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[1]イラク戦争「すべての戦いの母なる戦争」

パンドラの箱からかくも多くの禍々しいものたちが飛び出すとは誰も予想していなかった

酒井啓子 千葉大学グローバル関係融合研究センター長

世界を震撼させている諸事件の原因

イラク軍から移動中に突然襲撃を受け、無線で近隣の部隊の状況を確認する米海兵隊員=2003年4月、イラク中部ナーシリヤ拡大イラク軍から移動中に突然襲撃を受け、無線で近隣の部隊の状況を確認する米海兵隊員=2003年4月、イラク中部ナーシリヤ

 1991年1月、アメリカが湾岸戦争でイラクを攻撃したとき、当時イラクの大統領だったサッダーム・フセインは、これを「すべての戦いの母なる戦争」と名付けた。前線だけではない、ありとあらゆる分野でアメリカと戦うべし、という、決死の覚悟を国民に呼びかける意気込みの表れだったのだろう。

 だが、湾岸戦争は一カ月半で終わり、イラク軍はほうほうの体でクウェートから逃げ出した。フセイン政権は、その後一カ月以上にわたり、全国に広がった反政府暴動に悩まされた。「すべての戦い」を展開する余裕など、なかった。

 しかし、もしイラク戦争が湾岸戦争の連続だったとすれば、それこそまさしく「すべての戦いの母なる戦争」だったといえるだろう。2003年にアメリカとイギリス、およびその他有志連合軍が開始したイラク戦争という「軍事力による政権転覆」は、いま中東を混乱に陥れ、世界を震撼させている諸事件のほとんどの原因だといっても、過言ではない。

 2014年からシリア、イラクに拠点を築いている「イスラーム国」(IS)が、イラク戦争の落とし子だというのは、いまや誰もが口にする事実だ。昨年イギリスのブレア元首相が「イラク戦争がなかったらISは出現していなかった」と認めたし、いま話題の米共和党大統領候補、ドナルド・トランプ氏は「サッダームとカダフィが生きていれば世界はもっとマシだっただろう」とまで言っている。

 ISの「カリフ」を自認するアブー・バクル・バグダーディがイラクのサマッラー出身であることや、その他幹部の多くがイラクの旧政権で軍、治安関係に携わっていたといわれることからすれば、彼らが国を追われてISに走った原因がイラク戦争とそれによる政権転覆だったことは、明らかだろう。

 なにより、ISの前身たる「イラク・イスラーム国」は、イラク戦争から三年後の2006年、アメリカ軍による反米派掃討作戦で疲弊し破壊されたイラクのファッルージャで設立された。イラクの地元社会で鬱積する戦後政治への憤懣に、海外から流入したアルカーイダ系の戦闘員がコラボしたことで、ISの原型が作られたのである。

理不尽さと憤怒を出発点にテロが生まれた

同時多発テロから2週間、事件の傷痕を伝えるシンボルとなっていた世界貿易センタービル南棟の外壁が取り壊された=2001年9月26日、ニューヨーク拡大同時多発テロから2週間、事件の傷痕を伝えるシンボルとなっていた世界貿易センタービル南棟の外壁が取り壊された=2001年9月26日、ニューヨーク

 イラク戦争は、9.11のショックで羹に懲りて膾を吹く状態になったアメリカが、イラクへの過剰な危機意識を抱いて起きた。

 アフガニスタンで簡単にターリバーン政権を転覆させたことが、お手軽感を増していたのだろう。大量破壊兵器も眼前の脅威もないが、とりあえず除外しておくに越したことはないと考えて、フセイン政権を倒した。

  だが、その結果より多くのテロに世界が悩まされることになったことは、言うまでもない。イラクに駐留した米兵のうち、現在までに4495人が命を落とした。アフガニスタンでは2381人だ。9.11のリベンジで始まったこの二カ国での戦争だが、9.11の死者数3000人強を大きく上回る犠牲を、アメリカは払っている。

 それだけの犠牲を払ってイラクとアフガニスタンがよくなっているかといえば、ノーだ。

 世界のさまざまな統計を集めたグローバル・データベースサイト、NationMasterによれば、1968年から2006年までの期間で最もテロが多く発生した国は、第一位がイラク、第二位がパレスチナ西岸地区だが、イラクでの全テロ件数4680件のうち2000年以降に発生した件数は98%を占める。西岸も同様で、テロ件数の96%が2000年以降だ。

 分類方法が変わるので一概に比較できないが、米国務省が発表する「国別テロ報告書」によれば、1995年から2000年までの間にテロが最も多かったのはラテンアメリカで729件、中東はその3割弱だったのに対して、2007年の統計では中東がダントツトップとなり、一年だけで7540件と、二位の南アジアの二倍強となっている。同じ年の同じ統計では、世界で起きたテロの半数がイラクで起きた、と記されている。

 つまり、「独裁政権を倒して中東に民主化を」、と当時のブッシュ米大統領が喧伝して始めたイラク戦争だったが、世界はそのあともっと危険で不安定で理不尽な死と矛盾に溢れたものになってしまったのだ。いま世界で吹き荒れている多くの「テロ」は、その理不尽さと憤懣を出発点として生まれたものに他ならない。

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筆者

酒井啓子

酒井啓子(さかい・けいこ) 千葉大学グローバル関係融合研究センター長

1959年生まれ。東京大学教養学部卒、英ダーラム大学修士。アジア経済研究所研究員、在イラク日本国大使館専門調査員、東京外国語大学教授を経て現職。専門はイラク政治、現代中東政治。著書に『イラクとアメリカ』(岩波新書)、『イラク・フセイン政権の支配構造』(岩波書店)、『〈中東〉の考え方』(講談社現代新書)、『中東政治学』(有斐閣)等。

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