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参院選で深化した「熱狂なきファシズム」

バラバラだった野党を一般の主権者がつないだ点に希望も

想田和弘 映画作家

 参院選の結果、与党とその補完勢力が両院の3分の2を占めた。投票率は54・70%。戦後4番目の低さである。

 全体的な流れとしては、「熱狂なきファシズム」がさらに深まってしまったといえるのではないだろうか。

自公が握手拡大参院選から一夜明け、首相官邸で握手する安倍晋三首相と公明党の山口那津男代表=7月11日
 「熱狂なきファシズム」とは、第二次安倍政権成立以降の日本の政治状況を指し示す、僕の造語である。ファシズムといえばある種の熱狂が伴うようなイメージが強いが、安倍政権下で進む全体主義に熱狂はない。むしろ主権者の無関心としらけムードの中で、じわじわと少しずつ、人々が気づかぬうちに、低温火傷(やけど)のように進行する。「デモクラシーの緩慢な自殺」と言ってもよい。

自民党改憲草案はデモクラシーを廃止しようという提案だ

 安倍政権が権力を強めていく現象を、なぜ「全体主義」であり「デモクラシーの自殺」といえるのか。その最大の根拠は、自民党が2012年4月に発表した改憲草案である。個人の基本的人権や言論の自由を制限し、「国民のための国家」よりも「国家のための国民」を目指すこの草案が、全体主義的であることは多くの専門家が認めるところである。僕に言わせれば、デモクラシーを廃止しようという提案である。

 つまり日本の主権者は、全体主義を目指す政治勢力に、選挙という民主的な方法を通じて権力を与え続けてきた。2012年の衆院選から数えれば、一度ならずも四度までも。おそらくはそういう自覚もなしに。

 そして「四度目の正直」となった今回の参院選では、単に自民党に勝たせただけではない。自民党とその補完勢力に両院の3分の2を与えるという、大きな分水嶺を越えてしまった。

 それが意味するのはもちろん、「国会で改憲が発議される可能性が出てきた」ということである。僕は憲法を変えることに必ずしも反対していないが、この状況で改憲が発議されるならば、それが自民党改憲草案を土台にしたものであろうことは間違いない。であるならば、それはほぼ確実に「改正」ではなく「改悪」になる。のみならず、デモクラシーを後戻り不可能なまでに毀損してしまいかねない。

警戒すべきなのは「緊急事態条項」の新設

 特に警戒すべきなのは、いわゆる「9条改憲」ではない。大規模災害や戦乱時に内閣に独裁的な権力を与える「緊急事態条項」の新設である。

 自民党改憲案第98条によれば、内閣総理大臣は閣議にかけるだけで緊急事態を宣言できる。すると「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる」(自民改憲草案第99条)。

 要は首相が緊急事態を宣言するだけで、「法律と同一の効力を有する政令」を勝手に作れてしまう。最悪、報道機関や政党を含めた政権の批判勢力を、非合法化したり投獄したりするための政令も作れてしまう。ナチスの全権委任法と同じような効力を発しかねないのである。そうなったらデモクラシーは完全に終了してしまう。その状況を正すためには「革命」するしかなくなってしまう。

 ところが報道によれば、公明党や民進党にも緊急事態条項の必要性に理解を示す声があり、あろうことか、「与野党間での合意が得やすい」とみられているらしい。大半の主権者も「緊急時のことを定める条項」くらいの認識しかないことであろう。

 極めて危険な兆候ではないだろうか。

 与党側が国会の3分の2を占めたことの問題。それは権力を握っているのが安倍自民党ではなく、たとえ別の党であったとしても、 ・・・続きを読む
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筆者

想田和弘

想田和弘(そうだ・かずひろ) 映画作家

1970 年栃木県生まれ。日米を行き来しつつ、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリー映画を制作。自民党公認候補の選挙戦を描いた「選挙」(2007)、精神科外来をみつめた「精神」(08)、福祉の現場を描いた「Peace」(10)、平田オリザと青年団を追った「演劇1」「演劇2」(12)など、時代の相貌を切りとる作品を発表し続けている。近作は小さな港町の牡蠣養殖業の日常生活をとらえた「牡蠣工場」(15)。著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『熱狂なきファシズム ニッポンの無関心を観察する』(河出書房新社)、『観察する男』(ミシマ社)など。