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[4]PTSDの歴史――ベトナムからヒロシマへ

高原耕平 大阪大学文学部博士後期課程

直視できないものを横目で捉えること

 反戦帰還兵たちがPTSD(心的外傷後ストレス障害)を成立させたのは、自分たちの苦痛を社会に認知させ、アメリカ政府にベトナム戦争の無意味さを突きつけるためだった。いいかえれば、PTSDは反戦帰還兵が政府に反発する過程で作られた、政治的運動の産物だった。

 こうした経緯をふまえて本稿の最初の問題に戻ると、現代の日本で防衛省が自らPTSD対策に力を入れることは、奇妙に転倒した事態でもある、ということがわかる。戦争の是非を問い返す過程のなかで作り上げられた病名が、自衛隊の海外派遣を拡大してゆこうとする政府・政権によって積極的に活用されている、という事態である。

 隊員のメンタルヘルス対策、PTSD対策が進められるということそのものは、望ましいことである。しかし、PTSDの本質はその成立の過程そのものにある。すなわち、「この戦争には何の意味があったのか?」「なぜこの国はあのような戦争を始めたのか?」という問いかけである。

 いまの日本でこの問いかけが抜け落ちたまま「ケア」だけが先行してゆくとすれば、それはきわめて表面的で危険な事態である。

 どうすればよいのか。具体的なメンタルヘルス対策と、拡大する海外派遣についてのオープンな議論、その両方が噛み合って進められることが本来のあるべきかたちだろう。その議論をていねいに進めるためにも、海外派遣から帰国した隊員の自殺やメンタルヘルスの問題について、政府と防衛省はより詳しく情報を公開してゆくべきだ。

 では、国民・有権者は、この問題をどう受け止めなおしてゆくべきなのだろうか。

 しばしば、「現実を直視せよ」ということが言われる。いわゆる「左派」と呼ばれるひとびとは、日本の過去の侵略や歴史的事実から目をそらすなと言う。いわゆる「右派」と呼ばれるひとびとは、日本を取り囲む国際状況の厳しい現実を直視せよと言う。

 わたしは、眼の周りがちりちりと痛くなるような冷徹な現実を、つねにまっすぐ直視できるほど、人間は強くないのではないかとおもう。

 56名の自殺という事実についても同様だ。ニュースを読むと、いったいなぜなのだろう、かれらに何があったんだろうという混乱に襲われる。けれどもそのうち、考えるのを避けるようになってしまう。たいせつなことがらは、考えるのがしんどいことがらでもある。

 だから、かろうじて、ゆっくりとことばを探しながら、横目でちらりと何度も見なおそうとする、というふうにするほかないのではないか。つまり、ことの是非や原因を即断せず、自分や他人を追い詰めないようにしながら、日々のちいさなきっかけの中で出来事を反芻し、できるだけさまざまな角度から何度も考えなおしてみる、ということである。

ヒロシマとリフトン――PTSDと歴史の関係

 近年、自衛隊で隊員のメンタルヘルス対策が促進されている。その一方で、イラク派遣・インド洋補給派遣から帰国した隊員のうち、56名が自殺していた。これらの事実をどう受け止めなおしてゆくべきだろうか。

 本連載の第3回では自衛隊からいったん離れ、PTSDの成り立ちに焦点を当てた。PTSDは、1970年代アメリカで、反戦ベトナム戦争帰還兵の問いかけから生まれた。「なぜ自分たちはこの戦争に行かなくてはいけなかったのか?」という問いかけである。 ・・・続きを読む
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筆者

高原耕平

高原耕平(たかはら・こうへい) 大阪大学文学部博士後期課程

大阪大学文学部博士後期課程(臨床哲学専攻)。大阪大学未来共生イノベーター博士課程プログラム所属。1983年、神戸生まれ。大谷大学文学部哲学科卒。研究テーマは、トラウマに関する精神医学史、ドイツ哲学、阪神淡路大震災。最近の論文として、「反復する竹灯篭と延焼 阪神・淡路大震災における〈復興/風化〉と追悼の関係」(『未来共生学ジャーナル』3号、2016年)など。