされたわけです。そして立憲主義の観点から見れば、昨年の集団的自衛権承認の閣議決定も含めて、違憲の決定や取り決めを次々にやっていく手法が目につくわけです。

 こういう委任型の代表制理解に基づいて、しかも節度なく、やりたい放題やる政権運営というのは、日本国憲法下で許されるのだろうか、という疑問がおのずと出てくるわけですね。前述のように、とくに憲法前文にある国政の「信託」理論からいえば、憲法は信託型(というのはロック型)の代表制を考えているのではないかという可能性が見えてくるわけです。

 日本国憲法の理解によれば、自由、人権、さらに民主主義というのも、「国民の不断の努力」(12条)によって実現させていくべき課題であるととらえています。また97条では、人権の成立は「人類の多年にわたる自由権獲得の努力の成果」であると記している。これはきわめてロック的、ウォリン的な定式化です。自由、人権、民主主義は、その持続化と深化への「不断の努力」がなければ、これまで人類が勝ち得てきた成果すらも、失いかねないという理解をここに確認することができます。

ホッブスとロック

千葉眞教授拡大千葉眞教授

 さて、このような日本国憲法の前提的理解にある信託型の代表制、未完の課題としての自由、人権、民主主義という見地との大きなコントラストにおいて、実際に運用されてきた日本型代表制(上述の通り、委任型代表制)の源流には、ホッブズの授権型ないし権威付与型の代表制の前提があります。

 ホッブズは結局、自然状態である戦争状態から逃れるために、自己保存の権利を含む自然権をほぼ全般的に主権者に譲渡してしまいます。主権者はこの委任された権力を行使することで、専制的支配ですらそれを行うことができる。そしてそこには、主権者の専制的政治の方が自然状態における戦争状態よりも、それは悪ではあるけれど、比較すれば、より少ない悪であるとするホッブズの論理をかいま見ることができます。このようにして、その委任型ないし授権型の支配が確立し、容認されていくわけです。

 ですから、ホッブズの場合、抵抗権はあるものの、非常に消極的に定義されています。抵抗権は、国外に亡命すること、あるいは内心、つまり思想において反対していても、それを外の行為や発言には絶対に出さないこと、抵抗はそうした形態に限定されるべきだという議論に落ち着くのです。ホッブズのこの消極的な意味での抵抗に関しても、研究者たちの間ではいろいろと論争があります。

 しかしロックの場合は、ホッブズの委任型の代表理論を否定しました。どういうふうに否定したかというと、委任型に代わる信託型の代表という考え方の原型を作ったと思われます。

 そして、だいぶ古い書物になりますが、ハンナ・ピトキンという政治理論家──カリフォルニア大学バークレー校時代のウォリンの同僚だった研究者──が、代表制について1967年に優れた英語の著作を出しています。そこでもこのホッブズに由来する委任型=授権型の代表制論に大きなクエスチョンマークをつけ、私の言葉を使えば信託型(彼女の言葉を使えば答責型)の代表制にすべきではないかという議論を提示しました。これは、主権者である市民にアカウンタブルな、すなわち、説明責任を十分に果たし、政権自体に瑕疵があれば、それに対して主権者が埋め合わせを要求できるような答責型の代表制の提唱と理解して、間違っていないと思います。

 代表制の問題というのは、今日は私の専門分野もあって、政治思想史と政治理論の観点からの話に終始したのですけれども、きっと今後の講師は、より具体的な制度的な問題、政策的な問題、地方自治の問題に関しても語り、それゆえに今後の一連の講義に連動していくだろうと思います。

 20年ほど前の衆議院総選挙において、小選挙区制が導入されたわけですが、オセロ・ゲームのように勝敗のどんでん返しが起こりやすく、また死票が極端に多くなるこの選挙制度の弊害も明らかになってきました。もう一度、中選挙区制に復帰した方がいいのかどうか、とい問題も含め、喫緊の検討課題となっています。

 また、今日の政党政治において、党議拘束があまりにも強く、憲法が想定している「国民代表の議員」という考え方がすっぽり抜け落ちている状況になってきています。この問題をどう考えたらよいのかという問題もあります。おそらくこれらの問題については、今後の講座シリーズのなかで講師の方々が問題提起をされていくのではないかと思います。

 私の今日の話は、代表制民主主義と参加デモクラシーの確執に関して、その原点のあたりの問題を取り上げてみました。残りの時間は、相互交流の質疑応答の時間として使わしていただけるとありがたいです。ご清聴ありがとうございました。

【質疑応答】

内閣支持率

Q:国会前の盛り上がりはすごかったのですが、それにもかかわらず、内閣支持率が40%以下にならないのはなぜか。

千葉:私も、今、安倍政権の支持率が40%を超えていることに、衝撃を受けていますし、大阪維新の躍進についても同様です。これは一体何なんなのだろうか。

 一つはさきほど述べた「既成事実への屈服」という日本社会の弱さが出たということもあると思います。しかし、同時に、おっしゃったように反対のマグマのようなものが社会にたまっている。これも現実の一部ですね。現状に対する義憤、怒り、このままじゃ日本が変な方向に連れて行かれるのではないかという不安とか、そういうもの全てをひっくるめて現実があると思います。

 どうもやはり、人びとは現実の表面的な既成事実だけに目が奪われてしまっている。また、日本社会には財界の中枢で働く会社員の人たちなど、この夏の国会内外の攻防をどれくらい知っているのか。どうせ自民党がうまくやってくれるだろうみたいなことで、あまり考えずにいる人が、想像以上に多いんじゃないかなという感じがあります。

 「アベノミクス」、今は「一億総活躍社会」。安倍首相の得意は根拠のないスローガンですよね。デマゴギーの傾向が濃厚な彼の政治家としての一面です。このスローガンをお守りのように後生大事にしていて、「おう頼もしいね」、「財界が全面的に安倍政権をバックアップしてるよね」と考えている人たちが想像以上に多くいるのではないか、と。さっきの政官財の鉄の三角形ですが、これを肯定的に評価している人も結構多く、「株も上がっているし、いいんじゃないの」という人が多くいるのではないか、と思います。これだけ酷いことをやっておいて、支持率が40%を超えている。どう見てもおかしい。残念ながら、安倍政権の正体を日本社会が見極められなくなっていると思います。

自由や市民的な権利が大衆のものになっていない

Q:「8月革命」ですが、これは憲法を主体にして、GHQの行った大変な社会改革だった。特に農地改革は、日本の政党、共産党でもできないような大改革をやりました。小作人に土地を分配し、小作人は解放されました。財閥解体もそうです。

 これらの改革は全て憲法の基本思想の方向性を示したものだと思いますが、問題は、誰が主体だったのか、その革命の主体は誰だったのか、ということです。この70年、ベ平連やいろんな市民運動の中で、自分たちの自由や市民的な権利が、自己のものだということを確認しあう運動がありましたが、結局それが大衆のものになっていない。

 たとえばフランス革命は血をずいぶん流したといいますが、フランスの人権宣言は立派な宣言で、フランス人のみならず、人権を侵害するような政府があれば必ず立ち上がって抵抗するということが共通の財産として民衆の中に浸透していった。残念ながら「8月革命」では、その深さまで行かなかったんじゃないかなと。

 さきほどの信託型か委任型の議会政治という問題提起ですが、現在の衆議院の25%くらいは世襲議員です。議員たちが貴族化している。そうすると、制度的には議会制民主主義といっても、実態は世襲化した貴族主義がどんどん拡がりつつある。その上に日本会議だ、神道議員連盟だとか、わけのわからない極限的な思想の洗礼を受けていないと議員として重要視されない、と。とんでもない極限的な状態が起きていると思うのです。

千葉: 2つのご意見がありましたけれど、両方とも私は同感です。1つ目はやはり主権在民、主権者が国民であるといっても、日本は弱いんじゃないのかという問題。たしかにそうなんですが、この夏私たちが経験したのは、しかし思ったより民主主義が根付いているのではないかということだったように思います。沖縄新基地反対運動、脱原発運動など、近年の流れの中で、我々の間に、かなり民主主義の活性化を促す運動や社会条件が出てきているとも思います。社会全体への浸透は不十分です。ですが、あまりに悲観的に捉えすぎると負けてしまうので、ここは頑張っていきたいです。

 2番目の問題、現在の議員の世襲化で貴族主義的だというのはその通りでしょう。議員選出のあり方を改正していく必要があります。この関連では最近、三浦まりさんが、岩波全書で『私たちの声を議会へ──代表制民主主義の再生』という本を出版しました。女性議員は日本の国会議員の10%前後なんです。世界160カ国くらいある中で100何位なんですね。国会議員の多様性を確保するという改革が必要です。ジェンダー・クオーター制は十分な検討に値する提唱です。

 もう一つは、職能代表制です。教育、法曹界、労働組合、農業、林業、漁業、工業など、いろいろな職業区分から代表者を選ぶという仕組みの導入を考えていくことも一考に値します。かつてイギリスではそうした議論が盛んだった時代がありました。また小選挙区制を廃止するとか、比例代表制の枠を広げるとか、国会議員の多様性を確保する制度改革が必須です。

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筆者

千葉眞

千葉眞(ちば・しん) 国際基督教大学(ICU)特任教授(政治思想)、平和研究所所長

1949年生まれ。1972年に早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、大学院へ。1983年プリンストン神学大学でPHDを取得。シェルドン・ウォリンの研究者としても著名。著書に『ラディカル・デモクラシーの地平──自由・差異・共通善』(新評論、1995年)、『アーレントと現代──自由の政治とその展望』(岩波書店、1996年)、『思考のフロンティア デモクラシー』(岩波書店、2000年)、『「未完の革命」としての平和憲法──立憲主義思想史から考える』(岩波書店、2009年)など。訳書にシェルドン・ウォリン『政治学批判』(共訳、みすず書房、1988年)、シャンタル・ムフ『政治的なるものの再興』(共訳、日本経済評論社、1998年)、エルネスト・ラクラウ、シャンタル・ムフ『民主主義の革命』(共訳、ちくま学芸文庫、2012年)など。

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