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[1]グローバルな寡頭支配VS立憲デモクラシー

~集団的自衛権、TPP、安倍談話~

中野晃一 上智大学国際教養学部教授・政治学(日本政治、比較政治、政治思想)

注)この立憲デモクラシー講座の原稿は、1月8日に早稲田大学で行われたものをベースに、講演者が加筆修正したものです。

立憲デモクラシーの会ホームページhttp://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/

 今日は大勢の方にお集まりいただき、このような場でお話しさせていただくことを、非常に光栄に思っております。本当はもともと、今日は杉田敦さんの回だったので、変更を知らずにおいでになった杉田ファンの方には、「また2週間後もおいでください」とお詫び申し上げます。今日は「グローバルな寡頭支配VS立憲デモクラシー」。副題で「集団的自衛権、TPP、安倍談話」というふうに触れましたが、実はここには、慰安婦問題に関する日韓政府間「合意」も入れてもいいぐらいだと思っています。このへんのことというのは一つ、流れとしてつながっているところがあると考えております。過去のことと言いますか、これまでのことをちょっと振り返って、その理解を共有した上で、先を見据えるということになってくるかと思います。

安保法制の背景

 まず、「安保法制」――そう呼ぶのが、おそらくもっともニュートラルだと思うのですが――安保法制の背景は、どういうところにあるのか、という点から入っていきたいと思います。また、それがどうして、いまの安倍政権において、こういう形を取ったのかということについても触れさせていただいて、そしてその後は、これから先のことと言いますか、夏の抗議行動も踏まえた上で、これから先、どういったことが大事になってくるのかについてもお話をさせていただきたいと思います。

中野晃一教授中野晃一教授
 安保法制の背景ということなんですが、いわゆる安保関連法というものはご承知の通り、11の法案が二つに束ねられた形だったわけです。ですから非常に多岐にわたっている。審議時間が100時間を超えたから、もういいだろうと言って強行されたわけですけれども、我々の多くが納得がいかなかったというのは、11も違った法律が入っているにもかかわらず、その一つひとつが、これまた官僚側でも拙速につくった形跡が残っていて、いろんなところで矛盾があるんじゃないかとか、あるいははっきりしていないところがあると感じています。それが国会の審議の場において明らかになり、これはやはり本当に通してはいけない法律なんだなということが明らかになってしまったんだと思うんです。

 ただ、逆に言いますと、それくらい安倍政権が数の力、つまり、衆参の両院において安定的に多数を持っていて、これを強行しようとしていると言えるのだと思います。歴史修正主義の問題に関しても、安倍さん個人にとどまらない、もっと大きな問題が実際にはあると思います。

背後にある「日米安保ムラ」

 だから、安倍政権が終わっても、それで「よかった、よかった」と、元の生活に戻れるかというと、なかなかそうはいかないと思うんです。それぐらいのつもりでやらなきゃいけない。ただ、終わらせることにはやっぱり意味があると思うんです。いずれにしても安倍さんだけがやっているとか、菅官房長官が牛耳っている官邸だけがやっているということでは必ずしもなくて、外務省だとか、あるいは「日米安保ムラ」と呼びたくなるような日米の政策関係者などが背後にあって、相当大きな動きが起きている。これはもちろん、一枚岩の大きな動きというわけではなく、中に矛盾をはらみながら、相当組織的な動きも含めて、このような事態が生じているということだと思うのです。

グローバル化で進む寡頭支配

 安保法制の背景ということで言いますと、これは大きく言って三つの流れが今回の11の関連法によって推し進められ、また一線を越えたということになるのだと思うのですね。それは、冷戦が終わってからいまに至る流れの中で、私自身はグローバルな寡頭支配、平たく言えば少数派支配いわゆるオリガーキーということですね、これが進んだ。少数派支配、寡頭支配、そういったものがグローバルな規模で、つまり国境を越える形で進んでいった。

 東西冷戦の時というのは文字通り、二つのブロックに分かれていて、東側と西側では交流がほとんどなかった、にらみ合っていたわけですね。そこから考えても、中国をいくら仮想敵国のように扱っていたところで、ソ連のような国とは全く違うわけです。その経済的なつながり、文化的なつながりもそうですが、それ以上に経済的なつながりということで言えば、中国は明らかにソ連ではない。それはアメリカにとっても日本にとっても、ソ連では決してないわけです。だから「グローバル化」という言葉を我々が使うときは、そういったことも含意していて、もはや本当に地球がグローブというぐらいに一つとなってしまって、その規模で国境を越える形でしばしば少数派支配が広がっている状況があるということが言えると思うのです。

東西冷戦後のアメリカの役割

 冷戦が終わったことがそういった事態をもたらしていくということは、もちろん冷戦が終わる当時はわからなかったわけです。しかし振り返ってみれば、もう四半世紀以上前になるわけですが、1989年にベルリンの壁が崩壊して、その後すぐ、湾岸危機、湾岸戦争があったわけですね。ですから日本の安全保障政策を考えるとき、大きな転換が始まるのは、1989年になってくるわけです。東西冷戦の中でも日本に対して、アメリカが「もっとやれ」というようなプレッシャーをかけてくるわけですが、基本的に米ソの冷戦という構図の中で、アメリカの下で日本は日米安保があって、自衛隊があって、安全保障政策がなされているという状況があったわけです。

 ただ、ソ連が崩壊したと同時に、アメリカが勝ち誇ったけれども、そのアメリカ自体も実はふらふらになっているところがあった。東西冷戦が終わり、そういう状況の中で、アメリカがどういう役割を果たすのか、そこがちょっと宙ぶらりんになった状況が、当時あったわけです。

PKO法、国際貢献という名目での自衛隊派遣

 その間隙を縫うように、サダム・フセインがクウェートに侵攻して、ではどう対応するのかという、テストケースが生まれてしまった。そういう意味では、アメリカ側から特に日本に対して「もっとやれ」という圧力が強まっていくのは、その段階から始まっていたということになるのだと思います。

 その第一段階が1992年に施行されたPKO法で、PKO法という形で自衛隊の海外派遣が実現してしまうことになるわけです。今回もまた、束ねられた2本の法案のうちの一つがこのPKO法の延長線上にある、恒久化するような法律になるわけですけれども、これが、安保法制の入り口としてあったわけです。9条のもとで平和主義が強い日本の中において、どういった形で自衛隊を海外に送り出すような国にできるかということを考えたときに、「国連」とか「国際貢献」とか、そういう言葉を使うと日本人はどうも弱いらしいというところがあったので、「国際貢献」という言葉が使われ始めたのが、このときからということになります。

 また、「積極的平和主義」という、いまに至るスローガン、政府を導く外交安保政策の指針ということになっていますが、その積極的平和主義というものが、これは、政府の文書を見ますと、もっと長くて「国際協調主義に基づく積極的平和主義」という枠組みになっているのですが、そういった言葉遣いがされていくのも、やはりこの時期だということになるわけです。

中野晃一教授聴衆を前に講演する中野晃一教授
 いまに至るまで、政府の安保政策の指南役と言いますか、ブレーンの一人である政治学者の北岡伸一さんが、当時はまだ自民党の幹事長をやめて間もない頃だった小沢一郎さんの懐刀でした。自民党が湾岸危機というものを踏まえて、じゃあどうするといったときに、憲法の前文を読んで、9条の解釈を変えて、自衛隊を海外に派遣することができるんだということ、つまり「積極的平和主義」ということを言い出したのは、実は小沢さんだったわけですね。そのときのブレーンが北岡さんだった。

 ただ、北岡さんの場合には、その当時から集団的自衛権も行使容認をさせたがっていた。それに対して小沢さんは、いまに至るまでそうなんですけれども、国連を中心とした安全保障、国際安全保障の体制はいいということで、例えば自衛隊を国連軍として、あるいは自衛隊以外の組織を国連軍としてやるのは問題ないんだと、そういう意見をとっていて、集団的自衛権に関しては、これはいけないんだという意見です。要は国連の下で行われるものではないわけですから、これはいけないんだということで、一線を引いていたわけです。

 しかし、いずれにしてもPKOという形で入っていったというのは、日本にとってやりやすいことだったから、アメリカを中心とした国際社会の圧力を受けて、こういう展開が行われたということ、これは踏まえておきたいことだと思うんですね。

PKOは、たんなる突破口

 現在も、南スーダンに自衛隊を派遣する、しないといった議論があって、いまのところ先送りするということになっているようですけれども、どうしてそこまでこだわるかというと、やっぱり国連が絡んでいると説得しやすいということが一番と大きいのだと思うのです。これは、伊勢崎賢治さん(東京外国語大学総合国際学研究院教授)や、いろいろな実際の実務に携わっている方が再三ご指摘されていることですけれども、そもそも日本みたいな先進国で非常に豊かな国がPKOにこだわるというのは、本当は異常だということは確認しておきたいことであるわけです。

 本来であれば、発展途上国などがPKOに人を出して、外貨を稼ぐのが普通であって、日本のように豊かな国がPKOにこだわるのはそんなにあるケースではないわけです。ですから、そういった意味ではPKOを突破口にして、ほかの形態の海外派兵に繋げていこうという考えが、いまに続くまであるのだと思うのです。

 PKO法の後、1996年の日米安全保障共同宣言というのがあって、それ以降、アーミテージ報告に至るまで1990年代の後半に一連の政策転換がなされたわけです。これは、PKOという国連の枠組みで行うものとまた少し違っていて、冷戦が終わった中で日米の安保政策関係者たちがどうするかと思ったときに、同盟が漂流していると、アメリカがどこかへ行ってしまうんじゃないかという、ある種の危機感を持って、東アジアにアメリカをどうやって留め置くか、どうやって置き去りにされないようにするかということがありました。この時期、実は日本と韓国の関係が好転の兆しを見せるというのも偶然ではなく、これはもちろん河野談話、村山談話というのがその前にあるからということが当然あるのですが、90年代の後半で、例えば当時、総理だった小渕恵三さんと、韓国の金大中の間で歩み寄りが見られたということとの背景には、アメリカにとどまってもらおうという利益が一致していた、そんな日韓両政府の事情もあるんです。

新ガイドライン(1997)~周辺事態法(1999)
東アジアの情勢

 それは、例えば北朝鮮が核開発をしている、――つい最近も、北朝鮮はまた安倍さんに援護射撃をしていますけれども――、そういったことであるとか、あるいは中国が台頭してきて、そのリスクをどう考えるのかというような問題が出てきている。例えば朝鮮半島有事、あるいは台湾有事といった事態が起きた場合どうするんだということを考えると、やっぱりアメリカにいてもらわないといけないと。

 ただアメリカは、いままでみたいに頑張る気がないかもしれないということになってくると、アメリカに置き去りにされないようにすがろうということで、日韓の政策関係者が動いていた。その文脈の中にこの新ガイドラインであるとか、周辺事態法といったようなものが出てきて、自衛隊はもっとここまでやりますよというようなことが行われるわけです。

アーミテージ報告(2000)
安全保障をめぐる日米の思惑

 これは、東アジア地域に相当程度、神経を集中させた中で日米関係をどう「深化」させるかを政策関係者が考えていた中で出てきたことです。そしてアーミテージ報告ということで言えば、いまに至るまで重要なのは、集団的自衛権の行使を日本ができないということが、同盟関係の足かせになっているということで、三つ目の要素につながる展望を示したのがここだったわけです。アメリカをとどめ置きたいと、韓国もそうかもしれないけど、日本の関心というのは、アメリカを東アジアにとどめおいて、その傘の下でやっていきたいということだけれども、じゃあアメリカにとってどうなのかと。

 アメリカの側を見ると、日米安保関係者だけじゃワシントン全体は動かないわけですね。よく「ジャパンハンドラー」と言われるような人たち、マイケル・グリーンだとか、ロバート・キャンベルだとか、アーミテージだとか、彼らがワシントンを牛耳っているかというと、そういうわけでは全然ない。

 要は日本からすると、彼らを通さないと話を聞いてもらえないと。はっきり言ってしまうと、その程度の外交力しか日本は持っていないから、だから御用聞きみたいな人を通じなければいけないわけですけれども。しかしそういった日本政府が頼りにしている人たちというのが、ワシントンの政策全体を決めているかといったら、全くそんなことはないわけです。

 例えばいまみたいな状況であれば、シリアであるとか、ウクライナであるとか、中東であるとか、いろいろな問題がある中で、どうやって東アジアの側に気を引くのかということが、彼らからすると非常に大事なわけです。そうなってきますと、「日本が『これだけやりますよ』って言ってますよ」と言っておかないと、注意を引くことができない、話を聞いてもらうことができないということがあるので、日本に対していろいろな要求を突きつけてくる。あるいは日本政府側もあれをやりたい、これをやりたいっていうのも、それをアメリカが言ったということにすれば、外交の圧力だということで、日本の中での内政的な歯止め、そういうのを乗り越えることができるという共同関係があるのです。

アメリカの世界戦略

 アーミテージ報告においてはっきり出ているのは、日米関係を英米関係のようにしたい、というビジョンなんですね。イギリスとアメリカは、特別な関係だとイギリスでも言われているのですが、要はイギリスのように日本をしたいんだというのがアメリカの政策関係者の見方だということが、ここではっきり出てくる。それを考えたときに、集団的自衛権の行使を容認していないということが非常に大きな障害になっていると。そんな日本ではちょっとなあということで、「もうちょっと何かやってくれないかな」と言っているわけです。

 それはPKOがどうしたこうしたとか、その突破口としてのPKOとか、あるいは東アジアで何か起きた場合、日米関係、同盟はどう動くのかといったことではなくて、地球の裏側にいても、中東にいてもどこであっても、まあアメリカはいろんなことをやっていて、あちこちで戦争に関わっている。そのアメリカに対して日本は何ができるのか、という話に今度はなってくる。

 特に、小泉元総理以降、2001年に起きた「9・11アメリカ同時多発テロ事件」から2003年に始まったイラク戦争といった流れの中で、次々と出てくる2008年の新テロ特措法に至るまでの流れということになっています。こうして三つ目の流れとしては、アメリカの世界戦略、その中で日本は何ができるのか、イギリスみたいに忠犬ポチになれるのか、そういう話になってくるわけですね。

求められる「米の子分」化

 だから例えばイラク戦争のときに、ドイツであるとか、あるいはフランスであるとか、そういったところはNATOに入っているし、アメリカとの同盟関係があるわけですけれども、これは大義名分がないんじゃないかと。大量破壊兵器があると言うけれども、それは本当にそうなのかとか、これは国際法に違反しているんじゃないかということで参加しなかったわけです。

 その一方で、小泉元総理は、集団的自衛権が行使できないという縛りはあるけれども、サマワに派遣するとか、あるいはインド洋で給油活動をするとか、そういった形で、できることをできるだけやっていくと、その有志連合に入っていくと、そういう姿勢を見せろと。「Boots on the ground」っていうようなことが、言われましたけれども、「実際に行け」と、「来い」というようなことを言われて、行く。そういうイギリスのような、バットマンとロビンなのか、ジャイアンとスネオなのかわかりませんが、まあそういった「子分」として、出かけてくときに一緒についていくと、そういった役割をその日本には期待をしているんだということが明らかになってくるわけですね。

 アメリカにすがっていくモードになっている日本の政策関係者にすると、「じゃあそのために頑張んなきゃ」と、そういう話になってきているということなんじゃないかと思います。こういう三つの流れが、今回の安保関連法の中に入っていくということになっていくわけです。(続く)

(撮影:吉永考宏)