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[5]安倍政権は「戦後」に復讐を企てた

安保法制反対運動の収穫ー憲法、特に9条は依然として訴求力を持っていることを発見

山口二郎 法政大学法学部教授(政治学)

注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、昨年12月11日に早稲田大学で行われたものをベースに、著者が加筆修正したものです。
立憲デモクラシーの会ホームページhttp://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/

クーデター

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 いわば安倍政権というのは、「戦後」に復讐を企てたわけで、この講座の第一回で講義した法学者の石川健治さんが言うように、安保法制というのは戦後憲法体制へのクーデターだということができる。閣議決定、あるいは国会の多数決による憲法のさん奪であって、これはクーデターだと言わなければならない。

 特に安倍総理の場合は、反知性主義と結びつくことによって、密教、つまり官僚たちがつくった憲法9条の運用マニュアルを破壊しました。内閣法制局長官に政権が手を突っ込んで、人事を入れ替えて、官僚の緻密な論理っていうものを力ずくで踏みにじるということをやったわけです。

 そして歴史修正主義が蔓延する中で、戦前、戦後のむしろ連続性を政治家が強調し、戦争責任を否定する。安倍総理の70年談話というのは、半分はそういう側面を表明しているわけです。

9条の威力を再発見

 この講義では、戦後の崩壊という話をしてきたわけですが、最後に少し、今年の安保法制反対運動を振り返って、その意味を確認しておきたいと思います。

 まず今年の安保法制反対運動の大きな収穫として、憲法、あるいは特に9条は依然として訴求力を持っているという発見を挙げたいと思います。

 20年くらい前、「憲法を守れ」とか、「9条を守ろう」とかと言うのは、何か格好悪いとか、ダサイとか、あるいは年老いた者のこだわりみたいな、そういうイメージが少しあったのですが、学生や若い女性たちが、9条というシンボルを掲げて、正面から動く姿は、まことに感動的でした。依然としてやはり9条とか、憲法というのは、人々に訴え、人々を動かす力があるということです。

 もう一つは、我々、立憲デモクラシーの会と関係しますが、立憲、立憲主義という概念が、社会にある程度理解していただけた。つまり為政者といえども、従わなきゃいけないルールがある。為政者が法の上に立つのではなくて、法が為政者の上に立つ。これが立憲主義なのですが、そういう言葉遣いというのは、かなり一般に浸透したのではないかと思います。

 まさにこの安保法制というのは立憲主義の否定なのです。考えてみれば立憲主義とは空気のようなものです。為政者が常識的で思慮深ければ権力の運用も当然慎重なものになるはずです。実際、戦後の自民党政権では書かれた規範、あるいは暗黙の規範を無視して権力を濫用する為政者はあまりいなかった。だから立憲主義という言葉も必要なかったわけです。しかし、規範を無視する安倍首相が暴走するから、立憲主義の必要性を皆が感じるようになったのです。

新しい世代の出現

 要するに、社会のレベルで普通の人が自発的に動いて、当たり前のように街頭に出る、集会に行く、スピーチをする。そういう時代に入りました。これが新しい政治文化の出現と言うこともできます。

 SEALDsの動きというのは、やはりとても感動的です。これはある意味で、新しい世代の出現だと思います。彼らは中学高校時代に3.11を経験しています。我々のような年配者は、すぐ忘れるのですが、あの子たちはやはり、一番多感なときに3.11を経験して、一方で被災者に対するシンパシー、つまり共感をもち、他方で原発事故に象徴される大人の無責任さ、大人のずるさをきっちり見ている。正義感を持っている。この2つの要素が、彼らがものを見る、世の中を見るときの座標軸になっています。

 それからもう一つ、良い意味で、ゆとり教育の成果という点が挙げられます。この間、元文部省の寺脇研さんと話をしたときに、私が「SEALDsはいいですね」と言ったら、寺脇さんが「あれはゆとり教育の成果だ」と自慢していました(笑)。

 しかし、これはあながち嘘ではありません。SEALDsのメンバーには、東大生がほとんどいない。つまり偏差値の面で、「秀才」と言われる人たちが行う運動ではない、ということなのです。しかし、東大生でなくても、彼らは素晴らしいスピーチをして、我々を感動させてくれた。

 つまり、ゆとり教育で目指したのは、教師が上から正解を教えこむのではなく、子どもたちが自分なりに問いを立て、自分なりの答えを探して、いろいろ調べて、自分なりの考えを人に向かってわかりやすく説明する、という訓練です。これについては、SEALDsのメンバーの学生たちを見ていると、見事に実を結んだという感じがします。ここで新しい政治文化が始まった。私は、この点に関しては楽観的に見ています。

市民と新しい政治文化の誕生

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 この夏に起きた安保法制に対する反対のデモからは、「日本において、どうやって市民をつくるか」という、政治学の伝統的な課題に対する答えも見出したと私は感じています。

 今年お亡くなりになった政治学者の篠原一先生や、政治学者の松下圭一先生、さかのぼれば丸山真男先生、皆さん、制度を輸入した後、民主主義の制度を実際に担う市民をどうやってつくるか、という問題を考えてきたわけです。

 例えばもっと前の世代、和辻哲郎という哲学者が、今から90年ほど前に出版した本『風土』の中で、政治文化の比較をしています。日本の政治文化は忍従、つまり我慢して権力・権威に従うことだと規定しています。

 これに対して、ヨーロッパの政治文化は都市における自治の伝統の中でできたもので、「公共的なるものへの強い関心、関与とともに、自己の主張の尊重が発達した」と述べています。民主主義はその中で出てきたのだと言うわけです。

 さらにデモ行進、デモンストレーションに関してもこんなことを言っています。「示威運動(デモンストレーション)に際して、常に喜んで一兵卒として参与することを公共人としての義務するごとき覚悟、これがデモクラシーに不可欠だ」と言うわけですね。

 いままで学者は日本の市民はまだまだ成熟していないと言ってきたのですが、安保法制反対運動の中で〝市民〟がどんどん生まれてきたということは確かだと思います。たぶんこの中にも国会前や、その他の集会に出ていった方が大勢いらっしゃると思いますが、皆さんやはり、公共人としての義務という感じで行かれたのではないでしょうか。

 ここで何か言わなかったら、子や孫に申し訳が立たないという感覚。いま何かいわなきゃ、自分が絶対後悔するとか、そういう公共人としての責務、義務としてみんな行動したと思うんですね。そういう意味で、日本に新しい政治文化が生まれているということです。

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筆者

山口二郎

山口二郎(やまぐち・じろう) 法政大学法学部教授(政治学)

1958年生まれ。東京大学法学部卒。北海道大学法学部教授を経て、法政大学法学部教授(政治学)。主な著書に「大蔵官僚支配の終焉」、「政治改革」、「ブレア時代のイギリス」、「政権交代とは何だったのか」、「若者のための政治マニュアル」など。

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