2016年07月25日
ネルソン・ドミンゲスは、日本で一番知られているキューバのアーティストかもしれない。来日回数も作品展示回数もダントツで多いのではないか。また、日本だけではなく、世界各地での個展もとても多い。キューバを代表する、と言って間違いない作家だ。
決して大柄な人が多いわけではないキューバの中でも、かなりな小柄。「僕にはタイーノの血が流れているのさ」と。これもけっこう珍しい。キューバのもともとの先住の人たちはほぼ「ホロコースト」で消えてしまっているからだ。
また、ほんのわずかに残るタイーノや、そのほかの先住民の流れを持つ人たちも見た目にはっきりわかる人はあまりおらず、ましてや自ら名乗ることもほぼない。
鋭い目つきと人を観察する素早さ。後に「彼は、速い=rapid わよねぇ」と英語でつぶやいた私の言葉に「僕は rapido じゃないよ」とすぐさまスペイン語で返された。似ていたんだ、この言葉。しかし、ほら、やっぱり素早いでしょ、という証明になってしまったようなものだ。
そうだ、作品について。あまりに長い間、彼の作品を目にしてきて、すぐに上手い言葉にかみ砕いて言いにくくさえなってしまった。一目でネルソン、とわかる作品。
すべてではないが、黒の線の強調された中に鮮やかな赤や黄色が浮かび上がる力強い作品。揺るぎのないテクニック。たっぷりと塗りこまれた絵の具の重さ。いつも、人々や社会の裏側や不安、陽のあたる場所では見えにくい醜さも大胆に描かれているように思える。
また、全員ではないにしても、キューバの作家たちは皆、とても饒舌で、問わず語りに自らの作品について語ってくれる人が多い。そして、ネルソンはその代表格。
前回紹介したバジャダーレスとは対照的に、革命後の恩恵を受け、しっかりと無料の美術教育を受けた。自ら、そう語った。
私がキューバに通い始めた当初、会った画家さんたちのかなりがアフリカ系宗教である「サンテリーア」をテーマにしていた。
サンテリーアとは、アフロ・キューバンを代表する文化であり、何百年間も続いた奴隷貿易で渡ってきたアフリカの、特にヨルバの人たちの神々がカトリックとの混交を起こして成り立ったものだ。いつか詳しく書きたいと思う。ネルソン自身も自らそれをテーマにしていることを認めながら、「僕は特になんの宗教も信じてはいない。ただし、ヨルバの文化と神々には尊敬を抱いているし、テーマにすることも多い。これを抜きにしてキューバの文化を見ることはできないのだから」という。
そのせいではないにしても、私はなぜかこの画家さんととても縁がある。キューバを訪ねるたびに、いつもこの人に出会ってしまうのである。そう、偶然も含めて。
一度は、キューバ・日本国交樹立75周年の企画の一つとして、私がハバナで「キューバ写真の個展」を開かせていただいたときに使ったのも、この方のギャラリーだった。
ハバナ・ビエハにある一等地、サン・フランシスコ広場からほんの少し路地を入ったところにある、ギャラリー・オフィシオである。1階が展示室で、2階には彼がアトリエとして使っている広々とした部屋がある。緑溢れるパテオを持つ、恵まれた環境だ。
最初にインタビューしたときもこのアトリエでだったが、午前中にもかかわらず「ビール? ワイン?」と訊かれ、一瞬とまどう私に、同行のキューバ外務省の方はすぐさま「ビール!」と答え、朝から酒盛り。ビールからよく冷えた白ワインに変わり、昼近くにインタビューを終えて戸外に出た瞬間、アルコールに加えて、強い日ざしと暑さで一瞬、クラっとしてしまったのを記憶している。
さて、キューバに来るたびに「会ってしまうこの方」には、本当にさまざまなところでお目にかかった。昼ごはんを食べたことも多い。ある日は、フランスパンの柔らかい中身だけ抜いてそれを「眼鏡」のようにして遊んでくれたり、誰かが持ち込んだ「沖縄のゴーヤ」を「おお、これは葉巻みたいだ」と遊んでくれたり、写真の被写体としても素晴らしい。そうなってくれる才能を発揮してくれる。
ある日、展示室へ行っているのだから会ってもおかしくはないが、それでも私がここにいたのはほんの5分か10分程度。いつも忙しいネルソンは、常にアトリエにいるとは限らず――キューバにいるとも限らず――それでもその日、突然私の前に姿を現し、「おお、まりこ!」と。
「今日、あの人、午前中の酒盛りを一緒にしたあの人と、我が家で昼ごはんを食べることになっているけど、来るかい?」
もう、断る理由はないでしょう? 実はこれは、最初に会ったときにしてくれた約束、何と18年も前の約束の実行だった。「今度は、ウチで飯をつくってあげるよ。僕は料理が得意なんだ」
そんなに大きくはないけれど、小さなプールまである。こじんまりとした、それでもどの部屋、どの部分をとっても「画家の家」としか言いようのない、絵画と装飾が所狭しと置かれている、饒舌な彼らしい、なんともいえない雰囲気に満ちた素敵な家だ。
絵画は他の作家のものもあった。そして、画家はここであっという間に裸になり、エプロンをつけた。……つまり裸エプロンだが、ただし下は穿いていた。
伊勢海老の刺身から、カクテルから、鬼殻焼きまで手際よくあっというまに拵(こしら)えて、ワインとともに供してくれた。
画家さん、才能は絵画だけではなく、料理にも、そして女性にもその「多才、多彩」ぶりを見せてくれるようだった。ただし、彼にも若い頃に結婚し、深く愛し合った中国系の女性画家、フローラ・フォンという存在があり、その彼女、実は、私がキューバで最も好きな作家のひとりなのです。 (つづく)
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