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「君が代」とは別の「第二の国歌」があれば理想だ

野球観戦に耳栓は持って行きたくない

三島憲一 大阪大学名誉教授(ドイツ哲学、現代ドイツ政治)

成熟度を示す球場の観客

 ときどきプロ野球の試合を観戦に行く。多くの球場では試合開始直前に「君が代」が演奏され、スタンドの観客も一緒に歌う。たいていの方は口パクのようだが、演奏前に「ご起立ください」とのアナウンスがある。

試合開始前に君が代独唱をする石井竜也さん20151027拡大日本シリーズでは「君が代」の独唱もよくおこなわれる。歌うのは石井竜也さん=2015年10月27日、神宮球場で
 小生はもちろん立たない。野球と「君が代」となんの関係があるのだろう。歌うと贔屓のチームが勝つなら歌ってもいいが。

 われわれの子供の頃は、大会社につとめているエリート・サラリーマンたちでも「君が代」を「ああ、相撲の歌か」と言って笑っていた。

 しかし、日本の市民の成熟度を示すのは、10人にひとりぐらいだろうか、あるいは、もっと少ないか、ひょっとしてもっと多いかもしれないが、やはり起立の要請に応じない観客が結構いることだ。

 ビールを飲みながら座ったまま雑談を続けている女性同士の観客もいる。

 いや、成熟度を最もよく示すのは、そういう観客に「なんで、あんた立たないんだ!」「国賊か!」「中国の手先か!」などとなじる人を見かけたことがないことだ。起立しない側も身構えずに、スマホで他の球場のスタメンをチェックしながら、質の悪いスピーカーから流れる音楽が終わるまで気楽に座りっぱなしでいられることだ。

 いろいろな考えの人がいることを皆さん、直観的に知っているのだ。うるさく言えば、価値観の多様化である。

 あるいは、皆さん、早く儀式を終わらせて、そのために高い入場料を払っている試合に入りたいだけのことかもしれない。これも価値観だ。

 昔は、演奏そのものも「起立」もなかった。多分アメリカの球場の慣行を真似たのだろうが、いつの頃からか、すべてのスタジアムではないが、「相撲の歌」だったのが、「野球の歌」になってしまった。

 もちろんこの流れにはある種の力が働いていよう。そして、「国賊か!」という叫びが ・・・続きを読む
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筆者

三島憲一

三島憲一(みしま・けんいち) 大阪大学名誉教授(ドイツ哲学、現代ドイツ政治)

大阪大学名誉教授。博士。1942年生まれ。専攻はドイツ哲学、現代ドイツ政治の思想史的検討。著書に『ニーチェ以後 思想史の呪縛を超えて』『現代ドイツ 統一後の知的軌跡』『戦後ドイツ その知的歴史』、訳書にユルゲン・ハーバーマス『近代未完のプロジェクト』など。1987年、フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞、2001年、オイゲン・ウント・イルゼ・ザイボルト賞受賞。

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