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元海兵隊員による「リナさん殺害事件」を悼む

「密約法体系」がある限り、悲劇は何度でもくり返される

矢部宏治 書籍情報社代表

 今週の日曜日(6月19日)、沖縄で開かれた県民大会(*)に参加した。いうまでもない。4月に起きた元海兵隊員による暴行殺人事件をうけての抗議・追悼集会だ。主催者発表で6万5000人もの人びとが、那覇の陸上競技場に集まる大規模な集会となった(*「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾! 被害者を追悼し、沖縄から海兵隊の撤退を求める県民大会」於:奥武山(おうのやま)陸上競技場)。

県民大会で、「怒りは限界を超えた」と書かれたボードを掲げる参加者たち=19日午後3時18分、那覇市の奥武山陸上競技場20160619県民大会で、「怒りは限界を超えた」と書かれたボードを掲げる参加者たち=2016年6月19日、那覇市の奥武山陸上競技場
 うっかり東京から半袖で来てしまった自分の両腕が、みるみる赤く火ぶくれしていく強烈な日差しのなか、壇上でスピーチをつづける県民の代表たち。

 本土の政治集会とちがって、そこにはウソくさい建前も、政治的ポジショントークも、いっさい存在しない。みな、いちように心に深い傷を負っていることが痛いほど伝わってくるからだ。

 思えば無理もない。21年前の少女暴行事件、あえて正確に書けば「米兵3名による女子小学生への集団強姦事件」が起こったあと、県をあげて「もう二度とこんな事件を起こさない」ことを誓ったはずだった。事件の背後に存在する、米軍関係者の犯罪を正当に裁けない歪んだ法的関係を、必ず変えると誓ったはずだった。日米両政府に対して全力で働きかけ、米軍基地問題の解決に力をつくしてきたはずだった。

 それなのに今回、やはりまだ少女と呼んでもいいような、あどけない笑顔をもつ20歳の女性が、無惨に暴行・殺害されてしまったのだ。いつもは快活な沖縄の友人たちも、いままで見たことがないほど表情が暗い。県民代表のスピーチで「(娘を)最後の犠牲者にしてください」という遺族の言葉が伝えられたときには、眼鏡をはずして、汗と混じりあった涙をタオルでぬぐう人たちの姿があちこちでみられた。

リナさんが、殺害されるまで

 沖縄の尊敬すべきジャーナリストたちにならって、私も彼女を「リナさん」と呼ぶことにする。「20歳の女性」と書くことで、沖縄では当然のこととして共有されている激しい心の痛みが、本土に届かぬまま消えてしまうことを恐れるからだ。

 まだ成人したばかりで、これから長く充実した人生を歩んでいくはずだったリナさん。大切な恋人もいた、両親にとっては一人娘だったリナさん。

 「思い出も涙も、尽きることはありません」と題された、告別式(5月21日)の参列者宛ての礼状には、次のように書かれている。

 「一人娘の里奈は、私達夫婦にとって、かけがえのない宝物でした。これは親のひいき目かもしれませんが、素直で明るくて、いい子に育ったと思っています。沢山の友達にも恵まれ、好きな人と心通わせ、今が一番楽しい時期だったのに…。このような形で人生を終えるはずではありませんでした。
 今となっては娘の身に一体何が起こったのか、本人に直接話を聞くことも、にこっと笑ったあの表情を見ることもできません。今はいつ癒えるのかも分からない悲しみとやり場のない憤りで胸が張り裂けんばかりに痛んでいます。
 娘に私達の言葉が届くのであれば『怖い思いをしたね、後のことは心配しないで安らかに…』そう伝えたいと思います(後略)」

 リナさんが殺害された経緯については、まだ完全に解明されたわけではない。しかし逮捕直後の容疑者の供述や、現在の県警の捜査状況から見て、おそらくそれは次のようなものだったと思われる。

 4月28日の午後8時ごろ、ウォーキングのために自宅を出たリナさんは、交通量の多い、新しくできたバイパス道路を経由して、大手ディスカウントストア・ドンキホーテへ向かういつものルートを歩いていた。ところが店に到着する200メートルほど手前の路上で、突然うしろから棒で殴られ、抵抗力を奪われたあと、県道わきの草むらでレイプされ、その後、殺害された。そしていくつかの隠蔽工作がおこなわれたあと、その死体は遠くはなれた山中に遺棄された。

 容疑者である元海兵隊員のケネス・フランクリン・シンザト(32)は、現在、犯行現場から車で20分ほど離れた嘉手納空軍基地内で「軍属」として働いており、帰宅時に通常のルートから大きく外れてこの凶行におよんだことがわかっている。

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